19.どっちがいい?

「未結、最近元気ないね」


 視界に入ったフワフワの髪の毛に、ハッと顔を上げる。

 くりくりとした大きな瞳が、心配そうにじっと私を見つめていた。

 アリサは今、体育祭実行委員の集まりでここにはいない。

 だからといって、正直に話そうとは思えなかった。

 話したらまるで、アリサの悪口を言うようだから。


「そうかな? 普段通りだと思うけど」

「うーん……本当に? 無理してない?」

「してないしてない」


 笑顔で手を横に振れば、本当かな、とサラが頬に人差し指をあてながらコテンと首を傾げる。

 一般的にあざと可愛いと言われるようなその仕草も、彼女がやると自然なものに見えるから不思議だ。

 サンドイッチをぱくつきながら、そういえば、とサラが口を開く。


「柳生も元気ないんだよね。喧嘩でもした?」

「え、そうなの?」

「あれ、未結気づいてなかったんだ? じゃあ喧嘩じゃないのかな」

「喧嘩は、してない、けども」

「けども?」

「……ううん、なんでもない」


 こちらを覗き込もうとしてくるサラの視線を遮るように、俯いてお弁当を食べるのを再開する。


「アリサも、なんか変なの」

「変?」

「うん、少し、普段よりも力が入ってる感じ……? ずっとなにかを気負ってる、みたいな」

「そっか」

「未結は、なにも知らない?」


 どこか寂しげな声に、罪悪感がチクリと胸を刺す。


「……ごめん」


 どちらとも言えなくて、罪悪感だけが募っていく。


「……」

「……」


 ただ、ビニールが擦れる音とプラスチックの当たる音だけが、空き教室の中に響く。


「未結はさ」


 サラにしては珍しい、細い声。

 暗い海に投げられた小さな船のような、頼りない声。

 思わず顔を上げれば、大きな瞳に私が映っていた。


「我慢するの、得意?」

「え……人並み、かな」

「柳生と、アリサも得意だよね」

「確かに……」

「サラはね、苦手。必要な我慢もあるんだろうけど、苦しいなら我慢するのやめちゃえばいいのにって思う」


 サラが細い腕を茶色の紙袋に入れる。

 スルッと出てきたのは、ポリ袋に包まれたメロンパン。


「このまま柳生と話せなくて、それを後悔したときに、アリサのせいだってなるの、未結はたぶん辛いんじゃないかなって思うんだ」

「え、私」


 柳生となにかあった、なんて一言も言ってない。

 もちろん、アリサとの事だって。


「未結が元気なくなったの、アリサと柳生と同じタイミングだったから、そうかなって。サラ、名推理?」


 ニコッと微笑むサラ。

 机から身を乗り出して、上目遣いに凄いでしょ、と言うものだから思わず頭を撫でてしまう。

 フワフワした髪の毛は、綿の様でとても触り心地がいい。


「サラはすごいね」

「えへへ。だってサラ、二人のこと大好きだから。未結も、サラと同じでアリサのこと大好きでしょ?」


 撫でていた手が止まる。

 サラの大きな瞳が、ふにゃりと弧を描いた。


「だから、今は我慢しなくていいんだよ。サラと、未結しかいないんだから」


 サラの頭に置いていた手が、ほっそりとした白くて小さな手に掴まれる。

 そっと下ろされ、その小さな両手に私の手は包まれた。

 温かい。


「サラは、アリサと柳生くんのこと、どこまで知ってるの?」

「柳生と喋らないで欲しいってアリサが思ってること以外はなにも」

「そっか」


 柳生くんとアリサの間にあったことは、私からは言わないほうがいい。


「未結は、アリサと柳生から色々聞いたの?」

「……うん」

「ずるーい」

「あ、ごめ」

「嘘嘘、ジョーダン。タイミングとかあるもんね」


 ケラケラと笑うサラは、でも私の手を包んだままだ。

 きっと私が力を入れて手を動かせば、すぐに解ける。そのくらいの小さな力。

 私はその手に縋るような気持ちで口を開いた。


「私、サラも、アリサも好きだし、柳生くんも含めて大切で、だからこそアリサになにを言われたのかは詳しくは言えないんだけど」

「うん」

「……アリサの望むようにすると、私は柳生くんを大切にはできなくて、でも柳生くんを大切にすると、アリサを裏切ることになっちゃうから、少し……ううん、すごく、悩んでて」


 口を閉じて、すっと視線を下げた。

 温もりに包まれたまま、ギュッと自分の拳を握りしめる。

 言ってしまった。

 その事実が、鼓動を早めていく。


 数秒の沈黙を破ったのは、サラのうーんという間の抜けた声だった。


「それは、どちらかしか選んじゃダメなのかな?」

「え」


 顔を上げれば、サラは考えるように斜め上を見つめていた。


「未結は、二人のことが大事なんでしょ?」

「……そうだよ、だから悩んでて」

「なら、二人ともを選ぼうよ」

「無理だよ」

「どうして?」

「だってそんな、柳生くんと話したらアリサとの約束を破ることになるし、アリサとの約束を守ったら柳生くんとは話せないんだよ? どっちもなんてそんな」

「未結は、どちらか選ぶのと、どちらも選ばないの、どっちのほうがいい?」


 予想外の問いかけに遮られ、私は口を開いたまま固まってしまう。


「その二択だったら、選ぶほうがいいでしょ?」

「それは、そう、だけど……」

「はい、じゃあ決定!」

「でも、どうやって? 」

「それは今から作戦会議して決めよっ! ちょうどここにはアリサも柳生もいないんだからさ!」

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