第12話
「おや、閣下子息殿。本日はお姉さま方はお留守かね?」
その時、2人は連盟に用事で家を出ていた。そんな折にル・マン・ゲーロが家に訪ねてきた。
「るまんゲーろさん? 」
「ほっほっ! オルレアーヌ嬢は容易く呼びなさるが、いざ自分が言うとなると呼びにくいでしょう? ゲロで構いませんよ。ゲロ爺とでもお呼びなさい。フランシス嬢もそう呼んでいるのでね」
「ゲーロさんでもいい?」
「もちろんでございます!」
相も変わらず冷たい声をしているがやはりその中に温もりを感じられる。
「ごめんなさい。ホントは僕がもてなさないといけないのに」
客間の場所がわからず、客であるゲーロさんに案内してもらい、なおかつ茶まで淹れてもらう始末。情けない。
「なに、子どもがそんな気を利かせる必要はありませんよ。それに私、閣下に茶を淹れるのが楽しみのひとつでもありましたから。今、閣下子息殿にこうして振る舞えることが何よりでございますので」
彼が淹れた茶の薫りは甘く、また程よく熱い。
「美味しいです」
「おぉ、何とも恐悦な言葉」
ゲーロさんは嬉しそうに笑う。それが何だか僕も嬉しい。
「それではここで1つ老耄の昔話にでも付き合ってもらいますかな」
細い足を組む彼の姿に年季の違いを覚える。これまで培ってきたモノが纏う気品に表れているのだろうか。
「私はかつて1匹のしがない吸血虫でございました。視認すら難しい程の一粒の虫。それでも当時から脚力には自信がありまして、血の供給先である宿主から潰される前に天へと翔けては新たな宿主へ移り住むということを繰り返して生き永らえておりました」
足を擦りながら語る彼にはその自信が見て取れる。
「しかし、やはり限界というものがあります。血を吸い、大きく成長していくにつれて、宿主に見つかる頻度が増えました。そして、1回の吸血量も増えるので宿主もより大きな動物を選ばなければなりません」
ゲーロさんは僕が茶を啜る時は一旦話を止めて、僕がカップを置くのを待ってくれる。
「宿主探しには苦労しました。最初は毛が多い動物に取り付き、毛に身を隠すということをしていましたが、それも徐々に限定されていき、時には魔物にも飛び付くこともございました」
溜息を吐くその表情から当時の苦労が窺える。でも、今の姿からそのような過去があったとは思えない。
「いつしか私は小動物程の大きさまで成長しました。我ながらよく生き残れたと思います。これも全て閣下に出会うために存ぜぬ力が働いたと思う他ありません」
その眼差しに真剣さが見える。僕も飲み込まれるように話に食い入る。
「紅き月の夜のことでございました。私はいつからか人間から魔物と呼ばれる者となっていたようで、複数の武装集団に囲まれました。ですが、所詮はたかが虫。一瞬で人間を始末するような攻撃手段など持ち合わせておりません。有るのは自慢の脚力のみ。当時の私はそれを武器として扱うことなど不可能でした」
「それでゲーロさんはどうしたの?」
「逃亡を試みました。しかし、人間とは案外頭が回るもので、予め私が逃げるであろう場所に罠を仕掛けていたのです」
「罠?」
「動物を捕獲する時に使うような大網です。あの時の感触は今でも憶えておりますとも。まるで蜘蛛に絡め取られたような、あの絶望感を」
ゲーロさんの顔が険しくなる。あの優しそうな好々爺でもこんな顔をするんだ。
「おおっと、失礼。当時の事を思い出すと少々感情が揺らいでしまいました。私もまだまだ未熟ということですな」
ホッホッホと笑うと、ゲーロさんはまた優しい雰囲気を身にまとわせた。
「そんな折でございました。月下の影に閣下が現れたのは」
懐かしげに、それでいて少年の瞳のように憧れを潤ませて髭を撫でる。
「閣下は瞬く間にお食事を済ませなさりました。彼にとって、私のことなど眼中になかったのでしょう」
「お父様はゲーロさんのことを助けようとした訳ではなかったの?」
「えぇ、閣下にとっては唯の食事であったことは間違いありません。ですが、私にとっては命を助けてもらったことに他なりません」
いつしか茶を飲む手は止まっていた。それほど、話にのめり込んでしまっているんだ。
「私は網の中で叫びました。『どうか、貴方様の下へ!』。今思えば一介の虫ごときが何をほざいているのかと我ながら失笑することでございます。しかし、閣下はただ一言『来い』とだけ」
「か、かっこいい......!」
「またその昔話?」
「あ、オルレアーヌ姉様。おかえりなさい」
「ただいま。それよりもル・マン・ゲーロ、来るなら事前に使いを寄越しなさいよ。おかげで貴方にまで苦労かけたじゃない」
「いえいえ、お構いなくオルレアーヌ嬢。今日は子息閣下の顔を見に来ただけでございますから」
「ん、ゲロ爺、来てるの?」
「おぉ、これでユーロン家がお揃いになりましたな。お茶会の仕切り直しを致しましょう」
愉しげに笑うゲーロさん。
今日は僕にとっても楽しい一日となった。
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