第70話本気の演技

 またも放課後のこと。先に部室へ着いていた篠原は、一人で台本を読み込んでいた。こんな真剣にやっているのに、何故あんな棒読みなんだ……。やる気がないのかあるのかわからないやつだな。

 篠原が真剣に台本を読んでいると声をかけるのも気が引けるので、何もせずぼーっと何もない空間を見ている。すると、篠原は俺に台本を手渡してきて。

「ちょっとそこのページを練習したいから、詠み合わせに付き合ってちょうだい」

 いきなりそんなことを言われ、俺は戸惑いながらも台本に書かれているセリフを読む。

「塀なんか、恋の軽い翼でひとっとびです。

 石垣に、恋の邪魔立てはできません。

 だからあなたの家の人もぼくを止めることなどできやしない」

「見つかったら、殺されるわ」

「………………」

 一瞬、次の言葉が出てこなかった。別に先ほども篠原が練習していたはずのセリフで、何回も聞いたはずなのに。なのに、違う。同じセリフなのに、全然違う。

 俺がびっくりして言葉が出ずにいると、篠原はしかめっつらで先を読むように言ってくる。

「何してるの? あなたのセリフよ」

「あぁ、悪い……。その、止めて悪いんだけど、お前教室の時より上手くなってない? この短期間に何があった?」

 つい気になって質問すると、篠原は顔色一つ変えずに答える。

「それはそうよ。だって私、教室ではわざと適当に読んでたもの。感情なんて一切込めずにね」

「は? なんでそんなことしてんだよ? 教室でも真面目にやったほうがよくないか?」

「馬鹿ね。教室でいい演技をしたら、本番ですごい演技をしてもみんな驚かないじゃない。いいこと新藤くん。人が一番心を動かされる瞬間っていうのはね、落差が大きいときよ。だから私は、あえて下手くそな演技をしているの。そうすればハードルも下がるでしょ。だから本番、そのハードルを大きく飛び越えてやるの」

 篠原の考えを聞いた俺は、なんだか呆気にとられた。いくらクラスの奴らを驚かせるためとはいえ、ここまでするのか。やっぱりこいつはすごいやつだなと謎に感心していると、篠原は早く続きを読めと催促してくるので、俺も下手なりに感情を乗せて台本を読んでみる。

「あなたの瞳のほうがもっと怖い。

 二十本の剣よりも。どうか微笑んでください。

 そうすれば怖いものなどありません」

「どんなことがあっても、見つかっちゃだめ!」

「夜の園が隠してくれる、見つかりはしません。

 でも、愛してくださらないなら、見つかったほうがましだ」

「誰の手引きでここまでいらしたの?」

「恋の手引きさ。唆したのは盲目のキューピッド、知恵を貸してくれたので、この芽を貸してやりました。

 ぼくは船乗りじゃないけれど、たとえあなたが最果ての海の彼方の岸辺にいても、これほどの宝物、手に入れるためなら危険を冒して海に出ます」

 何故だか恥ずかしいという感情はなくなり、いつしか楽しいと感じるようになった。きっとそれは、篠原も本気で演技してるからだろう。二人して本気でセリフを読むこの行為が、俺は大変楽しく思えた。きっとこれなら、篠原が全員の度肝を抜くなんてわけないと思えるほどに。

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