第59話 出勤登録してないのに時給が発生した気分
「「「お邪魔します」」」
「こんにちは。今料理しているので、大変恐縮ですが少しばかりお待ちください」
エプロン姿の家庭的な可憐さんが、出迎えてくれた。ちなみに、お姉さんの合鍵で入ったため、突然開いたドアの様子を見に来た可憐さんは驚いたような表情を見せていた。そして、俺たちの顔を見るや否や安堵し挨拶をしてくれた。
それでは、今から少し前、可憐さんのマンションに到着するまでの話をしよう。
数時間前、バイトを終え、自宅へ戻り奏とお姉さんと可憐さんのマンションへ。
その際道中で、ケーキを買うことも忘れずに。ちなみに、以前お姉さんの誕生日祝いで利用したお店の別店舗だ。
お姉さんのマンションの近くにあったケーキ屋と、同じケーキ屋がたまたまあって助かったといった感じだ。
以前選ばれなかったチョコレートケーキと、人数のことを考えて苺の乗ったホールケーキも購入。キャッシュカードと現金こそないものの、クレジットカードは所持していたお姉さんが会計。
「あ、これケーキのお礼として交通費です」
「…本当は受け取っちゃ駄目なんだけど…ごめんなさい有難く受け取らせていただきます」
ケーキを箱に入れてもらう待ち時間、このやりとりを店員さんが不思議そうに眺めていた。たしかに、目の前でこんな光景を見たら、どういう関係性なんだと疑うよな。…もしかしてレンタル彼女か何かだと思われてないだろうか。
そして、ケーキを手に、可憐さんのマンションの前で碧さんとも合流して、可憐さんの部屋に入った今に至る。
「広い部屋ですね…」
「俺も最初はそう思った」
今回でお邪魔するのは5回目…だったはずで、少しは広さにも慣れたが、初めてやってきたら落ち着かないよな。
「私のアパートとは雲泥の差ですよ」
学生の一人暮らしなら、碧さんの住むアパートでも十分だろうと思いながら返答する。
「まぁ、生活できればどんな場所かは関係ないよ。ほら、住めば都って言うし」
「住んでも、地方都市って感じですよ。私のアパート」
「なんだ、その例え」
思わず笑ってしまう。
何となく、今まで見てきた碧さんと違って元気がなさそうだったが、こういったやり取りは普段の碧さんだと実感できる。
「…今度ウチのアパートにも来てください」
「あぁ…うん」
俺はこの時少し楽観主義だった。
可憐さんやお姉さんの影響で、誰かと一緒にいることは楽しいことだと思い込んでいた。
碧さんは、俺の数少ない友人で、明るくて友人思いの女の子だと思い込んでいたのかもしれない。碧さんのアパートに行って、彼女の深くを知るまでは。
「とりあえず、今日は先輩の誕生日祝いですしパーッと盛り上がっていきましょうね!もちろん、近所迷惑にならないくらいに」
碧さんが声高らかに、選手宣誓のように宣言した。
「あ、このマンションは防音すごいから、結構騒いでも平気だよ」
最後の言葉に反応したお姉さんが補足のように伝えてくれた。
「…ウチのアパートって隣の人の咳やくしゃみが普通に聞こえるし、ついでに食器のカチャカチャ音が聞こえるんですよね」
それが羨ましかったようで、碧さんのアパートと比較して落ち込んだように語り出した。
「碧ちゃん、よかったら私がアパート紹介しようか?敷金礼金なしで、そこまで高くないところ」
「…なかなか魅力的ですが、コンビニに近くて大学にも近い今の場所も好きなので…別の対策で何とかしてみます」
「そっか。何かあったら連絡してね」
「ありがとうございます、夏織さん」
「気にしないでよ。ほら、ずっともなんちゃら同盟の仲なんだから」
「あっ、ふふっ…覚えててくれたんですね」
「私意外と記憶力いいから」
ずっともかまちょ同盟の、かまちょ部分は忘れていたらしいが。そして何故か俺は覚えていた。あれだ、友人が少ないから脳のリソースを多く割り当てる必要がない。それゆえに覚えていたんだろう。と、卑屈な言い方になったが、本当は友人の言葉に意識を集中させていたからだ。
「…」
「どうした?」
俺のことを見つめる妹に気づき声をかける。
「可愛い女の子としか仲良くならないようにしてる?」
「そんなわけないだろ。仲良くなった相手がたまたま可愛かったんだよ」
「先輩、もう少し声量落とさないとすぐ隣にいる私たちに聞こえるんですよ?」
珍しく恥ずかしがる碧さんが、これくらい落とせ、と示すような声量で伝えてくれた。
「…まぁ可愛いのは事実だから」
「先輩、そう言ってもらえるのは嬉しいですけど…今の私にそんなこと言わないでください」
「…わかった」
普段ならば、もっと褒めろと言わんばかりに距離を詰めてきそうな、もしくはセクハラだと引いたような表情を見せる碧さんが、恥ずかしがるように、申し訳なさそうに少し距離を置いた発言をした。
「そういえば、試験はどうでした?」
「ぼちぼちだな。多分大丈夫かなって感じ。碧さんは?」
「私も多分大丈夫です。先輩から借りたテキストとかが役立ちましたので、本当にありがとうございました」
俺が一年のときに履修していた講義のテキストとノート、残ってた分の過去問をあげた効果があったようだ。とにかく、お互いに前期の成績は大丈夫そうだ。
この感じで、後期も頑張ろうと口添えする。
「すみません、お待たせしました」
そう言いながらテーブルに料理を並べる可憐さん。
「ごめん、手伝うよ」
「いえいえ、主役はゆっくりしていてください」
「そうそう、私が手伝うから亮くんは座ってて。あと、これも」
そう言って鞄から何かを取り出し、俺の目の前に立った。
「うん、似合うよ」
肩にすっとかけられた何か。
首を下げ何だと見てみると「本日の主役」と書かれた襷。パーティーグッズは用意周到なわりに、キャッシュカードは忘れるという抜けっぷり。そんなところも中々面白い人だなと。
「あ、似合ってますよ亮さん」
「先輩…ウケますね」
「うんうん、似合ってるよお兄ちゃん…」
四者四様…というか似合ってる半分、笑い半分に分かれた。
妹は似合ってると言ったものの口元を押え、そこから空気を漏らしていたから、似合ってる派閥には入閣できず。
「それにしても、可憐…こんなに料理ができるようになってたなんて」
「私も頑張ってるんだよ」
珍しい可憐さんのドヤ顔。やっぱり姉妹にしか見せない顔があるんだなと。
「私も可憐ちゃん見習わないとなぁ…」
「大丈夫です碧さん、私は料理なんてできないですから。今まで食べる専門でしたから」
「先輩の妹ちゃん…」
「奏と呼んでください。一緒に料理学んでいきましょう」
「ちょっと、私もそれに混ぜて。流石に私も本気出して料理しないといけない気がしてきた」
「お姉さん、そういえば自炊するって言ってましたよね?」
奏と碧さんが、料理頑張ろう同盟を結成しようとしたタイミング。
お姉さんが入り込んだのを俺は見逃さなかった。
「…してるよ?お米は炊いてるし。ほら、おかずが作れないっていうか…」
「今度三人で料理教室にでも行ってきた方がいいですかね」
「えぇ〜そこは亮くんが教えるところじゃない?」
「そうだそうだ〜教えろお兄ちゃん〜」
「私も先輩に料理教えてほしいな〜って」
「あ、私も亮さんに教えてもらいたい料理があって…」
湖に落ちた人間に群がるピラニアみたいに勢いよくやってきた妹と友人たち。
しかも、求められているのが料理って。俺は別に料理研究家でもなんでもない、普通の男子学生でコンビニバイトなのに。
「…今度はみんなで料理してみますか…キャンプ場とか広い場所で」
いくら可憐さんのマンションが広くて、キッチンも広いといってもせいぜい二人までだ。
そんなことを思った俺の口から、まさかキャンプ場なんて言葉が出てくるとは思わなかった。自分でも驚きだ。
あと、キャンプ知識なんて全くないけど大丈夫だろうか。
「あ、いいねそれ楽しそう」
「お兄ちゃん、いつ行く?私は8月いっぱいで夏休み終わるんだけど?」
「キャンプですか…最近流行ってますよね」
「私は、皆さんと行くのでしたら、8月の夏休み期間か…土日休みのどこかだと思います。冬のキャンプは冷えると聞くので、今の時期の方がいいかもしれないですね」
皆さんノリノリで…。言った張本人は、最初あまり乗り気じゃなかったのに…。この空気に当てられてもう既に少し楽しみになっていた。
「…どうかされました?」
可憐さんと目があった。
なんでもないと首を振ると、そうですかというように軽く微笑んだ。
その微笑みがこの場の空気感を表すようで、俺も軽く口角があがった。
まだ始まったばかりの誕生日会で、既にプレゼントを受け取ってしまった、そんな気分だ。
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