【番外編】公爵夫人たちの昼下がり
01.公爵夫人、公爵夫人に呼び出される
エリン・チャーチ・シーモアの家は、王都の高級住宅街のはずれにある。優美な装飾のある鉄柵や門には蔦薔薇が這い、門から玄関ポーチまでの短いアプローチの両脇には、花々が整然と幾何学模様を描いている。小さいが細部まで行き届いた瀟洒な建物だ。彼女はそこに、父と厳選した使用人たちと暮らしていた。
その年の社交シーズンが始まってしばらくして、エリンに呼び出されたジュリアは、侍女の手を借りて馬車を降りた。
夫も共に訪れることが多いのだが、今回は何故かジュリアだけ来てほしいという手紙が昨日届いたのだ。ジョージのうっかり加減はジュリアもよく知っているので、また何か失言でもしたのだろうと、彼女はあまり気にも留めなかった。
まあ、最近しつこく彼女に言い寄っている少々厄介な某伯爵の愚痴でも言いたいのかな、それなら女同士の方がいいものね、などと思っていた。
――のだが。
「ど、どうなさったのですか……」
「とりあえず座ってよ」
ジュリアは応接間ではなく、エリンの私室へと案内された。部屋の左手にベッドがあり、右手に応接セットが置かれている。応接セットのテーブルの上には、一抱えもあるほどの深紅の薔薇が飾られていた。
エリンは、いつもの彼女なら人前では身に着けないであろう、ほとんど装飾のない麻の日常着を着て、髪は自分で結わえたのか緩く一つに結んだだけの姿だった。化粧もしていないのではないだろうか。とはいっても、三十近くなってもエリンの美貌は衰えることを知らず、着飾っている時と遜色はなかったのだが。それどころか素の美しさが際立っていて、何かいけないものを見た気分になり、ジュリアは思わず、ほう、とため息を吐いた。
「悪いけど、お茶は自分で注いでくれる? あまり人を入れたくないの」
「え、ええ、それは構いませんけど」
そう言われて、ジュリアは席に着く前にとりあえずお茶を淹れることにした。メイドが置いて行ったらしいワゴンの上のティーポットに、茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
――温いわ。
が、お湯から湯気が立たない。
ジュリアは諦めて、カップに直接ぬるま湯を注ぐことにした。
「プロポーズされたの」
エリンも白湯がいるか聞こうとして――爆弾発言に、ジュリアは固まった。
「ショーン・スミスに」
手にした茶器が、カチカチと音を立てる。ジュリアは深呼吸をしてから、がばりとエリンの方を振り返った。
「何ですってー!」
もうお茶とかどうでもいい。ジュリアはエリンの隣に腰を下ろし、彼女の顔を覗き込んだ。
離婚してからこの方、エリンは隙あらば求婚されており、その気がなければ即断っている。こうして相談してくる時点で、ジュリアはエリンの気持ちをあらかた察した。
「どうしよう……」
こんなに動揺しているエリンを見るのは初めてだ。ジュリアは、やっぱり白湯を彼女に勧めることにした。
ぬるま湯を手に、エリンはぼんやりと窓の外を眺めている。
「昨日の舞台の後にね、楽屋に来たのよ、ショーンが。
で、いつもの如く薔薇を持っていたから、いつものプレゼントだと思ったわけ。
で、『ありがとう、これで何本目かしら』って言ったら『今日は数を数えていません。持てるだけ、ありったけの薔薇を持ってきました』って。だから、『あなたの専属女優にならないと、今度は家いっぱいの薔薇を贈られちゃいそうね?』って言ったら、『専属女優ではなく、妻になってほしいのです』だって」
一息にそう言って、エリンはテーブルの上の薔薇を見やった。「これの倍くらいの量よ」と言って。
「おお……! スミス先生ったらなかなかやるわね……。私もジョージ様からのプロポーズの時には薔薇の花束をもらったものですが、そんなに大量ではありませんでしたわ」
「……」
☆
エリンとショーン・スミスがゴルゴン亭で会ってから、もうかれこれ十年近く経つ。スミスはシーモア公爵家の顧問を現在も続けており、ジュリアも彼が俗人に戻ったことは知っていた。シーモア公爵夫妻には、少々聖教会の方から
「えっと、エリン様とスミス先生は、以前からそういう関係で……?」
確か、彼はエリンより二十ほど年上のはず。もうすぐ五十になるのではないだろうか。まあ、その年で結婚する男性はいなくはない。いなくはないが、彼はそんな素振りを見せたことはなかった。今のジュリアの正直な気持ちは、まさか、あのスミスが、である。
「そういう関係?」
「ええ、少々唐突な感じがしたものですから」
「ああ、そうね」
エリンは自分の膝に両肘を置いて、頬杖をついている。ぼんやり窓の外を眺めているのは、記憶を呼び起こしているようだ。
「いえ、別にそういう関係では……そういう、そう、いう? え、あら……ええ? うわあああ!」
「エリン様!?」
エリンは頬杖をついていた両手で、今度は顔を覆い隠した。
「そういう感じだったわ。確かに、そうよね。そうよ、かれこれ三年くらい、そういう感じだったわ!」
「な、なんと」
エリンの耳が赤い。エリンがこんな風に悶えるのも意外であったし、スミスがエリンとエリン曰く「恋人のような感じ」になっているというのも意外だったし、あのエリンがそれを意識していなかったというのも、ジュリアには意外だった。
エリンは今、予想だにしない状況に動揺し、ジュリアに助言を求めている。ここは既婚者らしく、ためになる助言をすべき――
「それ、もっと詳しくお願いします」
――だが、とりあえず、詳細を聞くべきかもしれない。
ジュリアは、エリンの肘に手を置いて、にっこり微笑みかけた。
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