第11話 実証せよ

「アビス卿、申し訳ありません。今日はお見えにならないのかと。お電話も差し上げたのですが――」


 雑多な町の中心にある大きな広場。そこに建つ、明らかに周囲とは異なる、権威とか厳粛さを持った、石造りの建物。その入口から現れたのはスーツ姿で、片眼鏡の女性。


「問題無い。今の議題は?」

 彼女の横を通り過ぎる勢いで、建物の中へと向かうアビス。普段はゆったりと暮らしている彼が、今は一秒も惜しいという感じだ。


「『魂の重み』についてです。発表者は、マクドゥーガル医師です。資料は椅子に用意してあります」

 アビスがさっさと足を運び、追従するように女性は歩く。


「そうか」

 アビスのお決まりの一言を聞くと、女性の表情はいくらか緩み、後ろにいたアルマ達に目を配らせた。


「初めまして。町とアビス卿の連絡役をさせて頂いています、エミリアと申します。以後、お見知りおきを、アルマ様、メモリ様、それにヴィータ様」

「あら~、初めまして~。わたくしの事、よ~く知っているみたいですね~。今度、アビスとの関係もいっぱいお話しましょうね~」

 アルマ、即座に面倒くさいモードに突入。


「ええ、アビス卿から話は伺っています。特別な方だと。見ただけで分かりましたよ」

 エミリアがそう言うと、アルマの顔が一瞬固まり、赤くなり、むせ返した。

「と、トクベツ……?く、くわしく――」

「はい。ですが、アビス卿が行ってしまわれますよ?」

 エミリアが軽くあしらうと、ハッとしてアルマはアビスの後を追う。


 階段を上がっていくと、笑い声、それもかなりの数が聞こえて来た。おおよそ、重厚な建物の雰囲気には似つかわしくない空気である。

 アビスは学会と言っていたが、聞こえてくる声の感じは、カフェとかに近い。


 アビスが大きな扉を開けると、その声はダイレクトに聞こえてくる。

 そこはオペラをするような大きな部屋であった。アビス達がいたのは2階席、すぐ下には舞台のような演台があり、発表者らしき者がしゃべっていた。その正面には、部屋の奥までびっしりと人、人、人。

 300人はいるだろうか。服装はバラバラで、スーツの者は少数、むしろ白衣が多い。民族衣装っぽい者もいる。まさにカオス。


「アビス卿がお見えです」


 その場の声を遮るように、エミリアは凛とした声を発した。

 瞬間、場は静まり返り、視線が集まり、全員が一斉に起立をして、次には一斉に頭を下げる。それはまるでよく訓練された軍隊のよう。

 秩序と言う名の静けさが、アビスの顔色をうかがっていた。


「続けてくれ」


 簡潔にそれだけ言い、アビスは席に座った。観衆も座り、壇上の者は発表を再開した。ただ先程までと違って、皆、どこか硬い。笑い声などは一切聞こえてはこない。厳粛そのものである。


「やはりアビス卿がいらっしゃると、空気が締まりますね」

 エミリアは不意に笑顔を浮かべて、その場を去っていく。

 その後ろ姿を、アルマは少し膨れた表情で見送った。


「発表は以上です。それでは質疑のある方は挙手をお願いします」

 アルマの視線を再び会場に戻したのは、その後のどよめきだった。


 アビスがスッと手を上げていた。

 進行役も明らかに緊張し、息を呑み指名する。

 アビスはゆっくりと腰を上げ、落ち着いた感じで、いつものように話した。


「『魂の重さ』か……。一体、何の役に立つのかな」

 最初の一言で、場の空気は一気に重みを増した。


「こんな研究が許されるのは、世界でもここくらいなものだろう。その事を、科学に携わる個人として、とても嬉しく思っている」

 今度は一変、安堵したようなムードが漂う。


「諸君らがどんな研究をするのも自由だ。意外な所から、意外な発見をすることもある。こうして議論を交わせば、更に様々な可能性が見出せるし、お互いに触発されもするだろう」

 会場の中には、うんうんと頷きながら話を聞く者もいる。皆、激励の言葉と捉え、安堵していた。


「ただ私は疑問に思うのだよ。諸君らは何者であるのか?政治家か?弁護士か?それともペテン師か?」

 再び周囲がざわつき始める。


「まあ、自腹で研究しているのなら、何の文句もない。知っての通り、研究内容もその結果すら秘密にしても良い。だが、町や私が出資している場合は違う。この協会のルールに従ってもらう。それが、出資の最低条件だ」

 この辺りから、2階席では眉間にしわを寄せ、うんうんと頷く者がちらほらと居た。


「ここのルール、諸君らが刻むべき言葉は唯の1つだ。『Nulliusin in verva』、現代の言葉に直せば『実証せよ』と言ったところか。科学とは本来、誰の目からも明らかでなければならない。疑う余地があってはならない。その証拠を見つけ、提示すること。それが、諸君ら科学者の務めであり、義務であり、目的だ」

 ここにきてまだ、状況を呑み込めない者も多く、周りをキョロキョロしている。恐らく自分の事ではないと考えたのか、あるいは願ったのか――。


「では、例えば今の論文はどうか?彼によれば魂の重さは約21gと結論付けているが、これは確かだろうか?誰が検算をした?誰が彼が自ら作った計測器具の信頼性を保証する?なぜ、誰も異議を唱えない?今日から諸君らは、明確な根拠を持ってそれが真実と主張できるのか?」

 皆、悪さをした子供のように、バツが悪そうにうつ向いていた。


「真実の水準は不変でなければならない。守らなければならない。そのための協会でもある。では、協会に所属する諸君らに問おう。諸君らの研究は、真実の水準に達しているだろうか?」

 アビスの声は静かに淡々としたものであったが、その中に怒りがあったのは間違いなく、皆もそれには気付いている。誰も何も言えなかった。


 アビスは一通り話し終えると、その場に座り、様子を見続けていた。


 その内、2階席の1人がゆっくりと手を挙げた。司会もびくびくとしながら指名する。

「協会の理事の1人、カッシーニです。近年、この素晴らしい町の噂を聞きつけ、多くの科学者が外からやってきている。一方で、論文、議論の質は下がり続けている。由々しき問題です。より組織的に、論文の水準を保つ方法を模索すべきではないでしょうか」

 その言葉を皮切りに、また1つ2つ、手が挙がっていく。




 間もなくして、アビス達は建物の外に出た。途端、アビスは大きくため息を吐く。


「すまないねえ。つまらなかっただろう?だが、ああしてたまに顔を見せないと、すぐに暴走してしまうんだ。好きなことをしているのだから、分からないでもないが……」

「貴方が人の心に理解を示すとは、珍しいですね」

 アルマは可笑しそうに笑う。


「単なる経験則だよ。真の意味で理解している訳じゃあない」

「でも他人に関心を持つなんて、凄い進歩です」

「嬉しそうだな」

「分かります!?私の気持ち!!」

「経験則だよ。声のトーンとか、仕草とか、学術的に分類するなら心理学だな」

「それじゃあ、私の愛している気持ちも分かるのですか!?」

「それはない。私がしているのは、あくまで分類だ。恋とか愛しているのだろうなと、そう思う部分で止まってしまう。恋や愛といった感情は理解しがたい」


「ふーん……」

 アルマはアビスの顔を、どこか楽し気に覗き込んだ。


「ところで研究の成果に興味はあるか?」

「成果?」

「ああ、町を案内しよう――」

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