第44話 お嬢様の料理
「秋野さん…あの、材料を買いたいんですけど、手伝っていただけないでしょうか」
「うん、いいよ」
何を作るかは決めていて、その料理自体何度か作ったので失敗のリスクは減っているだろう。しかし、スーパーで材料を買うということははじめてである。
私がスーパーに行くことができなかったので、実家から野菜を送ってもらって料理の回数を増やしていた。…でも、今度からはもう自分でスーパーに買い物に行こうと思った。
だが、まだ1人で行くのは不安なので、また秋野さんに頼ることになるかもしれない。現に、どこに何があるかも分からないので頼りっぱなしではあるが。
「それで、何作るの?」
「カレーです。秋野さんに作っていただいてから自分でも何度か作ったので…少しは美味しくできるかなと」
「そっか。きっと美味しくできると思うよ」
確信したかのように告げられたその言葉に少し勇気づけられる。思えば、だれかに料理を作るという行為がはじめてなのだ。
その相手がお姉ちゃんというのは、お姉ちゃんっ子の私にとっては至極当然なのかもしれないし、お姉ちゃんに喜んでもらえればと本望だと思う。
「…コーヒー…」
先日はじめてミルク、砂糖なしで飲めるようになったコーヒーのことを思い出し、少し視線が固定されてしまった。
「あ、コーヒー買おう。たまに飲みたくなるんだよね」
そう言ってお姉ちゃんがカゴの中に、ぽいっと迷わず入れていた。
「そういえば可憐ってコーヒー飲めたっけ?飲んでた記憶がないけど」
お姉ちゃんが実家にいた時、私はまだ小学生。コーヒーは飲める訳もなく、紅茶しか飲んでいなかった。それに初めて口をつけたのが中学生だから、そのときはもうお姉ちゃんは実家にはいなかったから。
「この前飲めるようになったの」
「へぇ〜…じゃあそのお祝いも兼ねてケーキでも買おっか?」
お姉ちゃんがそういった瞬間、私の少し後ろから声が聞こえた。
「あっ…」
「?秋野さん?」
突然声を上げた秋野さんに、私とお姉ちゃんの視線が集まる。
「お姉さん…ほんとすみません」
そして突然の謝罪、私には何が何だか分からなかった。一方で、お姉ちゃんは数秒考えた素振りをみせてから納得がいったかのような発言。
「…あっ、ケーキ買ってなかったね」
そう言って笑いだしたお姉ちゃん。ますます私にはなんの事か分からない。
「後で買いに行ってきます」
そう言って頭を下げた秋野さん。本当にどういう状況なのか。私にも状況説明してほしいと言いたくなったとき、
「みんなでケーキ買いに行けばいいよ。ねっ、可憐」
現状を楽しんでいる様子のお姉ちゃんが、私たちに提案するように尋ねる。
「うん?うん」
私の問いかけようとした気持ちは、お姉ちゃんの気楽な提案で消え去った。
よく分からないけど、ケーキを買いに行くことが決まったらしい。
ケーキ…なるほど誕生日ケーキだろうか。そういえば私も誕生日ケーキという存在を忘れていた。自分で誰かを祝うという行為がはじめてなので、プレゼントを選ぶだけでそこから先は頭から抜け落ちていた。
ただ、夏場にケーキを買ってから数時間持ったままというのもよくないので、マンションに着いた後で買うのが最善なのかもしれない。結果論ではあるのだが。
「お姉ちゃん、ケーキ買うの忘れてた…ごめんなさい」
ただ、忘れていたことは謝らなくてはと思い、謝罪する。
「全然いいよ。プレゼントを貰っただけで十分だし、そもそも祝ってくれるだけで嬉しいから。ケーキは食べたくなったから、ついでみたいなものだよ」
「お姉さん…ケーキは自分が買います…」
「なんでそんな落ち込んでるの。たしかに、お酒買うくらいならケーキ買ってもよかったかもとは思うけど」
「本当は根に持ってます?」
「冗談だよ。最近は秋野くんに弄られてたから、たまには後手に回ってもらわないとね〜」
「はは…ありがとうございます」
やっぱり2人だけの世界があるかのようで、私には理解できない話を2人が続けていたとき、お姉ちゃんが私の訝しむような表情に気づいたのか、
「いやぁ、実はこの前亮くんが誕生日祝ってくれたんだけど、プレゼントとお酒買ってきたのにケーキ忘れてたみたいで」
私にそんな話をしてくれた。
「そうなんですか?秋野さん」
「人の誕生日を祝うなんて経験なくて…ほんと、お恥ずかしい限りで…」
派手に落ち込む秋野さんを見て、以前言っていた「みっともない姿」というのはこのことだろうかと思った。そんな姿を見て、私と同じおっちょこちょいな失敗をするんだなと親近感が湧いた。やはりお互いのことを知ることで、より仲良くなれるというか、好意的な感情を持つことができるのだろうか。
だが、1つ気になることがあった。
「秋野さんはいつお姉ちゃんの誕生日を祝ったんですか?」
「当日に、お姉さんのマンションで」
即答された。それならば、私も勇気を持って当日お姉ちゃんのマンションに行けばよかったのかな。
「…そうですか。私が行けなかったから、秋野さんが祝いに行ってくださってよかったです」
この話を聞いて、やはり2人の仲がいいのには理由があったみたいだ。もちろん、秋野さんが当日にお姉ちゃんの誕生日を祝ってくれたのは嬉しいが、それよりも少しモヤッとした気持ちになった。
「これで大丈夫かな」
「ありがとうございます秋野さん」
「どういたしまして」
無事に材料をカゴに収め、レジへ向かい会計を済ませる。私が支払うか、お姉ちゃんが支払うかで一悶着あったが、お姉ちゃんに折れてもらうことに。
「可憐も押しが強くなったね…」
「私だって日々成長してるからね」
昔はお姉ちゃんに何でもしてもらっていた私だが、今はお姉ちゃんに何かしてあげるまでに成長したのだ。ケーキの買い忘れみたいに少し失敗することもあるが。
「可憐が台所で料理してるなんて…」
初めて見る姿に新鮮だなと思う。
俺が初めて可憐さんのマンションを訪れた時…あの時は包丁を一切使っていなかったのに、今は上手に野菜をカットしていた。
「最近は料理のレパートリーも増えてるらしいですよ」
そんな話をメッセージでやり取りした覚えがある。
「へぇ…可憐も頑張ってるんだね」
「そうですね、高校生でひとり暮らしって大変だと思いますし、すごいですよね」
「私は大学まで実家だったしなぁ。ひとり暮らしをはじめて地獄を味わったよ…」
「そう言われるとひとり暮らし怖いですね…」
大学まで実家でぬくぬく過ごしている俺にとっては不安を煽る言葉だ。
「亮くんは、どこに就職するとか決めてるの?」
「全く考えてないですね。インターンも行ってなくて、やばいとは思ってるんですけど」
「私は実家から出ちゃったからさ、…あ、相手の会社に入社する予定でさ。もちろん、結婚しないからそれが無しになって、卒業してから数ヶ月就活してたなぁ。そのとき、はじめてアルバイトもして苦労したなぁ」
「ほんとお姉さんってすごいですよね」
なかなか苦労しているはずなのに、人前ではそんな背景を一切感じさせないお姉さんには、本当に頭が上がらない。
「自分で選んだことだから、そんなすごいわけじゃないよ。ほら、芸能人の下積みとかの方がすごいんじゃない?」
「それとはまたジャンルが違う気がしますけど」
「はい、できたよ」
俺とお姉さんで少し暗くなりそうな会話をしていた最中、無事そうはならず会話を続けていたところ可憐さんの料理が完成したみたいだ。
「カレーだね」
「ですね」
「そういえば、この前作れる料理でカレーって言ってたよね」
初めてお姉さんと会った日のことだった。今覚えば、2人とこんな関係になるとは思わなかったな。
「あの時より美味しくできるようになったと思う…。秋野さんもどうぞ」
「ありがとう」
顔の前に出されたカレー…野菜も丁寧にカットされていた。本当に料理できるようになったんだなぁ。
「「「いただきます」」」
「うん、美味しいよ可憐」
「ほんとう?よかった…。秋野さんはどうですか?」
「美味しいよ。野菜と肉がちゃんと火が通っていて、ルゥも水っぽくなく、かといってドロドロしているわけでもない絶妙なバランスで…よくできてるなぁって」
…なぜか饒舌になってしまった。まぁ女の子の手料理なんて食べる機会がなかったから仕方ないだろう。
「秋野さんにそう言ってもらえると自信になります」
俺とお姉さんが口にするまで、不安だったのか固かった表情が、一瞬で柔らかくなった。
でも、本当に美味しい。そういえば、はじめて可憐さんの作ったものを食べることになったな。…誰かに自分の作ったものを食べてもらうのもいいけど、食べるのもいいなと思った。それと同時に可憐さんの手料理を食べられるパートナーがいつかできるのだと思うと、その人は幸せだろうなと、お姉さんと楽しそうに話す可憐さんを眺めながら思った。
ただ、家族じゃない3人で囲む食卓というものが意外と心地よい。
食べ終わってからも、3人で会話しながら過ごす時間が、温かい気持ちにさせてくれた。
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