第4話 公爵家の回復

 ジョージの釈然としない気持ちはさておき、彼女が動く先から、魔法のように新しいことが起きていく。

 有能なコンサルタントによる領地経営のてこ入れだけではない。

 行動を共にしていたはずなのに、ジョージには見えなかったことが彼女には見えていた。しかも、お金の使い方に迷いがないし、外さない。彼女が指させば、必ず金の泉が沸いて出る。

 久しぶりに前公爵夫妻とスミス博士が王都へと戻った時、エリンは一つの提案をした。


「人を集めて、そこで分業してはどうかと思うの。

 今は各家で春先から初夏に毛を刈って、夏から冬の間に製糸や機織りをしているでしょう。

 あのね、若手の工学者が手で紡ぐよりはるかに早い糸車? を作ったの。それから機織り機もかなり早くて綺麗にできるものを見つけたわ。ただ、生産の資金が足りなくて出資者を探しているんですって。だから、公爵家が名乗りをあげる」


 そういえば、エリンと一緒に参加した大学の援助の打ち合わせや寄合に参加した時、そんなようなことを話しかけてきた者がいた気がする。


「だけど、各地にこれを置くとなると効率が悪いから、一か所に羊毛と製糸機と機織り機を集めて、人も集めて生産性を高めたらどうかしら。運輸費も羊毛を運ぶだけで済むし、大量に、品質の揃ったものを作ることができるうえに生産量が跳ね上がるはず」


「しかし、まだそこまでの大きな投資をするほどの余裕はありません」


「私がお金を出すわ。持参金を投じます」


「……あなたがそれでいいのなら。そのお金をどういう扱いにするかは、また考えましょう。

 人手はどうするのですか? 羊飼いたちも毛刈りの季節以外暇なわけではありませんよ。そのどこぞに彼らを集めては、羊の世話が疎かになります」


「失業者を募るのはどう?

 王都では故郷であぶれた農家の次男三男が仕事を求めてやってきているけれど、ちょっと病気やケガをするとすぐにクビになってしまうのよ。夫のいない母親や、親を失った子どもたちも、王都で仕事を探しているけど、やっぱり若くて体力のある男性より仕事の口は少ないし。

 でね、新しい機械はそれほど力もいらないし、歩き回ったりもしないから、そういう人たちにやらせてはどうかしら」


 そういえば、救貧院での炊き出しで、エリンは熱心に話を聞いていた。


「なるほど、それはよいお考えです。

 しかし、そうすると羊飼いたちの収入が減りますね」


「最近北方から持ち込まれた薬草があって、美容効果があるって貴婦人たちの間で人気なの。わが国でも冬であれば、環境を整えれば育てられると聞いたわ」


「――エリン様、あなたはやはりチャーチ伯爵の娘ですね」


「どうかしらね……」


 そうして、結婚式から季節が二巡する頃、公爵家の帳簿は、久方ぶりに黒字をたたき出すことになるが、それはまだ先の話。



 そして、何より痛快なのが、あのチャーチ伯爵を出し抜いているという事実だった。

 ショーン・スミスの言った通り、チャーチ伯爵は公爵領を破格の金額で借り受けたいと言ってきた。すでに土地の目星もつけていて、たしかにそれは牧羊に最適な土地であった。というか、すでに牧羊に手を付けていた地域だった。

 これまでならシーモア家は言いなりになるしかなかった。しかし彼女は。


「高すぎるわ」


「高いことに何の問題が?」


 チャーチ家の代理人が怪訝な顔をする。


「シーモア公爵家としては、ただでさえ経済的恩恵を受けているチャーチ家に、ここまでしていただくのは申し訳ないと考えておりますの。

 それに、どうしてこれまで土地を担保にした融資でしたのに、突然土地を借りたいだなどと……これまで通りお金を貸していただければそれでよろしいのですよ?」


「いえ、それでは公爵家の面目が立ちますまい。対等な取引、という形式にしたのは、チャーチ伯爵の配慮ですよ」


「まあ、何てお気遣いかしら。今更面目だなどと、気になさらずともよいのに。何しろ、借金を盾に得体のしれない娘を公爵夫人としてねじ込まれた後ですのよ?

 当家はお金がないのだから、適正な価格でお金を貸していただく、ということの何が恥なものですか。むしろ、非常識な価格で土地を借りてもらうなど、目下の成金に情けをかけられたと侮られるのがオチです」


「はあ。それでは正直に申し上げましょう。

 チャーチ家は封土が少ないので、土地を活用しての事業というのがなかなか難しいのですよ。ご息女が嫁いだ縁で、公爵家の土地を拝借できれば、というところでして」


「それならば、やはり適正な価格でお貸ししましてよ」


「……あなたはチャーチ伯爵の娘ではないのですか」


「ええ、そうですわ。公爵家の家計を立て直すために送り込まれましたの。

 チャーチ伯爵の娘ですから、金勘定は得意ですのよ。

 その私から見て、この契約はおかしゅうございます。実質上の売買契約ですわね? 三年目以降に借金を返せていなければ譲渡するなどという文言、私見たことなくってよ」


 これはスミスも言っていたことだ。普通、土地の賃貸契約に他の借金の返済を織り込んだ文言など入ることはない。おそらく、三年の間に貴族院議員になるか土地の用途変更に関する法律の改正があるのだろうと。その後に土地を取り上げて、抗議があっても適正価格で買ったようなものと主張するのだろうと。


「それは、念のための条文であって……」


「では削除してください」


「そんなことを言える立場」


「言える立場です。当家は伯爵家から借金はしていますが、返済を滞らせたことはありません。対等な取引をきちんと履行している以上、脅しつけるような言い方はどうかと思いますわ」


 滞らせたことはないけど、借金額は増やしてるよなあとジョージは思ったが、黙っていた。

 伯爵家としては、このまま公爵家が借金を増やしていくならば、三年目の時点で追加の借金を断るだけで借金の返済が滞る、つまり土地を手に入れられるわけだ。

 彼らは、公爵家の家計が劇的に改善しつつあるのを知らない。実際のところ、前倒しで借金を返すこともできるのだが、エリンとスミスに止められて契約通りの金額を粛々と返済して、時々追加の借金を申し入れている。二人によると、事実を知ると伯爵がどう出るか分からないので、時期を選ぶべきだと。そのため、今はちょっとだけ羽振りがよくなった程度で振る舞うようにしていた。


「私は何も土地をお貸ししたくないと申し上げているわけではないのです。このような騙し打ちのような文言を織り込まず、通常の価格で、通常の賃貸契約を結びたいと、そう申し上げているだけですわ。

 ご不満なら、しかるべきところに相談してもよろしいのよ? そう、例えば貴族院の法務委員長を務めておられるキャンベル侯爵閣下とかね?」


 扇をはらりと開いて、にっこりと微笑んだ彼女は、とんでもなく魅力的だった。

 伯爵家の代理人は言葉に詰まり、いったん話を持ち帰ると言って去って行った。そして、しばらくして新たな契約の話は取り下げられ、その代わりに伯爵家は貸し付けを渋るようになったが――その時初めて伯爵家は公爵家の現状を思い知ることになる。


 とはいえ、チャーチ伯爵家は多少強引な手で迫ることも、法律上はできた。借用書には借金の返済は、銀か担保かいずれかを貸し主側が指定できる、とあったからだ。担保は土地であった。

 だが、それを許さない空気が、社交界には醸成されつつあり――

 さらにそれを決定付けたのは、結婚して二度目の社交シーズンが巡ってきた時に起きた事件だった。



 エリンはジョージを連れてさる伯爵家の夜会に参加していた。前公爵の妹が嫁いだ家で、主賓としてぜひ、と請われてのことだ。

 見慣れてきたはずのジョージであっても、見ほれるほどエリンは美しい。彼女を飾り立てたジュリアも、今夜は格別にお美しいです、とほめたたえていた。

 豊かな黒髪を緩く結い上げ、そこに天の川が流れるかのようにダイヤモンドの飾りを散りばめ、一際大きな星を左耳の後ろに輝かせている。品のよいイヤリングとネックレスは、真珠とダイヤモンド。大胆に背中の開いたロイヤルブルーのドレスは、彼女以外に着こなせないだろう。何しろ、スタイルだけではなく所作のどれをとっても美しいのだ。背中があれほど見えていても下品にならないのは彼女くらいだ。


 初め、入場しても誰も彼女を気に留めない。しかし会場を挨拶して回るうちに、だんだんと周囲の目が彼女に吸い寄せられていく。見ずにはいられないのだ。


「シーモア公爵閣下、ようこそおいでくださいました」


 主催の某伯爵が挨拶を済ますと、次々と参加者たちも挨拶に来る。主に伝統貴族達だ。今回の参加者で最も位の高い一人でもあるし、ここのところめきめきと財政事情を改善させてきた公爵家は、彼らの希望の星でもあった。困窮している時は見向きもしない者ばかりだったくせに、調子のいいものだ。


「エリン様!」


 だが、エリンの元へやってくる女たちは違う。美しく、親切で、面白い話を知っている彼女は、どこに行っても人気者だった。


「エリン様、今日も素敵なお召し物ですね!」


 エリンの腕に絡みつかんばかりに駆けよってきた少女は、ジュリアの親友の某令嬢だ。


「そのネックレスも素敵。一段とお美しくなられたのではなくて?」


 品よく扇で口元を隠しながら微笑みかけるのは、海運で財を成した某商会の会長夫人。初めは得体のしれない娘だと遠巻きにしていたが、エリンが嫁いでから公爵家が回復しつつあるのを見て、態度を軟化させていた。


「ありがとう。母のおさがりなの」


 これは初めて聞いた。そういえば、屋敷でもよく身に着けていた気がする。


「今日は王族の方も参加されているそうよ」


「ええ、王弟殿下――ふふ、ここではどこぞの国の閣下とか」


「ヴァン伯爵ですって。エンリケ・ヴァン伯爵閣下」


「漁色家で有名な方よ、皆さまもお気をつけ遊ばして」


 女性たちはひそひそと扇の影で情報を交換しあう。


「それよりも、エリン様にとっては――」


 少しばかり顔をしかめた某子爵夫人が、珍しく本気の表情でエリンの耳に顔を寄せた。


「そこの! 売女!」


 と、その時人ごみの間から少女の声が叫んだ。そしてその人込みをかき分けて、まっすぐ公爵夫妻の元へ向かってくる。

 エリンは――笑っていた。


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