第8話 燃焼

「私の勝ちのようだねえ」


 マスクを外して、アビスはニヤリと顔をゆがませた。


「……爆発による吹き飛ばしは、対策済みだったという訳か」

「君が私を燃やそうとご執心の間に、私は靴底を変形させ、ネジのように地中を掘り進んでいたという訳だ。この辺りは、10mも掘れば硬い岩盤があってねえ。ここに固定してしまえば、もう動かせないよ」


 そう言うと、靴はあっという間に、元に戻り、アビスは地面に降り立った。


「じゃあなにか、最初から吹き飛ばそうとしていれば、私が勝ったと言いたいのか」

「まあ、そうだろうねえ。100kgにも満たない物を吹き飛ばすなんて、君なら楽勝だろう?」


「分からないな。だったら、どうしてこんな条件にした?」

「そうはならないから。実際、君はそうしなかった」


「……」


「君は勝負以外のことを気にしていたんじゃあないかな?」

「私が、何に気を取られていたと?」

「そうだねえ。例えば、私の能力とか」


「……」


「なぜ……なぜ、私の火は、お前に届かなかった?」

 そうフレアが質問すると、アビスがまた笑った。

「おや、当たっていたのかな?」


「……」


「ああ、なぜ火が届かなかったか、だったねえ。そうだな、魔王たる君が、どうしてもと懇願こんがんするなら、私もついついネタばらししてしまうかもしれないねえ」

「お前は……嫌な奴だ。ハッキリ言ってムカつく。そんなお前に、手のひらで転がされ、思い通りに事を運ばされた自分に、いきどおりすら感じる。お願いしてやる。なぜだ?」


「ははは、随分ずいぶんと高いところからお願いされてしまったねえ。まあ、いいか」

 実のところ、アビスはしいと思っていた。フレアの能力は素晴らしい。でも、当の本人は科学にうとい。火とは燃焼、つまり化学反応。もしフレアに知識が加わったら?

 アビスにとっては、その回答の方が、魅力的だった。


「火とは、燃焼の際に発生する現象だが、燃焼に必要な3つの条件は分かるかい?」

「可燃物、酸素、発火温度だろ」


「素晴らしい。その中で、可燃物は君の能力が、発火温度は見たところ、短剣のさやに火打石でも仕込んでいるのかな」

「じゃあ、なにか。酸素が原因だって言うのか?」


「やはり君は、酸素を感覚で測れないんだね」

「……あまり意識したことはない」


「なるほどねえ。そうだなあ、私はフーっと息を吐いただけ」

「そんなことで火が消せるのか?」


「もちろん。ロウソクやマッチはそうやるだろう?大気の酸素濃度は約21%、吐く息は約16%。たったこれだけの差で、消えてしまうのだよ、火というものは――」

「私の炎が、その程度で防がれたとは信じがたいが……」


「フレア君、酸素が無ければ、火は消える。こればかりは、どうしようもない。えて言えば、神の作った絶対に侵せない法、それが科学だ」

「……それで、方法は?何をした?」


「私は分子構造をいじることが出来る。欲しい元素があれば取り出し、必要なら再構築する。積み木のようにね。それが私の能力」

「では、何を取り出した?」


「互いが互いを運命の相手だと想い、爆発的な反応と共に、堅く固く結ばれる。現代の爆薬の材料であり、空気の大半を占めるその元素の名は、原子番号7番:窒素ちっそ

窒素ちっそ?」


「より言えば、N2エヌツー、つまり窒素ちっそ分子だ。この分子の特徴は、極めて不活性。窒素ちっそは互いに決して離れようとしない。他の元素と結びつくなんて、思いもしない」

「意味不明だ」


「不活性ということは、安定しているって意味さ。何千度であぶられても、決して変化しない。化学反応を起こさない。つまり、窒素自体が肌や目を傷つける心配はない。生物が無事に息を出来るのも、実は窒素ちっそのこういう性質のおかげなんだよ。酸素濃度を下げるには、理想的さ」

「……仮にそうだとして、相当の量が必要だったはずだ。それだけの窒素ちっそをどこから手に入れた?」


「ん?ここは農場だったと言わなかったかい?窒素ちっそは肥料の1つだよ。より身近なものなら、アンモニアや尿に含まれている。つまり生き物が生息する環境なら、窒素ちっそあふれている」


「1分という条件は、周りの窒素ちっそが尽きないためか?」

「それもあるし、私が確実に息を止めていられる時間でもある。窒息ちっそくしたくはなかったからねえ」


「それで不動で1分という条件が出て来たのか」

「その通り。君が詮索せんさくしている間、私は靴を再構築して、地中深くに固定していた訳さ」


「マスクをしたのは?」

「口や鼻から、体内で爆発されたら嫌だろう?」


「そうか……。結局、私が負けるように仕組まれていた……いや、違うな。私が見誤ったのか」

 フレアはおもむろに、西の方を指さした。町も道路も、何もない方角を。

「あっちの先に何かあるか?」


「ん?いや、見ての通り平原で、その先は海だ」

「では、最後の質問だ」


 フレアが再び短剣を引き抜くと、瞬間、彼女が指さした方角、そのすべてが炎に覆われた。すべてだ。一瞬であった。何km先まで届いていたかも分からない。ただただ、圧倒的であった。先ほどまで見せた炎が、どれほど加減されていたのか、推し測るのも難しい。


「今の炎なら、私が勝っていただろうか?」

 フレアはわずかに息を切らし、怒りの感情を隠そうともしなかった。しかしアビスは動じない。

「それをやらなかったから、証明はできない。それをやらないから、君は弱いんじゃあないかな」


「……ッ!!今日は、黙って帰ってやる。そういう約束だからな!そこの精霊、ヴィータと言ったか。誰を選ぶにしろ、所属は早めに決めておけよ!!」

 そう言い残して、フレアは消えていった。文字通り、ヴィータはフレアの影すら追えなかった。


 アビスだけが取り残された実験場で、ヴィータが急いで土手を降りて駆け寄った。手に握りしめていた、懐中時計を手渡して、戸惑とまどい混じりに言った。

「その……ごめんなさい。私のせいで――」


「ん-……本当にしい才能だよねえ。もう少し知識があれば――」

 アビスは、フレアが放った炎の方向を見た。西の方を。

 つられて、ヴィータもそちらに目を向ける。

 草原が風になびいている。気持ちよく。その事実に、ヴィータは戦慄せんりつが走った。


「あれだけの炎で、焦げ跡1つ残さないなんて――」

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