月の娘

@ramia294

第1話

 その森は、とても広大で、巨大な樹木たちが、光を遮り、深い海のように、色をなくした世界が、広がります。


 黒い森と呼ばれるこの森は、光を失った時間が、長く続いたので、魑魅魍魎が、多く住み着いてしまいました。


 人は、もちろん、山の獣たちもこの森には、近づきません。


 夜になると、漆黒の紙に撒かれた墨よりも暗いその森には、星や月の光まで、その森を避けていきます。


 それでも、空には、黄色いお月様が、ぽっかり浮かんでいます。


 ある夜、心地良い澄み切った秋の空気の中、月の娘は、その森にそっと降りたちました。


 月の娘は、月の光そのものです。


 娘は、闇の中で、自分の進むべき道を見失い、迷っている人の足元を照らそうと世界で最も暗い場所を選んで、降りました。


 しかし、彼女が、降りたった森には、人はおろか、動物たちも居ませんでした。


「すみませーん。誰か居ませんか?」


 彼女は、誰も居そうにない周囲に尋ねてみました。


 すると姿は見えませんが、返事だけは、返ってきました。


「みんなここに居るよ。あんたの光が、眩しいので、姿を表せずにいるのさ」


「ごめんなさい」


 娘は、身体を小さくしました。蛍の光程度になったので、再び周囲は、暗くなりました。


「ああ、びっくりしたな。焼き殺されるかと思ったよ。ほら、みんなここにいるだろう」


 姿を現したと言ったその物は、月の娘に見えません。その物は、娘が月の世界で聞いていた、人でも、動物たちでもありませんでした。


「ごめんなさい。あなたたちは、人なのですか?」


「違うよ。姿が違うだろ」


 しつこい様ですが、見えません。


「私たちは、妖怪の類いさ」


 妖怪?


 月の世界では、聞いたことがありません。


「そうだろうともさ。この世で、いちばん弱い存在だからね。この世界でひっそり生きている私たちを あんなにきらびやかな月の住人が知るわけないよ」


 月の娘は、この世界には、まだまだ知らない事が、たくさんあるのね、と、思いました。


「ごめんなさい。正直に言います。さっきから、私には、あなた方の姿が見えていません」


 周囲ザワザワと、しました。


「やっぱり…。どうやら私たちは、とうとう姿を失ったみたいだね」


 先ほどの声が、言いました。



「昔ね、私たちよりもさらに、長く生きていたこの森いちばんの大樹たいじゅに言われたのさ。私たちの姿は、消えてしまうだろうってね」


 別の声が、違う方向から、言いました。


「その樹は、寿命が来てね。今はもう居なくなったのだけどね。生きている時は、遠い未来が、見えてね。私たちが、姿をなくす事が見えたのさ」


 さらに、別の声が、言いました。

 この周囲には、たくさん集まっているようです。


「では、あれも本当かね。いや、森の外に人間ていうちっぽけな生き物が、いるだろう。あれに焼き払われ、この森は、無くなってしまうだろうってね。わたしゃ今でも信じられないが、本当になるかもね」


 さらに、別の声が、聞こえました。


「そうなると私たちは、滅びるしかなね」


 ガサガサと気の早い落ち葉を踏む音が聞こえます。


「仕方ないね。私たちは、闇の中でしか、生きていけないからね」


 月の娘は、考えました。


「では、皆さん。私の光をほんの少しだけ受け取って下さい。そうすれば、あなたたちは、再び姿を手に入れる事が出来るでしょう。何より、月の光なら、たとえ満月の時でも耐えられるようになりますよ」


 森に棲む物たちは、月の娘の光が、尽きるまで、娘自身が、姿を失うまで、光を少しずつもらいました。


 あるものは、キツネそっくりの姿になり、九つの尾を広げ、空に駆け上っていきました。あるものは、人にそっくりの姿とツノを持ち、さらに森の奥深く消えていきました。


 龍の姿になり、海へ向かった者もいます。


 月の娘は、自分の最後のひとしずくの光をこの森に、託しました。


 長い時間をかけて、娘から託された光は、森全体に広がりました。


 そして、この地に足を踏み入れた全ての動物たちに潜り込み、黒い森の記憶を埋め込みます。


 その姿のほとんどを大樹の予想通り、人によって焼かれても、ここには、とても大きな森があったという事を私たちが覚えているのは、そんなわけです。



           終わり

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