第9話 店員と客の関係性、友人としての関係性


絶望から立ち上がるしかない。

ひとまずマンションの中を覗き見る。この姿だけ見られた場合、変質者そのものじゃないか。本当は部屋番号を覚えていない阿呆なのだが。…それも酷いな。


だが、変質者の疑いをかけられるかもしれないという危険を負った行動も虚しく、警備員の人は残念ながら視界に写らなかった。他の場所の見回りに行ったのか、はたまた休憩だろうか。どちらも必要な行為だろうし、仕方ない。


そう思ったときだった。

見知った人物と視線があった。


「もしかして部屋番号覚えてないかもと思って…エントランスで待っててよかったです」


「ほんとすみません、ありがとうございます」


再度絶望に打ちひしがれていたところ、可憐さんがこちらに気づき、駆け寄ってきてくれた。そして内側からロックを解除してくれたことで、マンションのドアが開いた。

俺が部屋番号を覚えていないことを想定した立ち振る舞いに感謝するしかない。先程まで、可憐さんの前では、自分なりに「できる年上の男」であれたと思ったのだが、無事先程までの姿は塵のように消え去り、部屋番号を覚えてないのに外に買い物に行ったため、頭を下げる阿呆の姿があった。むしろ、ついさっき、ポンコツと思ってしまったことを加味してさらに深く頭を下げた。


再びエレベーターに乗り、部屋に入るまで、背中を丸めて身を低くしていたら、可憐さんにお腹が痛いのか心配された。ただただ恥ずかしいだけです。このときの俺は可憐さんに対して、今までできる男の接客をしてきたことまでも恥ずかしく思えてきた。今後可憐さんの接客は別の人に任せたいなどと思っていたが、それはそれで癪である。特に川上には譲りたくない。




「ほんと、迷惑おかけしました」


流れるような謝罪の言葉、今日二度目の頭を下げる姿勢に可憐さんが慌てていた。


「その…買い物ってスーパーまで行かれたんですよね。中身も…私が食べたいって言った一晩寝かせたカレーの材料とか、他にも私が口した料理の材料とか買ってきてくれたんですよね。他にも野菜もたくさんあります…。私のために、汗をかいて買い物に行ってくれたことには感謝しかありませんから。なので、はやく頭をあげてください」


そういってコップに注がれた水を提供してくれた。汗をかいていることに気づいての心づかいだろうか。なおさら頭が上がらない。


「むしろ、秋野さんってしっかりし過ぎているイメージだったので、そういうドジな一面を知ることができて嬉しいです」


可憐さんも自分で注いだ水を口に含んで、一呼吸置いてから、嫌味など一切感じられない表情で、口から発された言葉に一安心する。


「その、台所お借りして大丈夫ですか?可憐さんのために買ってきた食材で、汚名返上とばかりに今から料理したいんですが」


「えっ?!…こほん、よろしくお願いします。あの、迷惑じゃなければ私も見てていいですか」


多少の驚きをみせてからすぐ、胸を躍らせた仕草を見せてくれたのでよかった。早速名誉挽回させてもらおう。


「全然構わないですよ。それじゃあお借りしますね」


まさか人に見られながら料理する機会が訪れるなんて。中学や高校の調理実習くらいでしか人に見られる機会がなかったので少し緊張する。

まぁカレーとサラダだから問題ないだろう。

…調子に乗って料理に謎のアレンジを加えたり、メニューを追加したりしない限りは。



「わぁ…スパッと切れるんですね」


「可憐さんの包丁ですよね。なんで驚いてるんですか…。やっぱり料理に使ってないんですね」


「お米は炊いてます」


「無駄な抵抗はやめてください。お米を水で洗って炊飯器にセットするだけでは料理とはいえませんよ。それにやっぱり包丁使ってないじゃないですか」


「秋野さんはいじわるですね。お客さんに向かって揚げ足をとるなんて、クレームものですよ」


今度コンビニに行ったときは客として秋野さんをいじめますと、中々怖い言葉だが、笑いながら発した言葉だから多分大丈夫だろう。

というか、マンションのオートロックで恥をかいたことで脅せばレジの金を差し出しますよ。可憐さんにとってはレジの金なんて端金だろうが。




「これでよし。しばらく煮込んで完成です」


おぉと声に出したわけではない感嘆詞が可憐さんから聞こえてくるかのようだ。

目を見張るように鍋を見ながら、嬉しそうにしてくれているのでよかった。


「お昼にでも食べてください。残りを保存して明日食べると可憐さんがお望みの一晩寝かせたカレーになってますよ。是非味の違いを堪能されてください」


そう告げてから玄関へ歩きだす。


「えっ?また買い物ですか」


「いえ、帰りますよ。長居するのは迷惑でしょうし…」


「全然迷惑じゃないです!むしろ一緒に食べましょう?秋野さんが作ったんですから、秋野さんも一緒に食べるべきです」


座っていた可憐さんも立ち上がり、こちらに近寄って告げられた。


「その、食中毒の心配はないと思いますよ。ちゃんと手は洗いましたし、肉もちゃんと焼いて野菜も洗いましたから。ご覧になられてましたよね」


「…そういうことじゃないです。ほら、座ってください」


急に冷めたような雰囲気が感じとられたのだが、何かまずいことを言っただろうか。料理の安全面を保証する説明をしたのだから、むしろ喜ばれるべきでは。



「秋野さんって大学生なんですか」


「そうですよ。ここから30分くらいで着く距離にある大学に通ってます」


カレーを煮込み終えるまでの時間、会話をして時間を潰すことになった。

可憐さんが目の前にいるなかスマホをいじり出すのはどうなのだろうかと思っていたので、会話を切り出してくれるのはありがたかった。


「コンビニでのアルバイトはいつからしてるんですか」


「今年の2月からですね。今は3ヶ月が経ったくらいです」


「大変ですか」


「慣れれば大したことないですよ。それに入りたての人は先輩がフォローしてくれますから」


「…私でもできますか」


「え?できると思いますよ」


「…そうですか」


その言葉を最後に、個人的にはなかなか長く続いたと思った会話のラリーが途切れてしまった。それから考え込む可憐さんをみて声をかけるのもはばかられるので、なんとなく水を口に含む。



そろそろいい時間だろうか。ようやくカレーをあたためていたコンロのつまみを回す。

お皿にうつすのは私が、と先程まで考え込んでいた可憐さんが言うので任せることにした。



「「いただきます」」


時刻は12時。

お昼を食べる時間としては丁度いい時間帯だった。



「…すごく美味しいです。秋野さんってシェフなんですか」


「特別なことはしてないので、可憐さんがつくっても同じ味になりますよ」


多分高級料理店のカレーとか、シェフがつくるカレーを食べているだろう可憐さんから称賛されたのは素直に嬉しい。だが、褒められることがあまりない俺は素直に受け取れなかった。



「私は料理ができないので、現時点では秋野さんみたいにスムーズに作ることはできないですから…秋野さんと同じ味にはなりませんよ。こんなにも美味しい料理を作ってくださってありがとうございます」


そんなに真っ正面から伝えられた言葉を受け流せるほど捻くれた性格はしていない。


「…そんな風に言ってもらえて作った甲斐がありました。また機会があればつくりますよ。可憐さんの食生活か心配ですので」


お客さんからこんなにもいい笑顔で感謝してもらえるなんて、コンビニバイトの中で俺が1番幸せなのではないかと思う。

願わくば、お客さんと店員じゃなくて…。

友人として接することができればと思ってしまうのは可憐さんに対して踏み込みすぎで、そんな関係を求めるのは贅沢だろうか。



「あ、でしたら料理を教えてください。秋野さんが買ってきた食材を無駄にしたくないですし、私なりに頑張って料理したいです。その…今みたいに秋野さんに心配をかけさせるわけにもいかないと思いまして…」


こちらの様子を窺うようにしての問いかけに即座に答える。


「それくらいなら、お安い御用です。むしろオートロックを解除してくれた分のお礼をし足りなかったので」



その後、簡単な料理について教えながら、今度は夕食になりそうな料理を一緒に作る。

昼食を食べて、すぐに夕食の準備をするだなんて珍しいこともあるものだ。


「私、こういうの憧れだったんです。友人と一緒に何かをするのって…凄く幸せです」


どうやら思ったことはすぐに叶うこともあるらしい。

友人…そんなひと言が凄く胸をあたたかくしてくれた。可憐さんと時折交代しながら、説明を加えながら、ともに料理を進めていく。心も体も可憐さんとの距離が近くなった瞬間だった。



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