23.教えてほしい

 冷たい水が、擦り傷を濡らしていく。

 私よりも大きくて筋張った手が、傷口についた汚れを落とすために触れている。

 本当は自分でやろうとしたのだけど、両足で立とうとしてよろめいた私に、お前はヘリでも掴んどけ、と柳生くんが言ったのだ。


「お前、なにしてんの、本当に」


 呆れたような、どこか苛立たし気な声。


「柳生くんと話したくて」

「あいつがせっかく警告してくれたのにか?」

「うん。許可だって、ちゃんともらってきたよ」


 すぐそこにあった頭がこちらを振り向く。

 前髪越しに合った目は、困惑しているように見えた。


「もし俺があそこで立ち止まってなかったらお前、どうしたんだよ」

「追いかけてたかな」

「足、悪化すんぞ」

「もちろん、気をつけて歩くよ」

「お前なんなんだよ、本当……。音がしたから立ち止まったものの」

「心配してくれたんだ?」

「ちがっ、別にそんなんじゃ」

「優しいね、柳生くん」

「――っ」


 微笑んで言えば、柳生くんの顔が耳まで真っ赤に染まった。

 それこそ、音が聞こえそうな勢いで。

 柳生くんは水を止めると、素早く顔を反対側に向けてしまった。


「柳生くん?」

「お前、なんでそうなんだよ」

「えっと?」


 柳生くんがなにを言いたいのかわからなくて、首を傾げる。


「あいつから俺の話を聞いたんだろ?」


 一瞬、どう答えようか迷ってから、私はうなずいた。


「聞いたよ。幽霊が視えるって噂があることも、小学生のときに問題が起きたことも。……柳生くんが、その犯人だって自分で認めたことも」

「それなら、なんで俺を追いかけるんだよ。普通離れるだろ」

「だって、知りたいと思ったから」

「は?」


 柳生くんがやっとこちらを見る。

 信じられないものを見たような、そんな瞳が私を映す。


「もっとちゃんと話をして、柳生くんのことをちゃんと知りたいと思ったの。わかりたいって、そう思ったんだ。だから探したし、追いかけたんだよ」

「俺はお前を傷つけるかもしれないんだぞ」

「柳生くんは私を傷つけるような人じゃない」


 まっすぐに目を見て言えば、柳生くんの瞳がかすかに揺れる。


「私だけじゃない、他の人のことも、いたずらに傷つけるような人じゃない」

「そんなに俺のこと、知らないだろ」

「確かに」

「なら」

「でも」


 初めて話した日のことが、脳内で再生される。

 頬を撫でていく風や音。

 触れたフェンスの温かさ。

 手に乗せた体の重み。


 そして私の腕を掴んだ手の、力強さ。


「私を、止めてくれたでしょ」

「あれは……言われたからで」

「でも、傷つけようとするのなら。もしも幽霊を使って酷いことをする人なら。きっと私、今頃病院にいるか、この世にいないかのどちらかだと思うんだ」


 柳生くんが、言葉に詰まる気配がする。


「ねえ、柳生くん」


 視線は、そらさずにじっと柳生くんの目を見続ける。


「教えてほしい、本当はなにがあったのかを」


 柳生くんは目を右に左に何度か往復させたあと、うつむいて大きなため息を吐いた。


「肩、貸す」

「えっと?」


 話の行方がわからず、首を傾げて見せる。

 私に視線を向けた柳生くんは、ぐしゃっと髪を掻きむしってすぐにまた、視線を下げてしまう。


「説明する。だけどその前に足首なんとかしないとだろ。保健室、行くぞ」


 柳生くんが隣にやってくる。

 そして私が腕を回しやすいように、ひざを曲げてくれた。

 あれ、もしかして。


「言っとくけど、下手に悪化させるとうるさい奴がいるから肩を貸すんだからな」

「柳生くんって、私よりも背、高かったんだね」

「は?!」

「あ、違う、ごめん、えっと、うん、ありがとう」


 思った言葉がそのまま出てしまった。

 慌てて言葉を紡ぐけれど、じとっとした視線が返ってくる。


「……」

「いや、あの、本当にごめんなさい……」

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