第10話 虚と実

「そろそろ、その可愛らしいお嬢さんを、私に紹介してくれませんか?」


 この時、アルマはとても良い笑顔をしていた。


「ん?ああ、紹介はまだだったか。ヴィータと言う」

「へえ~、ヴィータって言うんですか~。良いですね~、素敵な名前ですね~。一体、誰に名付けてもらったのでしょうね~」


 アルマは『デキル』女である。『デキル』女は、相手を立てる。


「それに素敵な御家おうちですよね~。ワンルームって言うんですか~?珍しいですね~。キッチンもベッドも同じ部屋で、これなら24時間ず~っと一緒にいられるでしょうね~」


 『デキル』女は、観察力だって鋭い。


「ベッドも1つなんですね~。ふ~ん」

「あ、あの、別に私は――」


 変な関係ではない。そうヴィータは言おうとした。ただ、元々か細い声が、更に震えていた。アルマを、フレアと同類と感じていたのかもしれない。


「ヴィータさん、言いたいことは、はっきりと言われた方が~、よろしいですよ~」


 『デキル』女は、気配りだって忘れない。

 ただし、もれなく背景には、ゴゴゴゴという擬音が付いていたに違いない。


「まあ、そうだねえ。もう1つくらい部屋があっても便利かもねえ」

 アルマのオーラを知ってか知らずか、アビスはやっぱり呑気してた。

 その様子を見て、メモリも動く。


「アビス様はなぜ、こちらに定住されたのですか?ずっと放浪ほうろう生活だったと聞きましたが」

「メモリ、今、良いところなんです!」

「アルマ様がなかなか切り出さないからですよ」


「べ、別に~?定住したからって、好きな人が出来たとか限りませんし~?そういう人がいないというのは調査済みですし~?聞くのが怖いとか、全然そんなのありませんけど?」

 『デキル』女は、慎重さを忘れない。

「で、どうなのですか、アビス様」


「メモリ、貴方、わたくしのことが嫌いなんですか?」

「いえ、話が全く進まないので、イラっとしただけです」

「こういうのやってみたかったのです!修羅場なんて聞くばかりで、当事者になれるなんて、中々ないでしょう!?」

 『デキル』女は乙女である。


「定住した理由なら、研究室が欲しかったから。やはり自分の手で実際に体験しないと、私はしっくりこなくてねえ」

「ほ、本当にそれだけ?」


 アルマが息を呑む。


「他に何かあるか?」

「ふ、ふ~ん。まあ、私、妻ですから?分かってましたけど。女なんていないって。うん、うん、知ってましたけど!」

 『デキル』女は、今までで一番の笑顔を見せた。


「研究室ですか……?」

 メモリは辺りを見渡した。

 1階建て、扉は5つ。玄関が1つ、ベランダが1つ、トイレに1つ、風呂に1つ。それから、物置らしき別室にもう1つ。でも、この部屋には科学道具らしきものは見当たらない。


「ああ、研究室は地下だよ。銃弾を撃ち込まれたり、砲撃されたりする度に、青酸カリやら塩素ガスの入った瓶が割れて、掃除に時間を取られたからねえ」

「地下?」


 アルマ達がキョトンとしていると、おもむろにアビスは立ち上がり、壁の方へと歩いて行った。良く目をらすと、木目の中に赤黒い手形のようなシミがあった。

「秘密基地みたいで興奮するだろう?」


 アビスが無邪気な笑いと共にそのシミに手を重ねると、青白い光が木板の隙間を縫うように落ちていった。

 すぐに、そして静かに、壁に沿って一線、床が沈みだす。


 十数秒ほどで、何の変哲も無い床は、地下へ繋がる階段となった。

 呆気に取られているアルマ達を尻目に、階段を下っていくアビスは、悪戯いたずらに成功した悪ガキのようでもあった。


「最近の物は……手が……込んでますね」

 やっと絞り出したメモリの言葉がこれだった。

 アルマはそんな事聞こえてはいない。吸い込まれるように、アビスに続く。


「ヴィータさん、いらっしゃらないんですか?」

 アルマが気付き、声を掛けた。

「いえ、わたしは……」


 ヴィータはこの地下室の存在は知っていた。でも、入ったことはなかった。入ってはいけない気がしていた。そこはアビスの聖域のように思えたから。


「貴方も来るべきです」

 アルマがなぜそう言ったのか、ヴィータには分からなかった。ただ、先程までの言葉とは裏腹に、何の含みも、悪意も感じない。導きのようにスッと入ってくる言葉。

 ゆっくりと階段の先を見据えて、ヴィータは降りていった。


 それを見送って、アルマはメモリを見た。

「メモリ、貴方はベッドを調べておきなさい。念のために!」

「自分でお調べになれば良いのに」


「もし、本当に痕跡こんせきがあったら立ち直れないでしょう!?」

「本当にへたれですね」

 そう言われて、とぼとぼアルマも階下へ下って行った。


 そのアルマの目をくぎ付けにしたのは、完璧に整頓された科学道具や試料ではなく、数えきれないほどの研究ノートや論文でもなく、黒の壁面に描かれた1つの表であった。

 アビスが、直接自分で書いたであろう物。上の段、真ん中の方は欠けていて、下の段は空欄が目立つ。表の中には、数字とアルファベットが1文字か2文字だけ書かれている、ただそれだけの表。

 アルマはその表を見たことは無かった。周期表である。


「これは?」

 アルマが呟くように言う。


「世界だよ」

「世界?」


「世界を構成する元素、そのすべて。現代原子論が正しければ、だけどねえ」

「山のように研究と実験を繰り返しても、まだ確信を持てないのですか?」

 アルマは可笑しそうに笑う。


「可能性を考え、追求し続ける。実証されるまでは。それが科学の――私の道さ」

「そうですね。胡蝶の夢かもしれませんからね」

「それは困る」

 アビスがそう言うと、アルマはまた笑った。


 そんな2人を、少し離れた所からヴィータは見ていた。ヴィータは少し落ち着かなかった。

 見たこともない実験器具の数々。同じような形をしていても、素材が違う、細部が違う、恐らく作られた年代も違う。

 それらが整然と並んでいて、今すぐにでも使用できる状態を保っている。その事実が、その年代品の1つ1つが、ここがどういう所なのかを語りかけてくる。


 『自分は本当にここに居て良いのか?』なぜかそう思ったのかは分からない。でも、なぜか、確かに、そう思った。


 ふと横へ視線を運ぶと、刀剣や鈍器、銃に鎧といった戦争の道具、他にも地球儀や天体模型に、色気の欠片もない巨大なデジタル時計などが部屋の片隅で眠っている。

 コレクションというより、実際にアビスが触れてきた物なのだろう。思い出を大切にするタイプには見えないから、尚更不思議な存在だった。


 ヴィータが物珍しくそれらを眺めていると、アルマが覗き込んできた。

「何か気になる物でもありましたか?」

「いえ……。珍しいと思って」


「へえ~、全身鎧まであるんですね。でも、これ少し背丈が小さいような?」

 アルマは、わずかに青みを帯びた黒の鎧に興味を示した。


「それはカラクリだよ。中に機械が入っている」

「カラクリ?動くんですか?」


「動力を決めかねていてねえ、まだ動かない。それに学者共が、『機械は思考するのか』を議論している最中だ。もし、自ら思考する機械とやらが出来たなら、その中に入れようと思っている。ワクワクするだろう?」

「機械が……思考?」


「どんな物になるのか想像も付かないだろう?数学の原点、この世の全てを数字で表現する。それが現実味を帯びてきたのだよ。発想自体は2000年以上前。ピタゴラス君にも見せてあげたかったよ」

「ピタゴラス君?」


「数学の始祖だよ。弟子が無理数、つまり数字化できない存在を証明してしまって、ショック死した――」

「ああ、あの変わった方ですか」


「素晴らしいだろう?早く見てみたいよ、『計算する物コンピュータ』とやらを


 アビスが丁度そう言った頃合いで、上階から聞いたことのある音がした。電話のベルだ。


「あ、あのアビス様?この機械はどのようにすれば?」

 メモリは電話を知らない。先進国のごく一部でまだ普及にはほど遠いい代物だ。


「ん-?」

 アビスは電話の心当たりを探した。


「しまった。今日は学会の日か――」

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