02.公爵夫人、振り返る

「思い返せば一昨年の冬のことでした」


 再び頬杖ポーズに戻ったエリンは、遠い目で語り始めた。


「話し方おかしくありません?」


 ジュリアは少しばかり心配になり、やはり止めるべきではないかと思った。


「ショーンとカーディに行ったのです。もちろん、泊まる部屋も別だし、侍女たちも連れていたわよ?」


「なるほど、それで?」


 が、やはり好きにしゃべらせることにした。

 未婚の令嬢ならともかく、離婚歴のある女性が恋人を持つことは珍しくもないし、独身の男性と旅行に行ったところで別に責められることではない。それに、通常聖職者は異性にカウントされないので、エリンがショーン・スミスと旅したこと自体は問題ではない。

 問題なのは、ジュリアの気持ちだ。知らぬ間によく知る二人がそんなことになっていたとは。今ジュリアの心は傷つい――嘘だ、正直物凄くワクワクしている。


「母方の祖母が倒れたとかで、ポンコツ祖父から連絡があったのです」


「唐突な罵倒」


「正直会ったこともない人だし、勝手に野垂れ死ねとも思ったのですが、父が母のために行ってくれと言うので、仕方なく祖父のいるカーディに向かいました」


「まあ、お母さまを売り飛ばしたようなものでしたものね……」


「とはいえ、正直、相手の態度によっては私が引導を叩きつけてしまうかもしれないと思ったので、冷静な第三者に同席してもらおうと思い、ショーンにお願いしたのでした」


「何故?」


「私は家族のこととなると、周りが見えなくなることがあるし、並大抵の人では私を止めることはできません。ジュリアはベスを妊娠してて臨月だったし、他の友達は平民だから、元とはいえ貴族の家庭のいざこざに巻き込みたくなかったし。

 それで、ショーンは母の事情をよく分かっているから、だと思って声を掛けたつもりだったの」


「だけど?」


「ショーンは絶対私の味方をしてくれるって信じてたのね」


「ほほう」


「そういや、カーディにアレクサンドラがいたのよ。私の従兄と結婚してたわ」


「……え、ええ!? アレクサンドラって、あの? アレクサンドラ・ウラン?」


「そう、そのアレクサンドラよ」





 エリンの異母妹のアレクサンドラは、両親の離婚後、母方の祖父、前ウラン伯爵の養女になった。それから静かに暮らしていると聞いていたが、確かに海運のウラン家であれば大きな港のあるカーディで暮らしていてもおかしくはない。そこは海軍と貿易の拠点で、リゾート地ではないので、醜聞にまみれた彼女が社交界から距離を置くにも丁度よかっただろう。


「そうなのよ、なんか、すっかり毒気がなくなっちゃっててびっくりしたわ。憑き物が落ちたみたいだった」


「ちょっと待って、情報量が多過ぎます。そっちも聞きたい」


 話が逸れるのは婦人同士の会話ではよくあることだ。エリンもいつもの調子に戻ってきたらしく、ちゃきちゃきと歯切れのいい口調で答えてくれた。


「それがね、あの子、あれからやっぱり調子を崩しちゃって、夜眠れない時があったんだって。で、夜のカーディ湾を歩いてたら、基地の警備中だった現在の夫に捕まったらしくて」


「……コメントに困る出会いですね。

 ちなみに、従兄殿は何をしてらっしゃるの? やっぱり海軍に?」


「当時はね。今は海軍向けの品を卸している商会に勤めているわ。士官と違って長く家を空けることもないから、アレクサンドラのためにもよかったと思う。いい人だと思うわ。私の祖父母と違って」

 含みのある言い方に、ジュリアはカーディでの出来事の大枠を察した。


 エリンの母親は、実家、パラディン家の経済的困難を救うためにチャーチ伯爵の愛人となった人である。その後約束を反故にされたパラディン家の面々は彼女を救い出したそうだが、どうやら一筋縄では行かない人々だったらしい。


「性懲りもなく、詐欺に引っかかってお金取られてたのよねえ」


「あ、ああ……なるほど」


「で、母も有名女優で儲かってるだろうから金を出せって。それから私もね」


「は? 意味が分からないですね」


 エリンが今の財産と地位を築くために、どれほどの苦労をしたのか、彼女の後にシーモア公爵夫人となったジュリアにはよく分かる。生まれながらの貴族ではなく、血縁も人脈もない彼女があれほどの地位を得るには、きっとジュリアよりも大変な思いをしたはずなのだ。

 突然現れて金を出せだなどと、どの口が言うのか。


「まあ、それはもういいのよ。伯父とも話をつけて、妙な『儲け話』とやらの後始末も済んだし」


「色々言いたいことはありますが、とりあえずおいておきます。

 で、その時スミス先生はどうしていたんです?」


「私が祖父の頭をかち割るのを防いでくれたわ」


「詐欺が殺人未遂の話に!?」





「思えば、当時母は病床にあり、私はとても冷静な状態ではありませんでした」


「口調戻りましたね」


 エリンの母サンドラは、半年ほど前に亡くなっている。エリンがいま父親と同居しているのは、最愛の妻を亡くして意気消沈している彼を案じたためだった。


「一人で行っていれば、私は思いのままに祖父を非難して、パラディン家との縁は切れていたことでしょう。そうすれば、最期に両親の顔を見たいと言った母の願いを叶えることもできませんでした。

 ショーンが一貫して私の味方をしてくれたから、私は冷静さを保てたような気がします。

 だけど、あれ、ママのために味方してくれてると思ったんだよねえ」


「なるほど、それでスミス先生の好意に気づくのが遅れたのですね」


「うん……」


 エリンがすっかり冷めて、ただの水になった白湯を口に運んだ。薄い白磁に異国の花々を描いたティーカップは、ウラン家がもたらした東方の陶磁器だろう。最近ではこの国の工房も似たものを作り始めているようだが、東方産の薄さと繊細な色合いを再現するには至っていない。


「ショーンが怒るでも媚びるでもなく、淡々と祖父の間違いを指摘するのを――つまり、私に代わって矢面に立ってくれるのを、不思議な気持ちで見ていました。私、あまり人に庇われたことないから、変な感じでした」


「エリン様は自分で戦えるお人ですからね」


「守られたいとも思わないのだけど。だって、それって相手に借りを作ることになるじゃない。借りってつまり弱みだから、隙を作ることになるでしょう」


「エリン様は、スミス先生に庇われて、嫌な気持ちになったのですか?」


「いいえ。ほっとしたわ」

 間髪入れず答えて、エリンは自分でも意外そうに目を瞬いた。それから「ふう」と小さくため息をついた。

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