8.居眠り、のち談笑
サラが柳生くんに突撃してからそれなりに日が経った。
あれから変わったことがある。
サラが毎朝、柳生くんに挨拶をするようになったのだ。
本人曰く、突然距離を詰めすぎたかもしれない、という反省を生かした、とのこと。
たぶん、そこは反省すべき主だった部分ではないと思ったのだけど、じゃあどこを反省してほしいのか、と問われたら困ってしまうのでなにも言わなかった。
だって、この間話した、触れられたくないだろうことには触れるな、ということがすべてなのだから。
そこですれ違ってしまっている時点で、もう、困るしかなくて。
それに、サラがしていることはやり方は違えども、私が彼に対してしていたことと大差ないように思えたのだ。
きっと、大して親しくもないクラスメイトにグイグイ来られて、柳生くんは困っていただろう。
不快な思いをさせていたかもしれない。
というか、絶対させていた。
外から見ていてよくわかる。
サラのそれに引っ張られるようにして、クラスメイトの数人は彼に挨拶をするようになった。
とは言っても、こちらはからかいの意味が強い感じだけれど。
ずっと誰とも関わらなかったような男子が、クラスの中心とまではいかなくても明るい女子に毎朝挨拶をされて、それを面倒くさそうに流しているのだ。
からかう人が出てくるのも、当然と言えば当然だった。
それがいいか悪いかは、別として。というか、本人が喜んでいない時点であまりよろしくない気はしている。
ちなみにアリサはというと、最初の頃こそ、お昼休み中にサラに対して色々とお小言を言っていた。
だけどサラにそれが効かないとわかったようで、今はもうなにも言っていない。
私はと言うと、まったく会話をしなくなっていた。
避けているわけでもなければ、避けられているわけでもない。
ただ、話すタイミングがなかっただけだ。
どう接するのが最適なのかがわからなくなったから、というのも大きいけれど。
柳生くんは、触れてほしいのか。
それとも、触れてほしくないのか。
わからなくて。
きっと触れられたくないと思っている、はず。
本当にそうかどうかは、わからないけれど。
触れられたいのか、触れられたくないのか。
それは訊いていい話題なのかもわからない。
少なくとも興味本位で触れていいものでないことは確かだし、訊く意味だって今の私には特にあるわけでもない。
もっと言えば、会話するような関係でもないのだ、私たちは。
だから、これが自然とも言えるわけで。
そう、自然なのだ。私たちが、会話をしないのが。
なのにどうしてこの人は、私が日直のこの日に、ずっと机に突っ伏したまま寝ているのだろう。
私の記憶では、帰りのSHRの途中から寝落ちていたはず。
「柳生くーん」
「……起きてる」
ボソッと返される声。
それならそのまま立ち上がって教室から出てほしい。
でないと教室の鍵を返せないのだから。
むくっと顔を上げた柳生くんの前髪が、上向きに癖がついていてちょっと笑ってしまう。
それにすぐに気づいたらしい柳生くんは、頬を赤くすると乱暴に前髪を撫でつけた。
「寝るの遅かったとか?」
「……傘」
「傘?」
窓に顔を向ける。
空は雲一つない青空だ。
雨が降るような天気には、とてもじゃないけれど思えない。
日傘は必要かもしれないけれど、柳生くんと日傘は結び付かない。
首を傾げて視線を柳生くんに戻すと、舌打ちをされた。
「え、なに」
「返したいから待ってたんだよ」
「返したい?」
「お前、この間の大雨のとき、下駄箱に置いてったろ」
「……ああ!」
「貸した本人が忘れるなよな」
パンと手を打った私に、呆れたように柳生くんがため息を吐く。
「別に、下駄箱に入れておいてくれたらよかったのに」
差し出された折り畳み傘を受け取りながらそう言えば、柳生くんの表情が苦虫を噛み潰したように歪む。
「お前の友人のせいでこっちは変に注目浴びてるんだよ」
「元から柳生くん、注目されてはいたよね?」
「そっちの系統じゃねぇ」
「ケイトウ……?」
繰り返せば、睨むようにこちらを見上げていた鋭い瞳が、ふいっとそらされる。
「……」
「柳生くん?」
「俺と、あいつが、付き合ってるとか、ないとか、そういう……」
「ああ、なるほど……?」
ついこの間も、クラスメイトの男子にサラは柳生くんと付き合っているのか訊かれたことを思い出す。
付き合ってはいないはず、と答えたその日にその子はサラに告白して、見事に振られていた。かわいそうに。
でも、その話がどうして下駄箱に傘を入れられない理由になるのかがわからない。
「これ以上変に勘違いされたら面倒だろ」
机に頬杖をついて柳生くんが吐き捨てるようにつぶやく。
「勘違い?」
「あいつだけじゃなくて、お前との間でもそういう噂が流れたら、単純に今の二倍は面倒くさい」
「そっか。普通は異性の下駄箱に折り畳み傘、入れないもんね」
同じ理由でどこかで待ち伏せするわけにもいかない。
結果、私だけが教室に残るであろう日直の日の帰りのSHR中に、わざと寝たふりをしてそのまま残ったのだろう。
なんだろう、言い方は悪いけれど、すごく……間抜けだ。
「……ふふっ」
「おい、絶対馬鹿にしただろ」
「し、てないよ」
「それは絶対してるだろ!」
前髪越しに鋭い瞳で睨んでくるけれど、照れもあるのか若干赤くなっている頬のせいで、全然怖くない。
むしろ、それがなんだか面白くて、そして、久しぶりに会話したはずなのに、前よりも会話ができているのがおかしくて、笑いが止まらくなる。
それに対して文句を言っていた柳生くんは、終いには口をへの字に曲げてしまった。
「ごめん、なんか、面白くて」
「……そうかよ」
「うん、ごめんね」
なんとか笑いを抑えると、何度目かのため息を柳生くんが吐いた。
「お前、やっぱりあの噂、知ってたんだろ」
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