第88話 幻のフラウ=ナ=ヴエル


 車から降りて『フラウ=ナ=ヴエルの階段』の前に立った。

 光が降りそそいでいる。

 私達は階段の果てを見上げた。

 空の頂に、雲のかたまりが浮かんでいる。想像以上に巨大だった。

 まるで山頂に白い山が一つ浮かんでいる様な眺めだった。

 その二つの頂を『フラウ=ナ=ヴエルの階段』が結んでいる。

 円を描いて流れる雲の隙間に建築物の影が覗いた、ように思う。

 ビッツィーが呟く。

「フラウ=ナ=ヴエル」 

「在った。の? 本当に? ビッツィー、ここが終点なの? ビッツィー?」 

 流石さすがのビッツィーも、驚いた様子で口を開けている。

 私たちは車から降りて、恐々近づいて行った。

「でも何時いつの間にこんな物が」

「分からない。気づいたらこうだった。前を見て運転していたつもりだったけれど……」

 如何どうすれば良いのだろう。

 この光の階段で上って行けるのだろうか。それとも階段に見えているだけで触れられないものなのだろうか。

 私はビッツィーを見た。

 ビッツィーも私を見ていた。

 私たちは頷き合い『フラウ=ナ=ヴエルの階段』目指して歩き始めた。

 光の階段に足をかける。

 その時、高原の向こうから、山鳴りとともに風が吹き渡った。

 次の瞬間、フラウ=ナ=ヴエルはその風に吹き崩され、切れ切れの雲になって消え散って仕舞しまった。

 後には山頂の乾いた空が残るだけだった。

 フラウ=ナ=ヴエルは消えていた。


 私達はしばし呆然とした。

 不思議と、悔しいと云う感覚は湧かなかった。それ以前に、幻だったのか? と云う気持ちの方が強い。

 自然の悪戯が生んだ水蒸気の塊を見間違えたのだろうか。

 それとも本当に、フラウ=ナ=ヴエルまであと一歩の所に迫っていたのだろうか。

「一足遅かったということ? それとも夢を見ていたの、私たち」

「さあね。やれやれ。甘くはないって事ね。いっそスッキリしたわ」

 私も同じ気持ちだった。フランソワが此所にいても、やっぱり笑った様に思える。

 学校をサボった日の午後の様な、奇妙な開放感さえ感じた。

 目の前を見ると崖だった。

 フラウ=ナ=ヴエルのために車を止めていなければ真っ逆さまだったろう。

 だが助かったとは云い難い。

 二度目の風が吹いた。

 今度はなまぐさい臭いが体にまとわり付いた。

 偵察隊の飛竜が、頭上をかすめ飛んで行ったのだ。

 馬のいななきが聞こえる。

 高原を振り返ると、追っ手の本営が進軍して来るのが見えた。

「いよいよお仕舞いね」

 ビッツィーが笑った。

 此処ここが逃避行の終点と云うわけだ。


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