18.過去

「未結、柳生のことどう思ってるの?」


 いつもの教室に入って開口一番の言葉。

 振り向いたアリサの視線は探るように鋭く、私を射る。

 蛇に睨まれた蛙ってきっと、今の私のことを言うのだろう。

 瞬時に喉は貼りついて、言葉を発することを放棄した。


「私は、未結に傷ついてほしくないの。それはわかってくれるよね?」


 うなずく。

 それはこの間も似たような言葉で言われたから。


「柳生の言うことを信じるな、とは言わない。むしろ、信じていないことを見せるほうが危ないから、嘘でもいい、信じているふりをして」

「どういうこと?」


 ようやく出た声は、かすれていて情けないものだった。

 それでも聞こえたようで、アリサは言葉を選ぶように視線を動かす。

 少ししてようやく決意をしたのか、アリサはささやくように話し始めた。


「小学生の頃、色々あったって話をしたでしょ?」

「うん」

「柳生は幽霊が視えるって噂、あるじゃない? クラスの子はみんな、信じてなかった。それで言い合いになったことがあったの」

「言い合いに……?」


 とてもじゃないけれど、柳生くんがその噂が本当だと言いたがるとは思えない。

 ましてや、それで言い合いになるなんて。


「その言い合いがきっかけで、夜中に学校で肝試しをすることになったの。もちろん、先生たちには内緒で。その肝試しで物が壊れたり、突然背中を押されたりして、みんな怪我をしたの」

「怪我?」

「私は転んで左腕を骨折した。中にはいきなり割れた窓ガラスで顔を何針も縫った子もいる」


 予想以上のことに、私は言葉を失う。

 アリサが苦い笑みを浮かべた。


「きっと、そうまでして信じてほしかったんだと思う。彼はずっと一人だったから。だけどそんなことをしても彼に友達はできなかったし、彼を信じる人もいなかった」

「でも、柳生くんが窓ガラス割ったり、背中を押したりしたわけじゃないでしょ?」

「どういう手を使ったのかは言わなかったけど、柳生、認めたんだよ。自分がみんなに怪我をさせたって、信じてほしかったからって。こっぴどく叱られて、たぶん懲りたんだと思う。それ以来、柳生は視える話をしなくなった」


 小学生の頃の柳生くんが、認めた。

 そのことに、ギュッと胸が痛みを訴える。


 きっと、本当に彼には視えていたし、今だって視えているのだろう。

 そのときだっておそらく、柳生くんはなにもやっていない。

 たぶん、視えないなにかがアリサたちの背中を押したり、物を壊したりしたのだろう。

 その責任を、一人で背負ったのだ。

 実際に背負うのは彼の両親だったり、先生だったりしたのだろうけれども。


 幼いころの記憶がよみがえる。

 ずっと抱えている灰色の感情について、先生に打ち明けたときのこと。

 先生なら、私よりもずっと長く生きている大人なら、きっといい方法を知っていると信じて疑わなかった。


 構ってほしいからって、そんなことを言わないで。

 命は、大事なものなのだから、理由もなくそんなことを思うなんておかしいのよ。

 誰にも言っちゃだめよ、それはおかしな人が言うことだから。

 未結ちゃんはいい子でしょ? いい子なら、そんなことは言わないよね?


 冷たい、冷たい視線と声を、無防備な状態で浴びた。

 うなずくことしかできなかった。

 だって、そうしないと私はおかしな人で、構ってほしいから死にたいと言ってしまう人なのだと思われてしまうと思ったから。

 信じてと叫びたかった。

 でも、その視線が怖くて、言えなかった。

 私は、いい子でいることしか選べなかった。


 柳生くんはきっと、加害者でいることしか選べなかったんだ。


 触れたい、と思った。

 小学生の頃の柳生くんに寄り添うことはできなくても、今の柳生くんのそばに行くことは、できる。


「アリサ、私は」

「未結はサラと違うよね?」


 遮られて、口から出かけた言葉が喉を滑り落ちて逃げていく。

 伸びてきた手が、痛いくらいの力で右腕を掴んでくる。


「未結は、もう柳生と話さないよね?」

「……っ」


 言えなかった。

 柳生くんと会話をしたいことも。

 アリサと今までと同じように一緒にいたいことも。


 静かにうなずく私に、アリサはやっと笑顔を見せてくれる。


 ほら、お前は変われないのだ、と灰色の感情に鼻で笑われた気がした。

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