第5話
「ラディ......」
咄嗟に彼女を投げ飛ばしてしまったが、彼女は大丈夫だろうか 。
「他人の心配より、自分の心配をしたら」
その無機質な声は、心臓を貫かれたと錯覚させるほど冷たく、背筋を凍らせた。
「誰だ、お前は?」
絞り出した一声。それが限界だった。
「そうね、貴方が知る必要はないわ」
その少女の紅黒い瞳に見つめられると遠近感が狂い、平衡感覚を失う。暗い空間の中で蒼く光る銀髪が不気味で吐きそうになる。
「たった1人だけというのがつまらないけど、仕方ない。早く終わらせて、姉様と合流しましょう」
腰にある剣に手を当てた時には既に少女の拳が眼前に迫っていた。
受け流す!
紙一重で顔と身体を捻り、衝撃を外へ流す。
「ブァッ!!」
しかし、完全に衝撃を逃がすことが出来ず、眼球と脳が大地震に見舞われる。シナプスの信号がコンマ単位で遅れていたら、恐らく頭部はトマトのように潰れていたに違いない。
だが、そんな事を考えている余裕はない。来るであろう追撃に向けて、体勢を整えなければ!
《急戦・迅嵐》
居合から派生するその場での剣舞。
肉を斬る感触はないが相手は退いて距離は取れたはず─
「遅い」
蹴られたと認識したのは壁に激突してからだった。内蔵が押しつぶされる感覚、いや実際にいくつか破裂しているだろう。脳が確かめるように痛みを積み重ねる。
「がはっ!」
今ので肋骨も折れて肺に刺さっている。だが、そんな痛みよりも俺は
彼女が恐ろしくてたまらない。
「脆い。最初から期待はしてなかったけど」
「はぁっ、ぶはっ、ふぅぅ」
足が震えて立ち上がれない。剣がまともに握れない。視界が全く定まらない。
「嘘。実は少しだけ期待してた。だって、さっきの異空転移に気づいてたから」
逃げろ!逃げろ逃げろ逃げろ!
じゃないと死ぬ!
「でも、結局は他の人間と同じで弱い」
否、逃げるな!! ルデスオーガの人間が退くな! 死する時には砕けて散れ!
「ちょっとだけムカついたから、虐めてあげる」
肺が潰れた時の呼吸は細く深く。足が震えるなら全体を揺らせ。目が見えぬなら音を気配を他で感じろ。
「《紅鬼・陽炎の型》」
「今度は何? 揺れてるだけ?」
相手を木偶人形だと思え。いつもの様に剣を握り、身体を動かせ。
「《
胴体に深さ5cmほどの斬り込み。よし、いつもの感触だ。
「なるほど、緩急の幅が極端な技。少し油断したかも」
これでダメージは五分のはず。ここからだ。
「ますますムカつく。ちょっとだけ本気になるから、死なないでね」
望むところだ!《幽鬼れ─
「あがっ!」
身体が縦横無尽に打ちつけられる。打ち上げられたのか、打ち落とされたのか、右に吹き飛ばされたのか、ひだりにふきとばされたのか。痛い。なにもわからない。わざと急所を外して、死なないようにしてることだけを除いて。
「あ、ば、が、あ゛」
「今ので39発。貴方がギリギリ死なない程度の境目。ちなみに並の魔族でも10発も耐えられないくらいだから頑張った方」
指先ひとつも動かない。思考は痛みと困惑と恐怖で塗り潰されて、論理的思考など到底辿り着けない。
「まさか、勝てるとでも思ってた?」
髪を掴まれ、無理やり顔を上げられる。たったそれだけでも身体に激痛が走る!
「あ゛あ゛あ゛!」
「本当、人間って馬鹿で愚かで滑稽。弱いくせにまるで自分たちが1番だと思ってる」
「は゛な゛せ゛ぇ゛」
「嫌」
思い切り顔面を地面に叩きつけられる。礫が顔中に食い込み、皮膚を貫き、肉を抉る。
「ぶぁッ!」
「芋虫みたいに這いずってるのにどうしてそんなに高圧的なの? 今、自分の命が握られていること、分かってる?」
「ぐぅぅぅ!」
どんどん地面にめり込んでいく。顔を中心にして小さなクレーターが徐々に出来始める。
「あんな子供騙しのくだらない剣法で私に傷をつけて良い気になっちゃった? おめでたいね」
「あ゛?」
今、何て言った?
くだらない?
子供騙し?
何が?
俺の剣をか?
いや
こいつは確かに
俺の
脳の血管が プチプチ と音を立てて熱くなる。明滅していた視界が真っ赤に染まっていく。
許してなるものか
このまま死んでいくことを
このまま許してなるものか!
「《紅鬼・『終月』》」
─いいか、血に狂った鬼は月が巡るまでしか生きられない
「はい、母様」
「ん?」
少女はマーカスから手を離して、一気に距離を取る。
「《上弦一夜・糸月》」
横軸の動きを最小限にして放たれる突き。
「ん」
少女は地面を蹴って避けるが、頬に浅く切れ込みが入る。
「さっきのよりも速い」
それに、剣のキレも動きも桁が上がった
「《二夜・枝月》」
剣先が不規則に動き、斬撃とも形容し難い一撃。だが、それは的確に彼女の急所に向かっている。
「《付呪・雷鷲》」
少女の身体に紋様が浮かび上がる。次の瞬間、彼女は雷の如き速さで刃を避けた。
「......ねぇ」
マーカスから十分に距離を取った所で少女は足を止めて、呼びかける。
「《三夜・矢月》」
もはや鍛え抜かれた兵士でさえ、目視するのが難しいほどの踏み込み。それでも、その刃は少女を捉えることができない。
「私たちは命まで奪うつもりはないの」
「《四夜・角月》」
「ただ、ほんの少し挨拶がてら遊びに来ただけ」
「《五夜・瓜月》」
「あなたたち人間と私たち魔族との差を知らしめるために」
「《六夜・羽月》」
「人間たちが再び血迷った選択をしないように」
「《七夜・顕月》」
徐々に刃が少女を捉え始める。
「ねぇ、教えてよ」
「《八夜・翻月》」
「どうして簡単に命を投げ出すの?」
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