第3話 5月9日 ツトム√

「いらっしゃい。あれ、千賀ちゃん、今日はやけに早いじゃない、お休みだった?遼一くん、もう来てるよ、っていうか、彼も今来たとこだけど。というより、うち、今しがたオープンだけど」

「あ、いえ、仕事は仕事だったんですけど・・・」

 そう答えながら、なんだか嬉しそうで、しかもちょっといつもと様子の違う千賀ちゃんを迎え入れて、遼一君の待つカウンター席に案内する。

 今日は午後3時に店に来た俺が、店のオープン準備を終えて、『CLOSE』看板を『OPEN』にひっくり返そうと階下に降りて行くと、そこには遼一くんが既に待っていた。

 そしたら、5分後には千賀ちゃんも現れた。

 珍しいこともあるもんだ。オープンと同時にお客が2人も来るなんて、この店、始まって以来の珍事だな。しかしまぁ、気のいい常連2人だし、こっちもあんまり気を遣うこともない。お店としては良いことだ。

 しかし驚くべきは、遼一くんと千賀ちゃん、この2人が、なんでまた付き合うことになったかだ。確か、遼一くんは大学3年生で二十歳だったかな。千賀ちゃんは俺の2コ下だから、もう26歳にはなってるよな。

 歳は関係ないか。

 俺が詮索する事でもないし。

「お2人さん、もしお客さん来たら、声掛けてくれる?多分、来ないけど」

 先に生ビール2杯を2人に提供して、チリ・オムレツにチキン・コブサラダの注文を受けて、俺は厨房に入る。アルバイトスタッフが出勤するのは6時からなので、今はまだスタッフは、オーナー店長の俺独りなのだ。

 それにしても、女の子、いや、女性ってのは解からないもんだね。高校生の時の、あの眼鏡でお提髪だった子が、今や地元でも結構な大手企業の課長さんだもんな。そう考えると更に、二十歳の学生と26歳キャリアウーマンの秘密?の関係には、興味湧いちまうってもんか。

 そんなことを考えながら、俺は手早く料理を始めた。


「はい、チリ・オムレツとコブサラダ、お待ちどーさん」

 2人それぞれに注文の料理を並べる。遼一くんはチリ・オムレツ、千賀ちゃんにはチキン・コブサラダ。

「おいしそー」

 千賀ちゃんが今日はやけに女の子、女の子している様に見える。服装のせいかな。何時もはスーツでカチッと決めて、何処から見てもバリバリのキャリアウーマン風だから。漫画やドラマで出てくる、所謂『出来る女』の見本みたいな。

 まぁ、たまにお酒を飲み過ぎた時は、その範疇ではなさそうだけど。

 そう、この子が飲み過ぎた時には(滅多にないことではあるけど)、本当に俺は気を揉む。

いつも独りでやって来て、カウンターで独りで飲んでいる彼女を目にすると、お酒が入ってちょっと気分が大きくなった男性客にとっては、うってつけのナンパのターゲットに見えるらしい。毎回の様に誰かしらに声を掛けられて、「一緒に飲もうよ」等と、誘われているが、その都度彼女は上手に言い訳をして、見事にお断りを貫いていた。

普段は、俺の店の所謂「常連客」とは普通に談笑もするし、深入りしない程度に仲良くお酒を楽しんでくれている。

 但し、一元の客で、それが明らかにナンパ目的と見るや、そこは完全にシャットアウト。だが勿論、大人の女性らしく、相手を怒らせること無く、見事に退散させていた。

しかし、ひとたびアルコール摂取量が容量オーバーになってリミッターが切れてしまうと彼女は、何がそんなに楽しくなってしまうのか、危なっかしくて見ていられない。

 いや、本来、そんなことは放って於けば良いことなのだ。俺は飲み屋のオーナーで、彼女は一介の客でしかない。ナンパしに来る男性客だって、同じお客には違いない。余程ルールに反しない限りは、お客同志の好きにさせておくのも、こういう社交場としてのお店の役割でもある。

 男女の出会いの場を提供するのも、悪いことではない。勿論、そんなことで儲けようとは思っていないけど。そして、確かに普段はそのように振る舞っているつもりだ。

 けれど、彼女、そう、千賀ちゃんのことになると、そうはならない。

 なんなんだろう、高校の後輩で、地元有名企業のキャリアウーマン、そして店の常連客、それ以上でもそれ以下でもない、筈だ。

 恋愛感情?

 ない無い、そんなものは。

 何方かというと、妹を見る兄の目線に近いのかな、そう思える。

 そう、多分そんな感じだ。

 そう言えば、あの日、遼一くんと千賀ちゃんが急速に親しくなった切っ掛けになった時のことを思い出した。

 1か月くらい前だったか、確かあの日の千賀ちゃんは、来店するなり、いきなりおかしなテンションだった。荒れているとかではないのだけれど、「はぁ」と大きくため息をついて、いつものカウンターの指定席に座るなり、「ちょっとぉ、マスター、聞いてくださいよ」、と始まった。

 俺も丁度忙しくなり始めた時間だったので、カウンターの中でカクテルを作ったり、洗い物をしたりと、何となく片手間に相槌を打ちながら話を聞いていたのだけれど、彼女は延々と20分以上話していたと思う。

 途中途中に、「マスターはどう思います?」とか「酷くないですか?」等と意見や同意を求められたが、その都度俺は残念ながら、「そうだねぇ」「どうなんだろうねぇ」と、適当に受け流すだけだった。

 話の内容としては、近々、部署移動があって、そこで現在の部署から営業部の最前線に移動させられる、自分はそんな事は望んでいない、会社の事業拡大なんて迷惑だ、会社に一生を捧げるなんて御免被る、こんな仕事漬けの毎日じゃお先真っ暗だ・・・といった事を、何度も繰り返し訴えていた様に聞こえた。

 お酒の席で仕事の愚痴を言う事なんて、特に珍しいことでもないし、文句を言って発散出来る居場所を提供するのもまた、飲み屋の仕事でもある。吐き出してしまったら、翌日から、再び日常に戻れば良い。まぁ、聞いてあげることくらいしか出来ないけれど。

 しかし、その日の千賀ちゃんは、その程度を吐き出しただけでは収まらないくらい、大量のストレスを抱えていたらしい。

 最初の生ビールを飲み終わった後は、飲むわ飲むわ、この小さな女性の体の何処にそんなに入る場所があるのだろう、そんな勢いで、生ビールばかり2杯3杯、4杯5杯と飲みまくった。

 初めはカウンター越しの俺に、絡むように話していたのが、そのうち同じカウンターに並んで座る他の常連客にも、自分からちょっかいを出し始める始末。

 多分もう、本人も自分の正体が明らかでない感じだった。

 そろそろ不味いなぁ、これじゃ、誰か訳の分からん相手に「お持ち帰り」されてしまうパターンだなぁ。

 そろそろ帰した方がいいかもな、やんわりと。

 いや、断じて彼女のことに関して、恋愛感情という様なものはない。強いて言えば、「妹」に近い感覚なのかもしれないが、ハッキリしたことは自分でも分からない。

 そんな事を思っているうちに、遂に千賀ちゃんは、カウンターの一番端で店内のミュージックビデオのモニターに見入っている、若い常連客にロックオンしてしまった。

 そう、それが遼一くんだった。

 遼一くんは、地元の国立大学に通う学生で、確か専攻は社会学か歴史学か、ひょっとして文学だったか、良くは覚えていないが、とにかく文系の学部に通う大学3年生だ。出身は確か九州だったと思う。

 この1年ほど、夕飯がてら、よく顔を出してくれる常連客の一人だ。

 年齢の割に、えらく古い音楽が好きらしく、そこが俺とも話が合うところでもあるのだが、俺の趣味で流している80~90年代のCDやミュージックビデオに食いついて、若いのに、いつの間にか常連客の仲間入りをしていた。

 変な話、俺に懐いているようで、俺も何となく、年の離れた「弟」みたいな感じで彼を見ていた。そう言えば、彼も高校時代までサッカー部だったと言っていた。それも彼に親近感を抱かせた理由かもしれない。

 ただ、俺はサッカーの話は余りしない。しないと言うより、したくないと言った方が正解だ。俺のサッカー時代は、既に10年前に終了していたから。

 そんな俺にとって「妹弟」とも言うべき2人が、「姉弟喧嘩」を始めたような格好だった。

 しかし、結果は思いもよらず、弟の圧勝。

 普段は清楚で知的な「妹」が大概に酔っぱらって、まだまだ世間知らずで純真無垢な「弟」に不意打ち攻撃を仕掛けた形だったが、思いの外、弟はタフで理知的なナイスガイだった。

 千賀ちゃんは、いきなり自分の席を立つと、つかつかとカウンターの一番端の遼一くんに絡み始めた。

「ねぇ、少年。さっきから、あたしのことシカトしてビデオ見てるけど、あたしのこと、おかしな女だと思ってるでしょ?」

 遼一くんはいきなり話しかけられて、少し驚いた様な表情をして見せたけれど、特に何も言わずに千賀ちゃんに向かって、にこりと笑みを浮かべた。

「ねぇ、笑ってないで、何とか言いなさいよ」

 遼一くんは何も言わずに、更ににこにこと笑顔を見せる。

「君さ、いつも独りでビデオに見入ってるけど、楽しいの?」

 支離滅裂で、殆ど言いがかりの様な絡みにも、ひと言も発せずにただ笑顔を返すだけの遼一くんに、千賀ちゃんの方が先に折れる。

「つまんない。ごめんなさいね、酔っぱらいの女に絡まれて、ご迷惑お掛けしました」

 千賀ちゃんがそう言って、元の席に戻ろうとした時、遼一くんが不意に彼女の手首を掴んだ。

 俺は瞬間、不味い、と思ったが、予想に反して、そういう事態にはならなかった。

「千賀子さん、これ、見て、聞いて」

 遼一くんは千賀ちゃんを引き寄せる様にして、自分の隣の席に座らせると、店内モニターを見る様に促した。

 今度はいきなり、しかも半ば強引に腕を引っ張られて、隣の席に座らされた千賀ちゃんの方がビックリした表情を見せる。

 俺もその様子に驚いて、いつでも仲裁に入れる様に体制を整えていたが、そんな心配は全く無用なものになった。

「千賀子さん、これ、ティアーズ フォー フィアーズって言うんだけど、知ってますか?」

「知らない」

 流れていたのは、「Everybody wants to rule the world」

 曲が丁度サビの部分に差し掛かったところで、遼一くんはその部分を一緒に口ずさんで、千賀ちゃんにこう訊ねる。

「これ、歌ってる意味、分かりますか?」

「分からないわよ、英語なんて。馬鹿にしてるの?」

 あちゃあ、言いがかりの次は逆ギレかよ。手のかかる妹だ。しかし、もう少し見守ることにした。

 すると遼一くんは、そんな意味不明の相手にも、怒ることも無く、寧ろ諭すような口調で続けた。

「訳し方によって、ちょっとニュアンス違っちゃうこともあるんですけど、大まかにいうと、『誰もがみんな 思い通りに生きたいと思っている 色々思い通りにならないこともあるけど 君がそう思うなら 僕も君の味方だ・・・』みたいなことを歌っているんですよ」

 千賀ちゃんは何故か黙っている。

「千賀子さん、僕、千賀子さんは僕の思っていた通り、僕がイメージしていた通りの、素敵なひとだと思います、きっと。間違っていたらすみません、こんな年下のガキに言われたくないかもしれませんけど、千賀子さんは頑張り屋さんで、いつも周りに気遣いがあって、皆から凄く可愛がられてる女性です。良いんです、それで。たまに羽目を外したって、あなたはそれ以上に、誰からも愛されているんです。すみません、僕なんかが偉そうに・・・。でも、そんな、たまには羽目を外したあなたを見てると、とても微笑ましいって言うか・・・。あ、また上から目線で、すみません。だけど、あなたは、家でも、会社でも、この店でも、皆があなたのことが好きなんです。僕も、その一人です」

 遼一くんが一息ついて、それを見詰める千賀ちゃん。何とも不思議な構図になった。

 再び遼一くんが口を開く。

「さっき、千賀子さんがマスターとか他の人と話しているの聞きながら、丁度あの曲が掛かって、その歌詞がびっくりするくらい僕の中に入って来たんです。そしたら、千賀子さんが話しかけて来てくれたんで、ちょっと、今、僕、嬉しかったりします」

 千賀ちゃんがいつの間にか、借りてきた猫宜しく、すっかり大人しくなっていた。

 どうやらこの先は心配しなくて良さそうだ。そう思った俺は、その後の2人が何を話していたかは分からない。

 カウンターで他のお客の相手をしながら、遠目に2人を見ていると、何か物語でも話し聞かせてるような遼一君と、それに笑みを浮かべて見詰める千賀ちゃんは、やはり不思議な構図に見えた。

 

 それにしても、今日の2人は実に微笑ましいカップルだ。

 2人のそれぞれの年齢や立場を知らなければ、唯の仲良し学生カップルくらいにしか見えない。それを知っている俺としては、今日の千賀ちゃんは、ちょっと情緒不安定かよ、と思えるくらい、はしゃぎ過ぎに見えなくもない。

 一方、遼一くんはといえば、これは同じ男として、何となくではあるけれど、その心情と振る舞いは、理解はした上で、同情も禁じ得ない。同情すると同時に、少しイライラもしたりする。

 実際、随分年上の彼女に対して、同じ目線で扱っていいのか、それともそれなりに敬いの姿勢を見せるべきなのか、相手が大人なだけに、自分が酷く子供じみてる様に周りから見えていないか等と気にもしながら、それでいて、彼女に必要以上に年齢のことを感じさせる訳にはいかない、とも考えるだろうし。

 同時に、男だろ、もっとガンガン行っていいんだよ。ここが押し時、そこで決め台詞、あとひと言足りない、みたいな。

 しかしまぁ、今日は頑張ってる方かもしれない。

 確かに相手が年上の彼女ではあるのだが、実はこちらも、恋愛に関しては奥手のねんね状態だったりもする。難しいとは思うけど、遼一くん、あの日の君は何処に行った?君らが付き合う切っ掛けになったあの日、君は、眩しいくらいに輝いて見えたぞ。

 2人の会話は楽しそうなのだけれど、何処か煮え切らないと言うか、嚙み合っていないと言うか、お互いが探り合ってる様子が見え見えなのは否めない。

 しかし、それは良い意味での探り合いだとは思うのだ。お互いがお互いに恋い焦がれているのが、手に取るように分かる。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに。

「・・・ねぇ、マスター、どう思います?このナンパおとこ」

 千賀ちゃんから不意に話しかけられて、少し考えた。

 考えた挙句、遼一くんに助け舟を出すことにした。

「いやいや、遼一くんにそんな甲斐性はないから心配ない。寧ろ、小心者で良い奴だ。それは私が保証する。それにこいつは千賀ちゃんに首ったけだから、そうゆう意味でも、更に、全く、これっぽっちも、芥子粒ほども、心配は、無い。それにほら、ちゃんと見ててごらんよ、さっきからずっと、両目から、千賀ちゃんに向けて、『好き好き光線』出っ放しだから」

 俺がそう言って2人に向けてウィンクすると、遼一くんは少し目を逸らして斜め上を向き、千賀ちゃんは顔を赤らめる。

 ああ、やっぱり、見ているこっちが恥ずかしい。そして何故だか俺が、幸せな気分になる。



つづく

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