第89話 籠城
車に飛び乗って走り出す暇はなかった。
もし車に脚をかけ様としたら蜂の巣にされていただろう。
どうにか車の影へ飛びこむ事は出来た。
「何人いた?」
「一〇〇人はいなかったと思う」
「ひゃくぅ?」
ビッツィーは着け爪を一枚、甲虫に変えた。
車の影から放った瞬間、銃声が立て続けに響いて甲虫を粉々にした。
「みたいね。いっそ派手に千くらいで来て欲しかったわ」
高原は広く、向こうから私達の車は丸見えだった。
警官隊が声を掛けてきた。
だだっ広い所で叫んでいるので、声は遠くの運動会みたいにスカスカだ。私は、あのトロイメライを鳴らす町内会のスピーカを思い出していた。
「君たちは完全に包囲されている。いいかげん――」
警官の勧告に、誰かさんの下品な声が割って入った。
「命乞いの機会を与えてやる。これまでの事を俺に詫びて許しを
車のミラーをもぎ取って、向こうの様子を写して見た。
動きで分かる。あのカタキンが喚いていた。隣でフラフラししているのはドイルさんだろう。フランソワを失った彼が、どんな表情をしているのかまでは見定められない。
「嘘つけ。命乞いさせてから殺す気でしょうに」
ビッツィーは車越しにヒラヒラ手を振って見せた。この世界での『病院へ行け馬鹿』という意味のハンドサインだ。
「何だお前――」
すぐに罵倒が返って来たが、詳細な内容は伏せておこうと思う。お母さんが訊いたら泣いてしまうであろう程の下品なセリフだったとだけご理解戴きたい。
「――お前らは終わってるんだよ。悪食のビッツィー。玉取りノリコ」
「何て云った?」
私は銃を連射した。たちまち騎馬隊の斉射が返ってくる。危うく頭を吹き飛ばされる所だった。
「もう! 変な二つ名つけられた」
「あっはっは。カッコいいじゃない」
「良くない!」
笑いながら、ビッツィーは抜け目なく機会を探っている。
多分、例の催涙ガスを積んでいるであろう飛竜が頭上を通過する所だった。
ビッツィーが目配せを
私も意図を察して撃った。
第一の弾丸が、飛竜の首に付いた催涙球を撃ち落とした。
「おっと」ビッツィーが上手にキャッチする。
「ごめんね」
私の次の弾丸が飛竜の頭部を撃ち抜いた。
飛竜は私たちを通り過ぎて、崖のギリギリに落下した。
ビッツィーの呼び出した醸造蟻の群れが群がる。彼らはキャタピラの様に飛竜の死体を引っ張って来る。
この死体がビッツィーの策だった。脱出手段が無いなら手に入れるしかない。
「ホントは生きたままゾンビィに出来たら良かったんだけどね。それでも盾にはなるでしょうよ」
私達の脱出計画はこうだ。
この大きな死体を、蠱術で何とかして動かして、銃弾の盾にする。この盾の影で私達は車に乗りこむ。急いでエンジンを掛けて転移術で逃げる。以上。弾に当たったらご
「突撃されたら終わりだけどね。その時は私が何とかかんとかするよ」
「急がないとね」
蟻はずるずると死体を運んでくる。
その時、私は奇妙なことに気づいた。
「ビッツィー『鳩』の騎手がいない。最初から乗ってなかったみたい」
元々私は、飛竜を落とした後、三つ目の弾丸で騎手を戦闘不能にするつもりだった。だが、それが
「崖から落ちたんじゃない?」
「そんな所見なかったけどな……」
『鳩』は、脚に輪っかの様な物を
蟻が無事だから、蟲除けの護符とは違うみたいだが、輪っかの表面に魔術式らしい模様が刻んである。それが微かに光って、点滅していた。
「ああ、くそ」ビッツィーが声を上げた。「伏せて」
直後、飛竜の死体が爆発した。
あの足の輪っかの
爆風とともに、死骸の破片が飛散した。鋭い骨が、地面や、車のドア、フロントガラスを吹き飛ばした。
私が即死しなかったのは、ビッツィーが蟲で防いでくれたからだった。
おそらく、爆風を
だが、まるきり無事という訳にはいかなかった。
「ノリコ、平気?」
「私は、大体大丈夫」
「車は?」
「分かんない。エンジンとタイヤは無事みたい」
「そう」
「でも、でもビッツィーが……」
ビッツィーの体のあちこちに、骨や瓦礫の破片が突き刺さっていた。特に太ももに刺さった骨の傷はかなりの深手だった。
カタキンの高笑いが聞こえる。
「引っかかったな。テメエらが小賢しい事を
勝ち誇った声だった。
ビッツィーは血で汚れた顔を歪めて笑った。
「やれやれ。動くに動けない。
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