第7話 華火

「ここから南に1kmも行くと、爆発物の実験場がある。そこなら君も周りを気にせずやれるだろう」


 家を出て、実験場へ向かう最中さなか、ヴィータは2人の背を、不安と共に見つめていた。

 フレアが、アビスの申し出に戸惑い、警戒しているのは見て取れた。それでも、フレアは自分の勝ちを疑ってはいなかった。その自信は、足取りに表れ、ヴィータを遠くへ置き去るようだった。


「ここだよ。良いところだろう?」

 着いた所は、平原であった。遠くには草が生えていたところを見るに、爆発実験の影響か、そこは土が掘り返されたようで、草の1本も見当たらない。

 北側の町と東側の道がある方には、高さ5mほどの土手が備わっており、町や人への気配りが見て取れる。


「町の科学者も含めて、爆発や危険な実験をする時はここを使う決まりなんだ。元々は農場でねえ、科学のために潰してもらったのさ。いい話だろう?」

「そんなことに興味はないな。ただ――」


 ヴィータの首筋に1本の汗が落ちていく。

「確かに、私が戦うには良い場所だ」

 フレアは勝ちを確信しているようだった。


 アビスが懐からスッと懐中時計を取り出す。

「これで1分を計る。時計の誤差は1日で2~3秒程度だが、構わないだろう?」

「ああ、問題ない」

 そう言って、ヴィータはアビスから運命の針を預かった。


「本当に……大丈夫なの?」

 受け取ったヴィータの手は震えていた。

「ん?君は土手に隠れていてくれていいよ。時計の誤差が心配というなら、まあ、これが持ち歩ける物では最高水準だからねえ。こればかりは、仕方がないねえ」

 アビスは不思議そうに、暗い顔を覗き込んだ。


「そうじゃなくて……」

 ヴィータはアビスを見た。目には涙が溜まっていたかもしれない。

「……私が負けても、君が死ぬわけではないのだよ?」

「そうだけど……そうじゃないでしょう?」

 消え入りそうな声だった。


 アビスはため息を1つ。

 ヴィータが信じて、いや信じようとしているのは、本物の道化なのか。そんな不安に差し込むように、アビスは放った。


「私が勝つよ」

 反射的にヴィータは返す。

「うそ!正面からじゃ、とても勝てないって――」

 その時、アビスは笑っていなかった。ヴィータの言葉を止めるほどに、別人のようだった。

「勝負は科学ではないから、100%の保証はできない。私にとって、何1つ面白いことのない勝負だが、契約は守ろう」


 ヴィータはんだ魔力を、指先から感じた。この数日、吸い続けた魔力と同じ感覚。

「フレアが攻撃を開始して、そこから数えて1番長い針が1周したら、手を振っておくれ。1分以上耐える自信はないからねえ」

 ヴィータが静かにうなずくと、アビスはいつもの顔に戻り、離れていった。


 両雄が向かい合う。

「さて――」

 気付くとアビスはマスクを着けていた。ローブとお揃いの漆黒のマスク。そう思ったら、チョークで引いたかのような白線が、アビスを取り囲んで円を作っていた。


「1mだ。私をここから出せば君の勝ち。ヴィータが手を振って合図をした時、私がまだここにいたら君の負けだ。いいね?」

「ああ」


(アビスの能力。今のもそうか?不明な点が多い。前にちょっかいを出した人間を、触れただけで灰にしたと聞いたことがある。確かに不思議な力だが、火を防げる力ではない)


華火炎目かかえんもく口火くちび

 火花が散った。フレアが短剣を抜いた瞬間であった。そこから、小さな炎が長い尾を引いて、3つほど生まれ、フレアの周りを回り始めた。

(火種は作った。この時点で、私の負けは、無い!)


 フレアの能力、それは魔力を可燃性のエネルギーに変換する能力。恐らく、魔王の中で最も知られているであろう能力。当然、アビスも知っている。

 可燃性といっても、マッチや炭、ガソリンからガス、そして爆薬に至るまで多種多様。これらの差は、燃焼速度の差、つまり魔力の巧みなコントロールのみで実現する技。


 そんなフレアの弱点は、最初の発火。火種自体は、魔法以外で作らないといけない点。

 逆に言えば、火が一度いてしまえば、後は魔力と言う暴力を振るうのみである。

 勝ちを確信したフレアは、すぐに行動に出た。


華火炎目かかえんもく石火せっか!」


 途端、炎の1つがアビスを襲う。体全体を覆ってなお、余りあるほどの大火に化けて。


 しかし、炎の中から姿を現したのは、マスク越しにも分かる、笑みを浮かべるアビスだった。

 土手から見降ろしていたヴィータは気付かない。だが、フレアに残る感触、違和感。


(炎けた?)


 まるで炎自らが、アビスを攻撃することを躊躇ためらっているようで、フレアはまゆをひそめた。

(流石に無策ではないか。小賢しい――)


華火炎目かかえんもく蛍火ほたるび!」


 それはまるで、無造作に置かれた火薬に次々と燃え移っていくようで、子供の悪戯いたずらのようでもあった。

 火はいくつにも分裂し、時には重なり、ある所では消え、ある所では火力を増し、ある所では爆発に至る。そんな不規則な炎が、1から10、10から100にも別れ、増え、アビスの周りを跳び囲い、波状攻撃となって、四方八方から襲いかかる。


 まるで次から次へと打ち上げられる花火の、その真ん中にいるようだった。そう、正に花火のようだった。

 その時、フレアが見たアビスの表情は印象的で、花火に夢中で無邪気な、子供のようであった。

 その1つ1つが、普通の精霊であれば、死までいかなくとも、大火傷おおやけどは必至であるにも関わらず、アビスは心から湧きだす何かを抑えきれないようだった。


(とんでもないバカ――。ただ、奴の周りで火力が落ちる。何かしている。予想以上だ。何をしている?チッ、時間が無いな)


 この時、既にヴィータが持つ針は、50秒に差し掛かっていた。

 フレアはアビスを睨む。


華火炎目かかえんもく地火じか!」


 フレアの周りの炎が一斉に地面に落ちて、更に地中にまで伸びていく。導火線のように。


ぜろ!!」


 叫んだ声は、すぐに爆音の波にかき消された。地面をえぐるような、地中からの波状爆発。

 地中の空気は少ない。だから小さな爆発で、まず少量の土を浮かせる。浮いた所に空気が滑り込む。そこで更に大きな爆発で、より大量の、より広範囲の土を浮かせる。ただひたすら、これを繰り返す。延々に。

 

 まさに自由自在に炎を操る精霊、いや魔王と呼ぶべきか。

 アビスの居た所に到達する頃、と言ってもそれは1秒かそこらであったが、3mは地中深くまでえぐり取っていた。それだけの爆発。当然、アビスは地面ごと、どこかへ吹き飛んだだろう。


 直接燃やせなくとも、火が届かなくても、フレアにはいくらでも攻撃の手段がある。

 微動だにせず、フレアの攻撃を受け続けることは、不可能なのだ。普通は――。


 アビス、この魔王と呼ばれる精霊もまた、普通の外側にいる存在。

 彼は立っていた。宙に浮かされた土片が舞う中を、長く長く地中に伸び突き刺さった、変形したヒールに支えられて――。


 フレアが目を丸くしていると、アビスの向こう側にいたヴィータが、一生懸命に手を振っているのが見えた。

 フレアはしばらく、声が出せなかった。

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