第90話 どくろ、とじる
「どうする女ども」
下品な高笑いが響く。
私は何発か威嚇射撃をした。すぐに十倍になって返ってくる。車にも何発か当たった。ビッツィーは動けない。この状況で車を失うのは最悪だ。それとも、もう車を棄てるしか無いのか。私は無い知恵を振り絞った。
「ビッツィー。あれは? 地面を掘るヤツ。モグラみたいに逃げられないかな」
「無理。距離が有り過ぎる。移動出来るのは息を止めていられる間だけ。モグラ叩きみたいに顔を出した瞬間、蜂の巣にされるでしょうよ。それに地面は岩だらけで、下へ掘り進むのも難しそうだわね」
私は辺りを見渡して、更に打開策を探した。
そうしている間にも、ビッツィーの脚からは血が流れ出ている。
「ビッツィー。ビッツィー」
「うん」
ビッツィーは半ば眠ったような返事をした。
「ビッツィー……まだだよね」
「まだまだ。死ぬのは生きる力をぜんぶを使い切ってから。それって一番贅沢な事だと思わない?」
「うん。うん」
ビッツィーに良く見えるよう、何度も
『猫』が転がり落ちて来る。車を飛び越えて来ようとしていたのだ。
ビッツィーは震える手で『猫』をゾンビィに変えた。
「ほら、行っといで」
『ゾンビィ猫』が警官たち目指して駆け出す。たちまち銃声が集中して『ゾンビィ猫』を肉片に変えた。
まだ。まだまだ。
口の中で呟き繰り返し
突撃の暇を与えない様、力の続く限り銃弾を生成した。
やがて体力が尽きると、認めざるを得なくなった。
もう、手立てがない。
「ビッツィー」
「……なあに」
「楽しかった」
「……まだでしょ。まだ一回か二回は
「ビッツィー。それは取って置いて」
二人で生き残る道はない。
しかし、ビッツィー一人なら、車に乗る隙さえ私が作れば、
その
ビッツィーは首を横に振った。
「あんたね。もし、血迷って、私のための
憎まれ口を叩きながら、ビッツィーはずるずると地面へ崩れ落ちて仕舞う。私は彼女をちゃんと座らせてやった。
「ビッツィー。私だって無駄死には嫌。戻って来て何て云わない。だから出来る限りまで生きて。終着駅を見てね。其れが私達の勝利。私達の素晴らしい人生の
ビッツィーは何か良い返そうとした。
私はそれを無視して『片方の男』に向かって声を張り上げた。
「カタキンの人いる?」
「さっさと降伏しろよクソが。車ごと蜂の巣にしてやってもいいんだぞ」
「いいえ、あなたはそんな事しないわ」
「ああ?」
「だってあんたマザコンだもの」
向こうからは一瞬沈黙が返って来た。それは黙り込んだというというよりは絶句、怒りに頭がむせかえった
「テメエ、俺を。この状況で俺を……」
怒りのあまり言葉が出てこないようだ。
私は続けて挑発する。
「ママは
銃声が響いた。次いで揉み合う様な声。
暴れだしたカタキンを他の警官が宥めているのだろう。もう少しだ。もう少しで釣れる。
「だからそんなに執念深く追って来るんだよねえ。ママに叱って欲しいのに、もうママはいないから」
「――ちげえ。違う」
「ママの代わりが欲しくて私たちを追って来たんでしょ。ママに叱られたいんだよねえ。『こっちを見るんじゃない』『耳を塞げ』『あんたなんか男じゃない』そう云って欲しいんでしょ?」
「違う。俺はテメエらをブッ殺しに来たんだ。あと二人コンプリートしたくてウズウズしてんだよ、俺は子供なんかじゃねえ、僕は――」
一発の銃声が響いた。そして、さっきとはまた違う種類の制止の声が続く。
車の影からでは良く見ないが、私は確信した。ドイルさんがやったのだ。彼が叫んでいる。
「私の妹を撃ったな。あの子は私の妹だ」
私が聞いたドイルさんの声のなかで、一番頼りがいのある声だった。警官隊に混乱が広がるのが声で伝わって来る。
「ビッツィー、今」
私はビッツィーを運転席へ押しこんだ。それからキーをひねった。お願いだからかかって、と神に祈った。
エンジンは二度震えた後、鼓動を刻み始めた。
「――ノリコ」
「行って」
「ノリコあのね」
ビッツィーが最後の言葉を掛けてきた。
これが正真正銘、私たちの最後の遣り取り。
「私は――」
ビッツィーは怒ったような顔をして、でも声を抑えていた。ビッツィーがどんな時その顔をするか、私は知っていた。でもそれがどんな時なのかは、誰にも教えてあげない。私だけの秘密だ。
「――ノリコ。本当の事を云うけど、私は脳を
そう云って彼女は片頬で笑みを作った。
私の返事はこうだ。
「知ってた」
知っていた。ビッツィーの欲望も、時々見せる有るか無しかの苛立ちも。私はそれが少し哀しく、そして密かな自慢だった。
ビッツィーは私を見返した。
この時、彼女がどんな表情を浮かべていたかは、誰にも教えてあげない。ビッツィーにこんな顔をさせたのは、きっと私だけだから。
「ビッツィー。ビッツィーはビッツィーの
これでお別れは終わり。
車はゆっくり走り出し、私は追っ手へ向き直った。
ビッツィーは振り向かなかったに違いない。私もビッツィーの様になりたかったから、振り返って確かめたりはしない。
後はほんの一瞬、
あの男が怪我をしたのだろう。警官達の数名が集まって騒いでいた。
混乱の中でも、ライフル隊は
でも、もう遅い。車の音は遠ざかって行く。
「私の勝ち」
私は歩いて彼らに近づいて云った。さて、弾丸はあと一発。
「止まれ、もういいだろう」
警官の誰かが叫んだ。悲壮な声だった。泣いている様にすら見えた。私は急に親近感を憶えた。撃たれてあげてもいいなと思った。きっとみんな良い子。悪いのが私達。でも私にも意地と怒りがあるんだ。
ドイルさんが警官を振り払った。
彼は押さえ込まれながらもライフルを拾って、
ドイルさんは正しい。
私がいなければフランソワは死ななかった。それ以外の道理はどうでも良いのだ。フランソワの兄なら、フランソワの
「私がフランソワを殺した。知ってるでしょう」
私は更に進んだ。警官隊が制止を繰り返す。
ドイルさんも引き金に指を掛けた。
だが、
私は叫んだ。
「撃て。フランソワの
彼は絶望的な顔をした。構えが形だけのものになり、ついに銃を落とし、それから私へ向かって、首を横に振った。
「意気地なし」
私は全力で走って向かって行った。
警官隊の叫び。
私は銃を構える。
騎兵隊のライフルが跳ね上がる。
私は――これは褒めてほしいのだけれど――全身で、最後の一歩まで、弾丸を受け切った。最後の一滴まで力を使って前進し続けた。
登りつめた山の頂だから、真っ青な空へ流れて行く白煙が綺麗に見えた。
おぼえているのはそこまで。
私はトロイメライを聞いていた。
※※※
トロイメライが聞こえる。
――もうすぐ、六時になります。良い子はお家に帰りましょう――
血と岩と涙が降って来る。腕が勝手に跳ねている。
馬乗りになった男が、私を殴り続けている。
まるで、あらゆる不幸の元凶が私の
下から腕を振るって抵抗した。コツンと云う力ない手応えだったが、男は驚いた様だった。私のその手に拳銃が握られていたのだから。残弾は一発。最後の
「お笑いぐさの、くさですわ」
口紅に似た美しい弾丸は回転しながら飛んで、男の
「
満足の中、私は目を閉じた。
トロイメライはもう聞こえない。
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