第67話 バイトや講義には遅刻しなくても…
「おはよう、今来たところだから気にしなくていいよ」
「おはようございます。私も今来たところですから、全然待ってないですよ」
お互いに軽く笑って数秒、
「本当すみません!寝坊しました!」
碧さんが腰を折って、つむじがはっきり見えるくらいに頭を下げていた。
さて、なぜこんな状況になったかということだが。
現在の時刻は午前10時40分。
本日は、碧さんと買い物に行く予定だった。待ち合わせ時間は午前10時だったのだが、10分経っても姿が見えなかったので、近くにある彼女のアパートを直接訪ねることに。待ち合わせ場所がコンビニなので、アパートに近いからこそ訪ねる決心がついたというものだ。
もちろん、すれ違いにならないようにメッセージを送ってから。
そして、アパートに到着。電話をかけながらインターホンを鳴らす。
それから数十秒後に、中から何かが慌ただしく動き始めた音が聞こえた。
ひとまず、何か事件に巻き込まれていたわけではなかったと分かり一安心だ。
中から物音が一切聞こえなくなってから数分後、静かにゆっくりと部屋の扉が開いた。
「おはよう」
ここでようやく冒頭に戻るのだが。
「お、怒ってますか?」
「別に怒ってないよ。碧さんも寝坊するんだなって意外に思ったけど」
「普段は寝坊なんてしないんですよ…。その、昨日はなかなか寝つけなくて…気づいたら6時で。やっと眠くなってきて眠ったらこの有様でした…。本当にごめんなさい」
「40分の遅れなんて、電車の遅延でもたまにあるし気にしなくていいよ」
交通機関の遅延だと思えば対して気にならない。不可抗力みたいなものだと。
「でも、それめちゃくちゃしんどいやつじゃないですか」
たしかに。
「ところで、なんで寝つけなかったの?」
未だに申し訳なさそうにする碧さんに、なぜ寝つけなかったのか尋ねてみる。
「…その、楽しみだったので…。…小学生の修学旅行かって感じですよね、本当お恥ずかしいかぎりで」
下を向いたまま、軽く自分に呆れたようなため息を漏らしながら答えた。
「それを言われると、何にも言えなくなるんだけど。それに、そう言われると嬉しいな」
たかだかプレゼントとして眼鏡を買いに行くだけなのに、楽しみにしてくれていただなんて聞くと、嫌な気になるわけもない。元々腹を立てていなかったが、なおさら腹を立てる理由もなくなった。
「と、とりあえず行きましょう。寝坊した私が言うのもなんですが」
鍵をかけ、足早に歩きだそうとしたところに声をかける。
「あ、ちょっと待って。靴紐解けてるよ、慌てなくてゆっくりでいいから」
「あぁ恥ずかしい…。それにしても先輩、なんか急に落ち着きのある歳上の男性って感じがしますよ」
そうだろうか。そうだとしたら多分碧さんの寝坊で緊張が解けたから、というのもある。
そして、先程からちらっと見えていたが、今はっきり見えた少しはねた後ろ髪を可愛いらしく思ったからだろう。よく奏も時間が無い時に髪がはねっ放しになってたなと。
寝坊して慌てて支度した姿が目に浮かんで、面白くて笑みを零してしまう。
「な、なんで笑ってるんですか。むしろ怖いんですけど」
はねている髪のことは少しばかり黙っていよう。
「それにしても、先輩の眼鏡姿…意外に似合いますね」
「そう?頭良くみえるでしょ」
くいっと眼鏡のフレームを押し上げてみる。
「ですね。それと大人っぽく見える感じがします」
「今度からたまに眼鏡でバイト出ようかな…」
「それもいいと思いますよ。でも、私だけが知ってる先輩の姿が他の人に見られるって思うと勿体なく思いますね」
「…まぁしばらくは普段はコンタクトでいいかな…」
後輩のもの惜しそうな表情には弱かったみたいだ。眼鏡を今から買いに行くのにも関わらず当分はコンタクトに決定してしまった。
「うーん…先輩こっちとこっちなら?」
「…こっちかなぁ…」
「じゃあ、こっちとこっちは?」
「こっちだな」
「それならこっちとこっちではどうですか」
「…あとどれだけ二者択一すればいいの?」
眼鏡屋に来てから数十分がとうに経過した。
碧さんが俺に似合いそうなものを手に取ってこちらに確認をする形が、ずっと続いていた。
「だって、先輩に似合いそうなのが多いんですから仕方ないじゃないですか」
「これとかでいいんじゃないかな」
「ちょっと、適当に選んでませんか?プレゼントなんですからちゃんと選んでください」
「正直碧さんが選んでくれたものなら、何でもいいんだけど」
「それは嬉しいんですけど…先輩にも納得して受け取ってほしいんですよ。なんというか、私が選んで渡すだけだと、私の自己満足になっちゃいます。その、せっかく一緒に来てるわけですし」
たしかに、自分が満足しても受け取る相手がどうかなんて分からないからな。俺もお姉さんに渡したプレゼントはそれなりに悩んだしなぁ…。
そもそも、今日わざわざ一緒に来ているわけだし、おざなりな態度はよくないな。
「…たしかにそうか。…これとかどう?似合うかな?」
「ぷっ…先輩、それは似合わないです」
流石にハート型のいかにもな眼鏡は俺には似合わないよな、知ってた。
「これですね、これにしましょう」
眼鏡屋で一時間近く眼鏡を選ぶお客さんなんて、俺らしかいなかったようだ。俺らがやってきたときにいたお客さんを、記憶していたわけではないがおそらくそうだろう。
「じゃあ度を測ってからレンズ合わせますので」
フレームだけの眼鏡に対して、軽く視力の調節やら今の眼鏡との差を出しながらレンズを合わせる。
その間後ろで楽しそうにこちらを見つめている碧さんに気づいた。
なんでそんなに楽しそうなんだと思ったが、あれか、保護者目線で俺を見ることが、楽しいのだろうか。昔眼鏡を買う時、母親がこっちを見ていた姿を思い出した。
一応、俺の方が歳上で先輩なんだけどな。
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