midday2②
乱れた髪や上着を整えながら、背広の男からじりじりと距離を置く。するとその時、彼女が着ている白いシャツの第三ボタンまでもが、外され、はだけていることに気付いた。
「てめぇ……!」
止めどない悪態と一緒に、滾る感情を必死に飲み込む。優先すべきは己の憤慨ではない。望月は素早くコートを脱いで、桃子をそっと包み込んだ。それから、できる限り優しく笑いかける。桃子の震えが少し収まった気がした。
背後から、なおもヘドロを垂れ流す下水管。
「いやだなあ、誤解ですよ。僕たちはただ、仕事のことでちょっと話し込んでいただけで」
「この方、あなたと同じ職場の人なんですか?」
一応、桃子からも事情を聞いてみる。彼女は深くうなずいて、しかし取り乱すこともなく、ひたすらに唇を噛み締めていた。恐怖のあまり動けなくなってしまったのか。それとも、こんな腐れた世界に埋もれて、鈍感にならざるを得なかったのか。
「あなた方が仕事仲間なのは確かなようですが、本当に仕事の話をしていたんですか? 仮にそうだとしても、さっきとは言い分が違いますね。これではあなたが疑われても仕方がないのではありませんか。今一度、誰もが納得できるようちゃんと説明してください」
深呼吸をして、男を鋭く見据える望月。今は変装中だからと自身に言い聞かせることで、かろうじて紳士的な態度を保っていた。
「もう何でもいいだろう。あんたみたいな部外者には、関係のない事です」
男が言葉を発するたび、その安っぽい仮面がどんどん剥がれ落ちていく。それと同時に、望月は強い猜疑心に苛まれていた。こんなやつが本当に、都心のオフィス街で働く一流のビジネスマンなのか、と。
「まあまあ、細かいことは気にしないでくださいよ。俺、急いでるんで」
「いや待ってください。まだ何も弁明してないじゃないですか。あなたが彼女にしでかそうとしていたこと、ちゃんと認めて謝るべきだと思います」
「あ~も~鬱陶しいんだよてめぇ!」
男が感情に任せて、とうとう腕を振りかぶる。馬鹿な上に情緒不安定かよ。望月はほんの瞬きする間に、男の腕を払い、捻りを加えた突きをみぞおちに決めると、男の両肩をがっしりと掴んだ。むろん、肩甲骨に指先を食い込ませて、腕の動きを固めてある。
「そんなに大声出しちゃダメですよ、お兄さん」
望月はそう微笑んでから、静かに男の耳に唇を寄せる。
「望月の死神って、聞いたことある?」
男の肩がピクっと震えた。望月がため息をつき、力なく身を引く。
この反応、この横暴、この幼稚さ。やはりこいつは、このプロダクションは――どこかの大きな犯罪組織と、裏で繋がっている。
「お、お前、あの時はよくも総帥を……」
「あなたたち、どこをほっつき歩いているの!」
押し殺した叱責の声が、どこからともなく横槍を入れた。声の方を振り返ると、サングラス姿のスレンダーな女が、赤いエナメルのヒールを鳴らして歩み寄ってきていた。望月がまたも目を丸くする。彼女こそが、現役モデルかつ女優にして、前山プロダクション代表取締役社長、芹沢澪であった。
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