第41話 真夏にホットドリンク
8月になれば流石に暑さもピークを迎える。
早朝だろうとそれは関係なく、入店するお客さんの中には額から汗が垂れてきそうな人もいた。一方、店員である俺も、ここにやってくる道中で体からじめっとした汗が垂れていた。そんな汗も店内の冷房で収まったが。
こんな暑い日に売れるものといったら冷たい飲み物やアイスなどだろう。
例えばレンジでチンして食べるお弁当でも売れるものと売れなくなるものがある。幕の内弁当などは被害を受けないが、被害受ける商品例として、あたたかいうどん、カレーや麻婆豆腐などスパイスや香辛料の効いた商品、食べていると必然的に発汗してしまうような商品があまり買われなくなる。
あまり買われなくなる、のである。つまり、買う人もいる。季節は真逆になってしまうが、冬にコタツで食べるアイスが好きな人がいるのと同様に夏にも、クーラーの効いた部屋でホットコーヒーを飲みながらめちゃくちゃ辛いカレーを食べる、そんな人が存在していてもおかしくないのだ。
少し話がズレたが、そういったホット商品だって需要はあるのだ。
現に、今、目の前のお客さんはあたたかい緑茶を2つ購入している。そして、その後ろのお客さんもあたたかいコーヒーを手に持っていた。
「秋野さん、真夏にあたたかい商品を買う…夏を実感できて素敵だと思いませんか?」
「夏は嫌というほど実感してるよ?」
可憐さんの少し変わった部分が姿を現したみたいだ。楽しそうに狂気じみた内容を謳っていた。
「たしかに、嫌というほど実感してます…」
どうやら、そこまで狂気じみてはいなかったらしい。夏の暑さに嫌気がさしていたようで、少し強がった発言だったのだろう。
髪を結んだことによって見えるうなじから、来店直後だということが分かる、うっすらと滲んた汗が見える。
「普通の人は暑さから逃げようと冷たいものを求めるんだよ。現にアイスとかの売上がすごい伸びてるんだよ」
お客さん…一度ここでアルバイトしているのだから元従業員でいいのだろうか。売上を見せてもいいのか分からず、グラフで理解してもらうことができなかったので、口だけの説明になる。
「ですが、真夏だからといって安易に冷たい飲み物を飲んだり、冷房を使ったりと、暑さに負けてはいけないのです。夏の暑さに真正面から立ち向かうためにも、ホット商品に手を出すべきだと思います」
「なんか選挙演説みたいだね」
可憐さんはぐっと軽く握りこぶしを右手につくっていた、そんな仕草はまさに選挙演説と言ってもいいのではないか。こんな可愛らしい女の子が声を上げていたら、若者の投票率アップ、そして真夏だろうとホット商品を買うしかないのではないか。
とまぁ、先程の狂気じみた発言が復活。
やはり可憐さんは暑さで少しやられているかもしれない。
そんな心配は、幸い杞憂に終わる。
「…実は、真夏にホットドリンクを買う方々の気持ちを知りたいという知的好奇心がありまして。最近私の前に並ばれるお客さんが、ホットドリンクを購入される姿を見ていましたので」
「なるほど」
…よかった。そういうことなら納得だ。
「では、このホットの緑茶を…」
手に取ろうとした可憐さんが寸前の所で引き返した。
「すごい熱気を感じました。…外より熱いです」
「ホットの什器って結構温かめに設定してあるからね。40度以上はあると思うから、外より熱いね」
「どうしましょう…やはり普段どおり冷たいお水を買うべきなのでしょうか…」
そういえば最近は、水を購入していくことも多い。夏場だから熱中症対策であろう。
「…可憐さんは立派だよ。たとえ、今回ホットドリンクが買えなかったとしても…今日買おうとしたその意志があれば、きっといつか買えるときがくるはずだよ」
人生の大先輩が諭すように、そんな言葉を投げかける。…あれ?なんか俺も変なこと言ってるな。暑さにやられてしまったのだろうか。
「…秋野さん…そうですね…たしかに明日は雨予報ですので、気温が最近と比べるとかなり下がります。つまりホットドリンクを買いやすくなる絶好の日だと思います。ですが、真夏日に買わなければ意味がないんです…」
「そっか…わかった。その意志を讃えてこの緑茶と紅茶を買ってあげよう」
「流石にホットドリンク2本は厳しいです…。それと秋野さん、普段と少し様子が違いませんか?言葉遣いが違うと言いますか」
「…実は昨日妹の付き添いで演劇を見に行ってさ…ハマってしまって、ちょっと普段の自分とは違う自分を演じてみたというか…夏の暑さにやられたというか…恥ずかしいから今のは忘れて」
昨日、ラーメンを食べに行くという目的をあっさり果たした後に、劇場で公演があるというチラシを受け取り、2人して興味を持ったので見に行ったのだ。
その結果、演技力が素晴らしい俳優を見て感動し、少し熱を受けてしまったみたいだ、夏だけに…。
「ふふっ…そうなんですね。私も演劇好きですから、機会があれば一緒に見に行きませんか?それと、よかったら一緒に劇に参加してみませんか?」
「見に行くのは俺でよかったら、いつでも。参加する側って…可憐さんが出るのなら、いいかなって感じだけど…」
劇に出演できるって、可憐さんは演劇部とかに入っているのだろうか。学校生活について詳しく聞いているわけではないので、確かではない。
「ありがとうございます。…では、緑茶を」
「結局飲むんだ?体が冷えてるわけじゃないなら無理して飲まなくてもいいと思うけど」
「いえ、せっかくですので挑戦してみます。真夏にホットドリンクを飲む方々の気持ちを理解してみたいので」
そう言ってワクワクを隠しきれない可憐さんが、いつものおにぎりとコロッケに加えてホットドリンクを購入。
「あちらで飲んできます」
ホットドリンクも時間が経てば常温のドリンクになるので、飲むのであれば早めに飲まないと意味がない。
「…コンビニの中だと冷房が効いているので、ちょうどいいのかもしれません。現に長居していると少し寒く感じていますし。…なるほど、会社や学校の冷房が強ければホットドリンクも役立つということですね。真夏なのにホットドリンクを購入する意義が、真夏なのに寒いのを防ぐためだなんて…なんというか考えさせられます」
「たしかに、コンビニとか会社によってはめちゃくちゃ寒くてカーディガン羽織っている人もいる、みたいな話は聞くな。冷房強くしたい人もいるし、その人に意見しづらいなら諦めて真夏に防寒対策するしかないんだろうね」
これはいわゆる人間関係の問題なのだろうか。真夏にホットドリンク…そんな古典落語にありそうな、現実の話に関して2人で言葉を交わし合っていた。
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