第3話 子爵令嬢ジュリア・デイヴィス

 エリンは不快さを隠そうともせず、大きなため息をついた。ちなみに今日は人払いをしているので、エリンの部屋には三人しかいない。


「私が嫉妬するとかそういう話じゃないの。世間の目というのがあるでしょう。

 私の侍女にしたら、私は間抜けな妻だし、あなたは非道な夫ということになるわ。私たちが双方合意の上の白い結婚だってことは、公表しているわけじゃないのだから」


「しかし、だな」


「わかったわ。彼女の給金は伯爵家からの小遣いで私が出す。身の回りのことは一通りできるから、何人も毎日ついている必要ないもの。彼女はお母上付に。夜会や何かで身支度に人手が必要な時だけ来てくれればいいから」


「えっ……」


 そこで初めてジュリアが声をあげた。不安そうな目だ。そりゃ、いきなり姑のそば仕えなんて気が重いだろう。


「あなたがいつか、ジョージの妻になるつもりなら、身につけなければならないことは多いわ。お母さまこそは、由緒正しい公爵夫人です。身近に仕えて振る舞いを見ているだけでも、必ず勉強になるはず。

 こう見えて私はあなたたちを応援しているのよ? あなただって、正妻の侍女でも平気な厚顔無恥な愛人って思われるのはつらいでしょう」


「なるほど。ジュリア、できるか? 私も会いに行くようにするから」


「……はい」


 ジュリアはやはり不安そうだったが、小さな声で承諾してくれた。


「ジョージ」


「ジョ、ジョージ?」


 その様子を見ていたエリンが突然ジョージを呼び捨てにした。


「あんたなんてジョージで十分よ。どうしてあんたが私をお前呼ばわりしているのに、私だけ旦那様なんて呼ばなきゃいけないの?

 とにかく。ジョージ、絶対に彼女を放置したら駄目だからね。エリザベス様は悪い方ではないけど、息子の妻に子爵令嬢をあてがうことをよしとするとは思えない。『穏便に』諦めてもらおうとする可能性はあるわよ。

 できるだけ、なんて言ってる場合じゃないの。わかる?」


 エリン曰く、エリンは公爵家にとって益になるし、逆らうのは得策ではないから表面上円満に接しているだけ、だそうだ。確かに王家の血を引く母は気位の高い人だが、そんな陰険な人のように言うのはどうかと、ジョージはちょっと不満に思った。


「はは、わかったよ。それじゃあ僕付の侍女にしよう」


 少しばかり拗ねた気持ちで提案すると、エリンとジュリアが何だか同じような顔になった。


「馬鹿なの?」


「ばっ馬鹿とはなんだ!」


「それこそいわゆる愛人じゃないの。ジュリアを後ろ指さされる存在にするつもり?」


「わかってるさ。だって母上に任せたら、いびられるって言ったのはお前じゃないか」


「いいこと。まず、妻のいる男が恋人を自分の屋敷で雇おうとすること自体が非常識なのよ。出発点から間違ってるの。それから、お前じゃない。エリンよ」


「うっはい」


「でも、あなたは自分が結婚したからジュリアが不安になると思って、できるだけ側にいようと思ったわけよね。

 それは分かるし、協力しようとは思っているのよ。そもそも非常識な話だけれども。

 で、屋敷にいてもらおうとなったとき、一番彼女の今後を考えて無難なのは前公爵夫人付になることだって言ってるの。いざ結婚しようとなったとき、公爵家に仕えていたのは教育するためだって言い訳もたつでしょう。

 マイナス点はもちろんあるわよ。仕方ないじゃない。何もかも円満で少しもつらくない方法なんてないわ」


「エリン様、発言の許可をいただけますか」


 と、ここまでほとんど口を開かなかったジュリアが声をあげた。 


「ええ、もちろん」


「私、やはりエリン様の侍女としてお仕えしたいです。

 お話を聞いて、エリン様がジョージ様のことを全く男として見ていないことがよくわかりました。だから、別にお屋敷に住まわなくてもいいくらいなんです」


「ええ、ジョージのことは微塵も相手にしていないし、それは未来永劫変わることはないから安心して」


「だけど、奥様はいずれ離婚して出ていかれるおつもりなんですね?」


「ジョージ、どうしてジュリアに肝心なことを話してないのよ……」


「あ、いや、まあ不確実なことをいって期待を持たせてもなあって思ったから……」


「不確実なことなんて何もないわよ。あんたとは三年後、絶対に離婚するから」


「あ、はい」


「ありがとうございます。安心しました。

 で、エリン様は三年後に子がないことを理由に離婚されるおつもりなんでしょう。でも、それってエリン様の名誉が傷つくことになると思うのです。貴族女性にとって、子を生せないというのは――」


「別に、再婚するつもりもないから不名誉でもなんでもいいんだけどね」


「いいえ、あなた様だけに泥をかぶっていただくのは、私の気持ちが許せません。

 ですから、こうしましょう。エリン様は、父の命令で仕方なくジョージ様に嫁ぎ、彼に恋人がいたことを知った。引き裂かれた二人を哀れに思ったエリン様は私を侍女として側に置き、ジョージ様と会えるように取り計らい、閨を共にすることもなかったと」


「でも、それだと三年の間、あなたは厚顔無恥な愛人ってことになってしまうわよ」


「そのくらいの不名誉がなんでしょう。最後には汚名を雪ぐことができると分かっていれば、問題ではありません」


「……ジョージよりあなたの方がよっぽど肝が据わっているわね」


 女二人が顔を見合わせてくすりと笑った。


「一つだけ、いいかしら」


「はい」


「恋や愛は永遠のものではないわ。三年後、ジョージがあなたを好きでいる保証はどこにもないの。それでもいいの?」


「構いません。もちろんジョージ様を信じていますが」


「君を捨てたりしないよ!」


「たとえ捨てられたとしても、私とエリン様の友情物語は成立しますでしょう?

 エリン様は寛大で心優しい妻、私は汚名に耐えた忍耐強い娘。まあ、縁談は難しくなるかもしれませんが、侍女の口くらいはあると踏んでいます」


「よくわかったわ。そこまで言うなら私の侍女として働いてもらいましょう」


 最終的に、ジョージをそっちのけで女二人でがっちりと握手していた。一体どうしてこうなったんだ……と思いつつ、なぜかジョージも悪い気はしなかった。非道な夫の役くらい、やりおおせてみせようではないか。



 そうして、ジョージは足しげくエリンの部屋へと通うようになった。

 もちろん、エリンの側には伯爵家から新たに送り込まれた侍女もいる。

 エリン曰く、愛人を妻の侍女にしていようと、伯爵は絶対気にしない、何故なら彼自身がそういうことをやりかねない男だから、とは言っていたし、結婚までジョージとジュリアが恋人であることは隠していなかったから、伯爵家の侍女の前でも特に関係を隠すことはしなかった。

 エリンもよく会話に加わっていたから、伯爵家の侍女からしたら不可解な関係だろうと思う。それもまたおかしくて、時々三人で目を合わせて笑うこともあった


 一方、エリンはというと、夜会や晩餐会に積極的に参加して社交界の情報収集に努めた。エリン・シーモア公爵夫人の評判は上々――何しろ人を惹きつけるすべは知り尽くしている。彼女にとって、夜会は舞台であった。

 傍らには、常にジョージ・シーモア公爵の姿――何しろ、伯爵家の侍女を遠ざけなければならないので、ジョージが同行して彼のお付きがいるから、という理由付けをするのだ。

 となれば、社交界では若き公爵夫妻は仲睦まじいらしい、ということになる。


「あのチャーチ家の隠されたご令嬢というから、まあどんなものかと思っていたが、何だか君、幸せそうじゃないか」


 晩餐会の食事の後には、男女に別れて歓談することが多い。主催の家の当主が男共に「祖先伝来の甲冑が」だとか、女主人が「新しいドレスが」等と言って、それぞれ男女を引きつれて別室に移動するのだ。

 今日の会場はジョージの旧知の友で、とある侯爵家の嫡男だった。彼が自慢の庭を案内するというので、参加者の男たちは邸宅のテラスで少々強い酒を嗜んでいた。


「まあ、そうだな。思っていたのとは違うな」


「そうだとも。アレクサンドラ嬢は悪い娘ではないが、歴史ある公爵家にはどうかと思っていたからな。その妹とあっては」


「まあ、姉妹といっても……な」


 五人の参加者のうち、最も年下の某伯爵令息が思わせぶりな言い方をして、他の四人があいまいな笑い声をあげた。


「ああ、エリン夫人は物凄い美人だ。チャーチ伯爵の掌中の珠だったんだろうよ。アレクサンドラ嬢があんなことにならなければ、きっと王家にでも差し出すつもりだったに違いない」


「確かに、見た目だけではないぞ。私の母も褒めていたが、所作も非の打ちどころがない」


「それに今日のドレスはどうだ! 私は女の装いなど詳しくはないが、あのデザインが非凡なのはわかるぞ。あれほど洗練された女性など見たことない」


 一人が言い出すと、他の者達も追随するように口々にエリンを誉めだした。

 彼女が美しいことも、センスがいいことも事実だが、自分が誇らしげにするのもおかしい気がしてジョージ・シーモア公爵はニコニコとするしかない。


「いやいや、君たちはわかってないな。

 ジョージ、君、救貧院での奉仕活動に参加したって? 大学に特別講座の寄付をしたとか。

 君が慈善活動だなんて――奥方の影響だろう」


「ああ、まあ」


 影響というか、ジョージは付いて行っただけだ。少しばかり居心地の悪い思いで、ジョージは相槌を打った。ちなみに、エリンはそれらだけではなく、商人の寄り合いにも顔を出している。何と言っていたか――情報収集だか人脈を作る、だったか。生まれた時から公爵家の嫡男で、行動範囲といえば社交界の範囲内、人は向こうから寄ってくるという感性だった彼には思いつきすらしなかったことだ。

 この半年で、ジョージの世界は目まぐるしく変わっている。エリンのおかげで。


「やはりな、諸君、エリン・シーモア夫人は見た目だけではなく、心も美しいということだ」


 いや、それはどうだろうな――彼女は賢くて行動力があり、人の心をつかむのが上手いが、心が綺麗かどうかは疑問だ。どっちかというと打算尽くしで汚れていると、ジョージは思う。見た目の力って凄い。


「まあな。両親も彼女のことは気に入っている」


 そう、エリンの紹介したショーン・スミスは女への耐性のなさはともかくとして、極めて有能だった。この半年で、公爵家の収支は目に見えて改善している。儲けが増えるごとに、前公爵夫妻のエリンへの評価は向上するばかりだ。


「伝統貴族の筆頭が、新興貴族に膝を屈したかと思ったが、両派の融和だったという訳だ」


「融和といえば、知っているか? モーガン家の夜会での一件を」


 いや、知らない。ジョージの知らない話だ。モーガン家の夜会には当然ながらジョージも一緒に参加していたが、会場に入ってしまえばぴったりエリンに引っ付いているわけではない。


「ジュリア・デイヴィス子爵令嬢の親友の某令嬢が、こう、『泥棒猫!』とやったわけだよ」


 ――全然知らなかった。彼がエリンと合流した時には、和気あいあいとやっていた。


「エリン夫人がどう返したかというとだね、『まあ、なんてこと』と。

 で、二人で部屋に引っ込んで、戻ってきたら、なぜか仲良く腕を組んでいてだね」


「お? 何が起きたんだ?」


「さあなあ。ただ妻の言うところによると、エリン夫人は社交界にも出ていなかったから、ジュリア嬢とジョージの関係も知らずに結婚したのだろうと。それならと某令嬢はエリン夫人にも同情したのではないかな。

 ところでジュリア嬢がシーモア公爵家に奉公に出たというのは本当か? 妻もちょっとばかり顔を顰めていたがな」


 そういう男の目は下世話な好奇心に満ちている。何をどう言っても自分が悪者になるような気がして、うん、ともいいえ、とも取れる曖昧な相槌を打つに留めた。

 ジュリアとエリンのやり取りでは、ジュリアが厚顔無恥な愛人と見えるというデメリットの話は出たが、こういう話題が出ることはあまり考えていなかった。ジョージはこんなはずでは、と少しばかり後悔した。


「それにキャンベル侯爵夫人ともいつの間にかお茶会に呼び合う仲になっているとか」


「あの? 貴族は食わねど、の? チャーチ伯爵家のごとき家は最も毛嫌いしているのでは?」


「母の話によると、どうも亡くなった娘さんに似ているとかで、エリン夫人も同情してよく会ってやっているらしい。手土産を持参してね」


 ――全然知らなかった。そういや、チャーチ家の意向に沿う外出ならジョージと一緒ではなくてもよいのだった。伝統貴族に食い込むのはチャーチ家としても望ましいことだろうから、伯爵家の侍女を連れて行ったのだろう。


「君、本当にできた妻をもらったのだから、大事にしたまえよ」


 そう言われて、何となく釈然としない思いを抱きつつ、ジョージは神妙な顔で頷いたのだった。

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