第57話 絶対に一線は越えないコンビニ店員


「亮くん、私はどこで寝るべきだと思う?」


「普通に考えれば、奏の部屋ですね」


「普通はそうかもしれない。じゃあ普通に考えなければ?」


「親父の部屋?」


「倫理的に駄目だよそれ。ほぼ不倫じゃん、浮気じゃん、慰謝料請求されるじゃん」


普通ではない、といっても常識的に考えて既婚者の部屋は駄目みたいだ。いや、分かってたからほんの冗談のつもりだったけど。そしてお姉さんのツッコミがマジのやつだった。おちゃらけた感じが一切なかった。


「すみません、冗談です。…俺の部屋ですか?」


謝罪の言葉を口にして、一度姿勢を正して改めて質問に対して疑問系で答える。


「うん、いいかな?」


「隣には奏もいますし、いいですよ」


一人暮らしと実家だと、一緒に寝るといっても全く異なる状況だ。

俺の部屋ならば、隣には妹が、下には両親がいる。間違いなど起こる気配が一切ない磐石の布陣が形成されているのだ。まあ、隣に人がいた方がスイッチが入るという人もいるかもしれないが、俺はそういうタイプではないのだ。


「あ〜ベッドなかなかいいの使ってるね〜」


「そうですか?普通だと思うんですけど」


ベッドにダイブして寝転がるお姉さんを視界に入れて会話をする。

お姉さんが俺のベッドで、現在進行形で横になっていることについては触れないことにした。


「亮くんの匂いがするね〜」


「ウチは全員同じ洗剤と柔軟剤で洗ってるので、秋野家の匂いですよ」


「亮くんの染み込んだ汗の匂いがする〜…これは何か変態みたいで恥ずかしいね」


「じゃあなんで言ったんですか」


恥ずかしがり布団に顔を埋めるお姉さん。そして、その勢いのまま体をゴロンと半回転させ、壁を正面に捉える体勢になっていた。


「まさか、亮くんの家に泊まることになるなんてね〜」


壁に向けて発した声が、反射して俺の耳に届く。


「泊まる気満々でしたよね」


「OKでなかったら可憐のマンションに泊まるつもりだったよ?」


「はじめから可憐さんのマンションに行けば良かったと思うんですよ…。というか、帰りの電車代どうするんです?」


「…ずっとここに泊めてもらうことは…」


「嫁入り前じゃないんですから、流石に帰った方がいいかと」


それに会社もここからなら遠いだろうし。それに、合鍵が足りないので一々チャイムを鳴らして入らなければならない。


「嫁入り前ならいいんだ?」


ただ、お姉さんは俺のちょっとした発言が気になったようで。

餌をつけたつもりの無い釣り針に食いついた魚のように、釣竿を引っ張ってきた。

先程まで壁に反射して聞こえた声が直接耳に届く。


「…いいんじゃないですかね。世間一般的には」


「亮くん的にはどうなの?」


「そういう関係ならいいと思いますよ。あ、明日一応早朝からバイトあるので寝ます。おやすみなさい」


キャッチアンドリリース。

しかも食いついた魚が小魚じゃなくて、サメみたいだった。こちらが海に身を引き摺り込まれ食いちぎられる。それは防がなければならないと、床にゴロンと横になり、瞼を閉じる。


「ちょっと待って、なんで床で寝るの。一緒に寝た仲なんだから…それに亮くんのベッド何だから私を押し退けてもいいんだけど?」


「お姉さんを床で寝かせるのはよくないですから無理ですよ…。…じゃあ、一緒に寝ますか?」


自分でも思ってもみない言葉を口にした。


「え、てっきり拒否されて、それを無理矢理私がベッドに引きずり込むものだと思ってたんだけど…」


「…別に変なことするわけじゃないですし、もういいかなって」


これは恐らく俺の本心で、可憐さんだったりお姉さんだったり…もう俺の中でこの2人は異性だけど同性のように気を許せる特別な仲なのかなと。それゆえに、恋愛対象として意識することを、意識的に避けようとしているのかもしれない。


「…それは気を許してくれたみたいなこと?」


「そうかもですね」


狭いシングルベッドに2人。

お姉さんが壁側に少し寄って、俺の分のスペースを確保。それでも狭いので、もしかしたら俺は床に落ちるかもしれないが。



「…明日もバイトなんだ?」


「そうですね」


「そんなに根詰めなくてもいいんじゃない?」


「どうやら人手不足で、俺に回ってきてるらしいんですよ。断ってもいいんですけど、特にやりたいことがあるわけでもないので」


お金は貯蓄できるし、いざという時にお金がないよりはマシだろう。


「そっか。コンビニ以外は何かやってるの?」


「一応家庭教師もやってますよ。生徒から懐かれないですけど…」


よく、家庭教師の人は生徒と仲良くなって食事の世話になる、みたいな話を言われるが、ごく稀なケースだ。

俺は、たった一度しかその経験がない。たまたま生徒の機嫌が良かったのか、その日だけ一緒に食べようと言われお世話になったのだが。

思春期の中学生とのふれあいって難しいな…。


「そうなの?じゃあ、その分私が懐いてあげよう」


「ほどほどでお願いします」


ベッドに少しだけ空いていた隙間がなくなり、肌が温かな体温を感じる。夏場は夜であれ、クーラーをつけるので冷え対策に布団を被っているが、上半身がお姉さんに抱きしめられているため布団は必要ないかもしれない。


先程はお姉さんのことを同性のように気を許せる仲だと思っていた。だが、こんなことをされると肌の柔らかさとか、俺よりもピンクで綺麗な唇とか、鼓膜の奥まで響く綺麗なソプラノボイスとか、異性を強制的に意識させられてしまう。


もちろん、これ以上の出来事は起こらなかったが、お姉さんが眠るまでずっとこの状態が続いており、その間閉じた瞼が眠りに一ミリたりとも役立たなかった。



翌朝眠気に負けじと体を起こそうとしたが、体が重く、起き上がれない。

どうしたことかと視野を広げると、抱き枕のようにホールドされていて、驚いた俺は床に尻から落ちるかと思ったが力強さによって、ギリギリのところでベッドから落ちなかった。

ゆっくりと起こさないように、お姉さんの腕を自分から解いていく。

柔らかく細く、綺麗な腕で。

これってセクハラにならないだろうかと不安に思いながらお姉さんからの脱出を試みた。



無事脱出し、着替えて部屋を出ると偶然奏も部屋から出てきた。


「…昨晩はお楽しみでしたね」


「妹からセクハラ被害に遭うなんて思ってもみなかったよ」


言ってみたかったんだよね、NPCの台詞。そう言って眠そうな瞳を細めて笑いながらも、起きた理由であろうお手洗いに行った奏を見てから、洗面所へ向かった。








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