第25話 人という文字は支え合ってできているらしい
ただ寝ているだけならいいが、と思ったものの、最悪のケースを考えると電話せずにはいられなかった。
バイトが終わるや否や即座に電話をかける。
「…もしもし?」
電話が繋がったことでひとまず安心する。
「可憐さん?秋野だけど、体調は大丈夫?」
「…あまりよくないかもしれないです。熱も全然下がらなくって…体も重くて」
声からも可憐さんの姿が想像できる。普段よりも明らかに気だるそうな声だった。
あまり会話を長引かせて負担をかけるわけにもいかなさそうだ。
「何か必要なものとかない?よかったら持っていくけど」
「…ありがとうございます。冷たい食べものと飲み物を持ってきていただいてもいいですか…その体が熱くって…」
「わかった。今から買い物して、買い終わり次第マンションに行くから。着いたら電話をするから、無理しないでゆっくり休んでて」
そう告げてから電話を切り、急いで買い物に移る。スーパーの方が種類は豊富かもしれないが、時間が惜しい。コンビニで、ゼリーやプリン、アイス、飲み物や氷を購入し、自転車を飛ばす。
「…あ、可憐さん。今着いたからインターホン鳴らすね」
数秒後に扉が開き、急いでエレベーターに乗り込む。上に上がる時間がゆっくりに感じられた。それでも階段を登るよりも早いはずなのだが。
「…すみません…」
部屋のインターホンを鳴らすと、ゆっくり可憐さんが出てきた。足取りは重く、顔色は普段よりも明らかに悪く、如何にも調子が悪そうだった。立っているのも辛いだろう、早くベッドに戻ってもらおうと声をかける。
「俺のことは気にしないで、体調、芳しくないでしょ…?早くベッドに横になって休んで」
こういう時、鍵を持っていたらわざわざ電話をしたり、立ち上がって歩いてもらったりする必要がないのかと思うと、友人では家族やそれに近しい存在と比べて価値が全く違うのだと実感させられた。
「とりあえず、飲み物ここに置いておくね。それと、おでこに貼るシート…自分で貼れる?」
「…お願いしてもいいですか…」
「わかった」
髪を手で左右にかき分けて、おでこが見えるようにする。綺麗な肌だなと思ったが、それも一瞬で、急いでシートを貼る。
「…冷たくて気持ちいいです」
「それはよかった」
「水分は大丈夫?」
あまりいい気はしないが、ふと周囲を見渡した。するとテーブルにコップが見当たらなかったので、気になって聞いてみる。
「…そういえば飲んでないです…」
「わかった。コップ勝手にとるね。ストローを挿しておいたから、飲みやすいとは思うけど」
「ありがとうございます…」
「どういたしまして…。お姉さんにも連絡しておいてほうがいい?」
「昨日お姉ちゃんから連絡が来てて、…今日の夜来るそうです」
恐らく昨夜、俺のメッセージを見た後連絡したのだろう。
お姉さんが来てくれるなら大丈夫なはずだ。
「それなら大丈夫かな…。俺は…帰ったほうがいい?」
「…迷惑じゃなければ、ここにいてくれませんか?秋野さんがいれば、…安心して眠れると思うので…」
「…わかった。迷惑じゃないならお姉さんが来るまでここにいるよ。何かあったら声かけてね」
誰かの拠り所になれること、それはシンプルなことだけど、そんな機会は滅多に訪れない。現に最近までなかった。だからなのか、「ここにいてほしい」という発言は、自分自身を肯定してくれるかのようで…また、信頼してくれていることを示してくれているかのようで、胸があたたかくなった。
普段みたいに世間話をできるような状態ではないので、マンションの中を静寂が包んでいた。それでも、そんな状態は一切苦にならなかった。ベッドで横になっている可憐さんに、背中を向けて座った状態のまま、ただひたすら時間が過ぎる。
スマホを触って、時間潰しをするわけでもなく、ただただ何もしない、起こらない時間が過ぎる。
可憐さんも、すぐ近くに俺がいることを分かっているだろうが、それに対して何も言うことなく、当たり前のことであるかのように受け止めて横になっているようだった。
しばらくして、静寂の中、可憐さんの寝息の音が聞こえ出した。
すーっと、ちょっとした物音で聞こえなくなる音量だった。
寝息を聞いて、少し安心できた。
俺自身も、可憐さんのことが心配で少し気が入っていたせいか、安心したことで、忘れていた喉の乾きを実感した。自分用に買っていた水を二口含む。
何となくこの場所から立ち上がる気になれないまま、さらに時間だけが過ぎていく。
ひとまず、今日の講義が一コマしか入っていないことに有難みを感じながらふと時計を見る。すると、その講義が先程終わってしまった時間帯になっていたことに気づいた。
気づけばそれほどまでに時間が経っていたみたいだ。川上も取っている講義だから後日、お礼の品を渡して、頼み込んで板書やらを見せてもらうしかないな。
「…秋野さん…ちょっといいですか」
「どうかした?」
気づけば目が覚めた可憐さんが声をかけてきた。
「やっぱり…私って迷惑ばかりかけてますよね…ここに来てからは特に秋野さんに…」
「そう思う気持ちは分からないわけじゃないよ。でも、俺が可憐さんのことを迷惑だと思ったことは一度もない。前、可憐さんが俺のことを友人だと言ってくれて嬉しかった。だから、そんな友人には迷惑かけていいと思うよ。むしろ迷惑かけあって、助け合えるような、それくらいの仲になりたい」
紛れもない俺の本心である。量より質、質より量、どちらを選ぶかは他者多様であり、人によってはどちらを選んでも正解かもしれない。
だが、俺には量より質しか選びようがない。なぜなら、量を買うことや貰うことをして増やす力がないから、そしてそんな器用なことはできないから。
しかし、質を選んで終わりではない。その質を、さらに向上させたいと思う。最近、そう思うようになった。
その考えは、友人にも適用される。だから、その考えを反映するならば、俺は可憐さんと友人というよりも、親友に近い関係になりたいと思う。
「…これからも、私はきっと迷惑をかけると思います。…でも、秋野さんが、私に迷惑をかける姿は想像できません」
風邪で寝込んでいるのも相まって、どこか苦しげな表情で言葉を紡ぎ出しているように感じた。
「それは…可憐さんの前では年上の男らしくあろうと意識してるからかな…。あぁ…でもマンションの部屋番号覚えてなくて迷惑かけたことあったじゃない?だから、これからも関わっていくうちに、気づけば可憐さんに迷惑かけることも増えていくと思う」
俺自身が自覚しているが、俺は決して完璧な人間ではない。だから、いずれどうしようも無い失態を犯すかもしれない。
「…そうでしたね。それでは、もっと私に駄目な秋野さんの姿をみせてくれますか…?」
俺なんかの駄目な姿を求めてくれたこと、そして、初めて見た、こんなにも儚げな表情で、微笑みながら問いかける可憐さんに、心を奪われた。
「…見せたいわけではないけど…一緒にいたら嫌でも見る羽目になると思うから。見たかったら、これからも可憐さんが俺に迷惑をかけてくれるといいよ」
少し口ごもって言葉を発する。少し恥ずかしい台詞ゆえに仕方ないと思う。
「…なんか…ずるいですね。でも、その言い方だと私が今後迷惑をかけなかったらどうするんですか?」
まあそれはそれでいいのかもしれない。迷惑をかけられるのが好きだ、なんて変な話だしな。
「そのときは…そうだな…。それはそれで寂しくなりそうだ。でも、寂しいと思った俺が可憐さんに近づくことになるかもしれない。そしたら、それ自体少しみっともない先輩の姿だと思うし、そのついでに、結構みっともない姿を見せることになるんじゃないかな」
「…別にみっともなくないですよ…。やっぱり秋野さんって優しいですよね」
「俺が優しいと思うかどうかは人それぞれだと思う。でも、人に対して優しいと言える人が優しいのは間違い無いと俺は思う」
遠回しに可憐さんのことを讃える。今は何となく直接言うのがはばかられたからだ。
「その考えだと、私が優しいということを秋野さん自身が伝えていることになりますよね。それなら、秋野さんが優しいということになります」
それでも可憐さんは気づいてくれた。体調が優れない状態でも気づいてしまうのは、可憐さんの頭が元からキレているからなのだろうか。
「…一本取られたかもしれない。…これはみっともない姿だと思う?」
何となく気になって尋ねてみた。
「…素敵な姿だと思います」
「…ありがとう」
一旦この話は終わりを迎えたみたいだ。
明確に、今後の2人の関係性が決まったわけではないが、それでも距離が縮まった気はする。
先程まで可憐さんが眠っている際、俺は背を後ろにしていたが、今は可憐さんの姿を正面に捉えている。
かなり恥を凌んだ会話だった気がする。
それでも、たまにはお互いの本心をぶつけ合うような会話をしてこその友人、親友だと思うので、仲を深める第一歩になったと思う。
「…実はですね、昨日の夜、秋野さんにメッセージか電話をしたかったんです…。ですが、迷惑じゃないかなって思ってしまって…。それなのに、今日も同じことを思ってて…そんな時に秋野さんから電話がきて…すごく嬉しかったです」
寝たままこちらを向いて、先程より元気な声色で話す可憐さん。
「それなら電話してよかったよ。…俺も昨日からずっと気になっててさ、メッセージか電話しようと思って…でも迷惑じゃないかと悩んでたんだ」
可憐さんにつられてか、心なしか俺の声も普段よりワントーンあがった気がする。
「…私たち同じこと考えてたんですね」
「そうみたいだね」
「「ふふ…」ははっ…」
人は弱っている時に、ポロッと本音だったりその人の本性が現れるものだと思う。
そんな、本性を知ってもなお、それが魅力的で、もっと知りたい、もっと知ってほしいと思わされた時間だった。
「…ごめんね、秋野くん。可憐の面倒見てもらって」
夜19時を回った頃、お姉さんがやってきた。突如空いたドアと足音に、一瞬焦ったが顔を見て安心した。どうやら合鍵で入ったみたいだ。
「いえ、全く大丈夫ですよ」
「…私、今日ここに泊まる予定だから、秋野くんは、もう遅いし帰っても大丈夫だけど…どうする?」
仕事終わりで疲れている様子が窺えたので、お姉さんに無理をさせる訳にはいかないと思える。しかし、可憐さんは眠っているし、少ない姉妹の時間に水を差すように居続けるのも悪い気がする。
「お姉さんが居るのであれば安心です。それじゃあ失礼します」
そうなればここを立ち去るのがいいだろう。
腰を上げようとした瞬間だった。
「あ、ちょっと待って」
「何で…すか」
「…数日会えなかったのと、今日の仕事疲れのエネルギー補給…」
お姉さんに抱きしめられていた。
「…えっと、お疲れ様です…。あの、恥ずかしいので離れてもらっても…」
「…じゃああと30秒」
30秒という絶妙な時間選択もあったのだが、思ったよりも弱々しい応えに、断りを入れにくく受け入れる。
「分かりました」
30秒間、心臓の音がうるさくて、秒数を数えることに、脳のリソースをさこうとするが失敗に終わった。
ただひたすら、心臓の音を聞くだけだった。
こんな美人なお姉さんが俺に好意を寄せてくれていることを改めて実感させられた。その一方で、簡単に答えは出せないことを申し訳なく思った。軽率な判断をせずに、真剣に考えてくれるのは誠実で素敵だと思う、と言われたが、やはり申し訳なさが無くなる訳では無い。
その後、体から離れたお姉さんに別れの挨拶をしてから帰路に着く。
数十分程で、自宅に着くはずの帰り道。
しかし、今日あった出来事を振り返りながら進んでいると、信号待ちを多くもらっても、普段よりも距離、到着時間ともに短く感じられた。
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