第4話 中華まんのようにほかほかだろうか
お嬢様が来店しだしてから、無事に一月が経過しようとしていた。しかし、その間俺とお嬢様の関係性の変化、距離が縮まった、ということは一切なかった。
まぁ従業員と客の関係だからね、仕方ないねと割り切ろうと思っていた日のことだ。
「いらっしゃいませー」
4月も終わりに近づき、朝も徐々に暑くなってきた。
こうなってくると、アイスコーヒーがよく売れる。定期的にレジから離れ、補充しないといけない。また、飲料コーナーの飲み物も減りが早くなるので、陳列棚の後ろから補充をする。
ただ、こんな暑い中でも未だに中華まんを販売しているし、それを買うお客さんがいることがコンビニの客層の幅広さを知らしめさせているだろう。
そうやっているうちに時間が経過し、午前7時38分。
1ヶ月近くも経てば、あのお嬢様が来店する時間も分かるようになった。大抵の場合、7時40分から8時までに来店する。
つまり、そろそろお嬢様の来店時間だ。急いでレジの方へ戻る。決してお嬢様を一目見たいからではなく、他のお客様をレジ待ちさせないためであると理由づけしたい。
レジに急いで戻るが、お客は少なく、1人で大丈夫そうだったので安心する。
ならばと、パンやおにぎりのフェイスアップをしていく。
あーあー、パンがぐちゃぐちゃになってるよ。とりあえず古いのを前に持ってきて…あとこれは売れるから3つ分の列を作って…と、よしOK。次はおにぎりだ。
…ん?今日は珍しくおにぎりの在庫が少ない。お嬢様は…まだ来てないよな。フライヤーのコロッケが売れていないことを確認して、予想立てする。…っ取っておくか。
もしお嬢様が来なかったら、棚に戻せばいいだけだ。そう思い、ひとまず鮭、高菜、ツナマヨのおにぎりを1個ずつ手に取り、レジの後ろに置いておく。
「いらっしゃいませー」
「6点で720円です、はい1000円からお預かりします。280円のお返しです。ありがとうございましたー」
おにぎりを6つ購入していったお客さんによっておにぎりの数がまさかの残り2個となってしまった。しかも鮭、高菜、ツナマヨを2個ずつ買っていき在庫はなくなってしまった。レジの後ろに取り置きしてなかったらもっと買っていた可能性がある。
これでおおよそ出勤前のお客さんはいなくなったと思うので、この後のおにぎりの納品まで何とか持つだろうか。
「あ…」
気づけばお嬢様が来店していた。そしておにぎりの棚をみて、絶望的な表情を浮かべていた。
「えっと、おにぎりですよね。鮭と高菜とツナマヨでよかったですか?」
お嬢様におにぎりが要らないならば棚に戻せばいいだけだから、と先程理由づけしたことを思いながら、レジの後ろからおにぎりを取り出す。
「え…」
「あの、要らないなら遠慮せず断っていただければ」
「要ります!その、ありがとうございます」
曇った表情から、何とか雲が消え晴れ間が見えてきた。とりあえずお嬢様の笑顔が見れたのでよかった。
「その、私が購入する商品って、よくお客さんが言う「いつものやつ」というものですよね。私もついに常連客というお客様の席次上位に…」
「まぁコンビニの常連客って、結構店員に覚えられて、店を出たあと罵詈雑言が酷いですし、あまりいいものじゃないですよ。特に、変なあだ名つけられたりしますし」
「えっ…それって私もおにぎり3つとコロッケ女みたいなことを言われているのでしょうか」
「俺のレジにしか来ないから他の店員は知らないんじゃないですか?いつも来てるお嬢様ってイメージしかないと思いますよ」
確かに俺のイメージはおにぎり3個とコロッケのお嬢様になっているが。
「そうですか、よかったです。それと、私は普通の高校生なので、お嬢様呼びはやめてください」
「いや、でも名前知らないですし」
大抵の場合、店員が客の名前を知るには限られた手段がある。例として、公共料金の払い込みや、荷物の発送、受け取り、商品の予約といった手段であり、これら以外では知りようがない。つまり、このお嬢様の名前を知る機会はゼロだったのだ。
「神宮寺可憐と申します。これで名前は覚えられましたよね、今後は名前でお呼びください」
「はぁ…かしこまりました。神宮寺さん」
「…可憐とお呼びください。その名字はあまり好きではないので」
「あ、はい。可憐さん」
「えへへ…では、行ってきます、秋野さん」
「はい、行ってらっしゃい」
…ん?店員さんじゃなくて俺のことを苗字で呼んだのか。
しかも行ってきますって言われたから…自然と口が応えてしまった。
神宮寺可憐…これがお嬢様の名前なのか。
出会いから1ヶ月近くで、ついに名前を知った関係性…つまり知り合いまで発展したといえるのだろうか。
それにしても苗字で呼ばれることなんて、慣れているし、誰から呼ばれても一緒だと思っていたんだけど。
呼ぶ人によってこんなに脈が早まったり、体が熱くなったりするものだろうか。今の俺の体は、蒸気こそでてないが、中華まんのように蒸されている感じだ。
その後、バイトが終わり、大学の講義を受けたのだが、先程のシーンが脳内で繰り返されたせいか、あまり内容が頭に入らず、ただ板書をするだけの時間を過ごすことになった。
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