21.信じてる

「で、話って?」


 放課後。

 今日の日直はサラ。

 だから私たちは残りやすかったし、逆に言えば日直の人に悪いから、なんて言って逃げることはできないわけで。

 小さく深呼吸をしてから、私はアリサをまっすぐ見た。

 灰色の感情は、とぐろを巻いたまま、じっと私を見つめている。


「私、アリサとは、これからも友達でいたいと思ってる」

「……っ、突然なに言ってるの?」


 アリサは驚いたのか、切れ長の目を大きく見開いた。

 なぜだかそれが少し寂しく思えて、私は言葉に詰まってしまう。

 だってまるでそれは、友達でいたいと言われることを、友達でいることを、諦めていたような反応だったから。

 アリサはきっと、私のここ数日の態度から、嫌われたと思っていたのかもしれない。

 それが申し訳なくて。

 もしそれでアリサを傷つけていたのなら。

 違う、きっと傷つけていたから、こんな反応をしたんだ。

 だとしたら私は、最低だ。

 迷った挙句、友人を傷つけていたなんて。


 灰色の感情がにたりとあざけるように笑う。

 ほら、お前なんて生きているだけで誰かを傷つけてしまうんだ、と。

 そんな存在は、今すぐにでもいなくなってしまったほうが人のためになる、と。


 どうしよう、なにを言えばいいんだっけ。


 開いた口からは、言葉が出てくれない。

 私は、アリサを傷つけたいわけじゃなかったのに。

 どうしたらこれ以上傷つけずに済むんだろう。

 柳生くんと話したい。

 そう思うことは、そんなにいけないことなんだろうか。

 私は、そうやってアリサを傷つけ、そして柳生くんも傷つけていくんだろうか。

 せっかくサラも協力してくれているのに、私は。


「はいはーい!」


 スパッと風を切る音が聞こえそうなほどの勢いで、なにかが視界の端で動いた。

 驚いてそちらを見れば、サラが片手を挙げて笑顔で飛び跳ねている。


「サラも、二人とこれからも友達でいたいって思ってるよー!」


 いつも通りの明るい声。

 逆に言えば、このぎくしゃくとした空気の中では異質なほどの軽やかなそれに、私たちは固まる。


「サラは黙ってて」


 すぐに戻ってきたのはアリサだった。

 眉間に寄ったしわに手を当ててため息を吐く様はいつも通りのアリサで。

 言葉の割に声は、どこか安心したような音を含んでいた。


「えっと……」


 先ほどとはまた別の意味で、どうしよう、と苦笑いを浮かべてしまう。

 そんな私に、アリサは少し困ったように微笑んだ。


「サラにどこまで話したのかわからないけど」

「サラ、なにも聞いてないよー!」

「だからサラは黙ってなさいってば」

「えー」

「えー、じゃない」


 文句を言いたそうにぷくっと片頬を膨らませつつも、サラが口を閉じる。

 それを見てから、アリサはまた口を開いた。


「私は、サラにも未結にも傷ついてほしくないと思ってる。だから、柳生には関わらないでほしいの」


 揺らぎのない、まっすぐな瞳。

 アリサが、本気で私たちのことを心配して言ってくれているのだとわかる。

 わかるけれど、うなずくわけにはいかないのだ。


 だって私は。


「私は、柳生くんと話したい」


 キュッとアリサの眉が下がる。

 痛みを堪えるような表情に、心が軋むような音を立てた。


 柳生くんと話すのは、そんなに大切なことなんだろうか。

 アリサを傷つけてまで、私は柳生くんと話したいんだろうか。


「どうして、サラも未結もそうなの? 私は、二人のためを思って言ってるのに……!」


 決して大きな声ではない。

 でも、まるで絞り出すような声に、私はなにも言えなくなってしまう。

 だってまるで、アリサのそれは過去の私と似ていたから。


 信じてほしいのに信じてくれなくて、苦しかった私と。


「サラ、まだ柳生に傷つけられたことないよ?」

「それは! まだなだけでしょっ!」

「アリサは、傷つけられたの? 柳生に直接、酷いことされたの?」

「……されたわよ、小学生の頃肝試しをしたときにっ! 骨折させられたの! 顔を何針も縫った子だっていた! 他にも何人も怪我をしてっ!」

「それ、柳生がやったの? 一人で? アリサと同い年の、まだ小学生の柳生が?」


 サラから出ているとは思えないくらいにしっかりとした、静かな声。

 それに対して、アリサは怯えたように視線をさまよわせている。

 駄目だ、と思った。

 これじゃあアリサを責めているだけだ。

 責めたいわけじゃないのに。


「柳生が自分で認めたものっ! 本当なんだからっ!」


 信じて。


 そんな悲鳴が聞こえてきそうな声。

 両耳をふさいで、そのまま逃げてしまいたい。

 そんな衝動をなんとか堪えて、両足を踏ん張る。


「サラはアリサのこと、疑ってるわけじゃないよ。ただ、柳生が意味もなくそんなことをする人には、サラには見えなかっただけ」

「だから本当なんだって……っ!」

「うん、きっとね、アリサはサラたちの知らない柳生を知っているんだと思う」


 サラがふわりと一歩を踏み出す。

 身構えたアリサに近づくと、ギュッと抱きしめた。


「アリサが、サラと未結のことを大事に思ってくれているのは、すごくすごくわかるし、サラも未結もアリサのことを信じてるよ」

「ほんとうに……?」


 どこか幼さを感じるようなアリサの反応に、うんうんとサラがうなずく。


「でもね、その上でサラたちは柳生と話したいなって思ってるの」

「あぶないんだよ?」

「うん、でも、人って変わるものだから。アリサのことを信じるように、サラたちは柳生のことも信じたいんだ」


 それに、とサラが続ける。


「もしも柳生がサラや未結を傷つけようとしたら、きっとアリサが助けてくれるでしょ?」

「……そうね」


 腕を解いて、サラが一歩下がる。

 普段通りのアリサが、そこにはいた。


「ごめんね、取り乱しちゃって。みっともないね、私」


 恥ずかしそうに笑うアリサに、私は首を横に振る。


「私こそ、ごめん」


 頭を下げる。

 ただただ安心したのだ。

 アリサが見慣れたアリサに戻ってくれたことに。


「でも、これだけは約束して」


 穏やかな声。

 なんだろう、と首を傾げて先をうながす。

 ゆっくりと、アリサは言葉を紡いだ。


「柳生に対して、絶対に警戒は怠らないで」

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