茜色した思い出へ
三題噺トレーニング
青春は終わり、
「青春はもう終わりだ」
ユウナが突然適当なことを言い出すのは今に始まったことではないので、ミコトは「はぁそうなの」とだけ呟いて執筆中のテキストから目を離すこともしなかった。
「聞いてよ~。あたしゃ不安なんだよ。『いつかあたしも大人になるのねウフフ』っつって二十八年も生きてみたのにいつまで経ってもオトナになれないこの、アレよ」
「唯ぼんやりとした不安」
「そ~~~それ、それなんです」
ようやくミコトが顔を上げて眼鏡を直す。
「『青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ』」
「は?なにそれ」
「サミュエル・ウルマン」
「知らない」
「別に年取って青春でもいいんじゃないの?よくわかんないけど」
「ダメなんよ!酒を朝まで飲んだみたいなくだんねー話を老人ホームでし続けるばあさんにはなりたくない!なりたくないの!!助けて!!」
結局ユウナとしては、もう少し大人びた生活がしたいというだけの話だった。
今の二人の生活は。
二人とも昼の職について、週末は一緒に過ごす。それ以外の時間は自由。ユウナはやたらと多い友人(男女問わず)とアクティブに遊んでいる一方で、ミコトは家で本を読んで、小説を書く。たまに賞に出したりする。
まぁ、確かにユウナの生活は20代のころから変わっていない。それはミコトも同じだが。
しかし、と抱き着いてくるユウナをソファに連れて行ってよしよしと撫でながらミコトは思う。そうか、もうすぐ私たちも三十歳になるのか。
同棲を始めて3年。出会ってからは10年以上。
ユウナとミコトの付き合いは高校の教室、ユウナがミコトの机の上に座り込んで別の友人と話し込んでいたところに戻ってきたミコトが「邪魔」と顎まである前髪をざらざらと揺らしながらにらみつけた時から始まった。
が、その後は全く別のカーストで生きた二人は会話をすることもなく卒業。ユウナは上京して就職、ミコトは地元の大学の文学部で現代語文法の変遷についてちまちまと論文を書いてから上京した。
ミコトが上京して真っ先に探したのがレズビアン・バーだった。自身が同性愛者であることは中学生のころに自覚していた。
地元ではそんな洒落た店などないが故にミコトはビアン・バーに少し曲がった形の――ビアン・バーたるもの美しく優雅なお姉さましかいないハズなのだという――憧れを抱いていたのだが、その思い込みを打ち砕いたのが誰であろうそこの店子(バーテンダーのことだ)として働くユウナだった。
アッシュゴールドの髪をサラサラと振り回し、店の客とゲラゲラと笑うその姿になんかその、思てたんとちゃうな……という気持ちにはなったミコトではあったが、そこはそれ、ユウナの軽快な語り口から地元の場所を喋らされ、ユウナが「あー、もしかしてさ!!」となるまで30分もかからず、一晩で完全に意気投合するところまで駆け抜けた。
その後、二人は関係を深めていくのだがしかし、客と店子の関係はご法度。それでも二人で一緒になるために店の界隈全ての人脈を失いながらも結ばれる「青春」ストーリーがあるのだが今回は青い春の話ではない。
青春の次に来るのは朱夏、赤く熟れた夏である。
ユウナがそろそろ落ち着きたいというのであればミコトにとっては望む所だ。
もうユウナの朝帰りにあきれることはあっても嫉妬することなんてないが、翌日使い物になるのに夕方までかかるようになった恋人を見ていると年月の経過を突きつけられるような気分にもなる。
「あたしも小説、書いてみようかな」
ユウナが膝の上でぼそりとつぶやく。ミコトは返答に悩む。
「割と青春な趣味じゃない?小説書いてるのなんて若い子が多いんだし」
「でも作家の人って大半は30歳以上でしょ?続けられるってことじゃん」
「まー、それは、そう、かも……?」
ミコトは自分の目が泳いでいることを自覚する。
「せっかく身近に書いてる人間もいるわけだし?」
「それはね、私自身ずっと続いてるし、いいと思うよ。やー、でもなー、大変かもよ?」
「あんた賛成なのか反対なのかどっちなんだよ……」
仲間を増やしたい気持ちと自分がやってるのはそんな単純なことでもないんだけどねという複雑な気持ちがミコトの歯切れを悪くする。
「まぁ、あたしはミコトが書いてるみたいな男同士のには興味ないけどさ」
「別に私は一般向けも書いてますぅーー! 最終選考までいったのも一般向けですぅーーー!!!」
ともかくユウナも小説を書いてみることになった。
三日で飽きるだろうというミコトの予想は意外にも裏切られた。
ユウナのアクティブさというものはつまり、全てのものごとへのハードルの低さなのだとミコトは思い知る。
例の会話の後、ミコトがまず勧めようとしたのはPCの購入、そしてしかるべきライティングソフトの導入だったが、ユウナはそれを聞き流しつつ、Googleで情報を集めたうえで「このカクヨムってサイトにスマホで直接書けばいいじゃんね」と結論づけ、ミコトはぐぬぬと唸ることしかできなかった。
とはいえ流石にさぁ書いてみろと言われてもユウナには難しいのでミコトの出番。
ミコトのアドバイスはシンプル。
まずは身近なテーマで。
500字くらいの短いお話から。
そこからすこしずつ展開を複雑にしていく。
そして何より大事なことは、一つの小説を必ず完結させること。
ミコトが十数年小説を書き続けてきたうえでの鉄則。
ユウナが初めて創りあげた500字の世界は、小説サイトに無事アップロードされ、1週間で5回読まれた。
「5人も見ず知らずの人間が見ず知らずの人間の話を読んでるってヤバいな」
ミコトはユウナのリアクションが意外だった。
「もっとバズりたーいって感じかと思った」
「いやいや、5人に話聞いてもらうってめっちゃムズいよ。ホント、ムズいと思う。嬉しいな、これ」
頬を緩ませるその姿で、ミコトはユウナのこの趣味への適正を確信する。
たった一人にでも読まれたら嬉しい、という気持ちが小説を書くうえでは何より大事なのだと(先週アップした連載最新話が思うように伸びなくてイライラしている自分は棚にあげて)ミコトは知っている。
それからのユウナは人が変わったように、とまではいかないが、少しは常識的な人間になってきたようにミコトには感じられた。
友人たちともしょっちゅう遊びには出かけるが、日付が変わる前には帰宅することが増えた。そもそも、彼ら彼女らも夫婦になったり、親になったり、自分の時間を誰かのために使わなくてはいけない人が増えたのだとか。
ほろ酔いで帰宅したユウナを迎え入れて風呂に連行し、寝る前のもう一杯に付き合いながら、かたかた、ぽちぽちと物書きする時間を、ミコトは思っていた以上に幸福に受け取っていた。
なるほど、青春の先にある落ち着いた生活は悪くない。真っ赤な夏というよりはトーンを落とした、茜色の生活。
「自信作を読んでくれや」
土曜日の昼間だった。昨日は週末にも関わらず飲みにもいかず、遅くまでスマホに向かっていたとは思っていたが、どうやら創作がノっていたらしい。
「夜にノリノリで作った文章は校正してから人に見せた方がいいよ」
「あー!ロマンがないわ!そういうのはアップする前にするから!!」
校正の重要さを知らんのか……と物書きとしてのミコトが頭をもたげてくるが仕方ないので抑えてやる。いい出来の作品が出来たらすぐ見てもらいたいよね、わかるわかる。私も校正前に恋人にじゃじゃーんって見せたいなって6年ほど思い続けてきたけど恋人は大概酔っ払ってました。
『茜色した思い出へ』というタイトルのその短編小説は、ユウナにとって身近な話をもとに作られていた。
二人の女性の恋愛小説。高校生のころに出会った二人は、若さゆえに自分自身の身体のかたちや想いのかたち、そして相手のそれら、社会のそれらの全てに振り回されて、悲しい別れを遂げてしまう。
しかし数年後に再会した彼女たちは、ようやく自分自身を、それぞれを受け入れることができるようになり、もう一度関係をやり直していく。
ミコトがしばしば呟いている詩を覚えていたのか、引用されている。
『ごく自然に、だが自然に愛せるということは、そんなにたびたびあることでなく――』
ラストシーン。夕焼け空の中、主人公は恋人に結婚を申し込む。そんな書類にもならないものがどれだけ脆弱なのか分からないけれど、二人の愛情ができるだけ長く続きますようにという祈りを込めて。
受け入れた恋人がその手を取り言う。
「私、今日のことをずっと忘れない。おばあちゃんになって、その話はもう聞いたよってみんなに何回言われても、何回でも話しちゃう。今日の思い出のこと」
……良かった。ユウナがここ最近考えていたらしい、「青春の先」というキーワードが程よく消化されていて、恋愛小説としても上出来だ。
「思ってたより良かった~」
「結婚しよう」
ミコトがデスクから振り返ると、指輪のケースを開いたユウナが跪いていた。
「……お?」
ミコトの時間が停止する。あわせてユウナの時間も。
……。
「いや、結婚……」
「お、おおおおおおおううぅ……!!」
鼻の奥にガンガンとこみ上げてくる感覚がミコトの言葉を奪う。
サプライズに成功したはいいけれど予想以上のリアクションに戸惑うユウナの姿が目の端に見えて微笑ましい。今は顔が忙しいから微笑むなんてできないが。
顔を隠したくてユウナを抱きしめる。
「よ、喜んでぇ~~~!!」
「なんかイメージと違うんだけど……」
青春は終わって、赤い季節がやってくる。
これから積み上げられていく茜色の思い出たちを、いつか二人で振り返るんだろう。
同じ思い出話を何度も、何度もするんだろう。
茜色した思い出へ 三題噺トレーニング @sandai-training
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