第75話 のび太くんへ


 血と土と酒の味が口中に満ちている。

 私はそれらを飲み下した。足りない。地面の泥を握り取って口に押しこんだ。怒りを燃やすには、地べたの味が必要だと思った。それとお酒だ。お酒は熱い。でも私の怒りの方がもっと熱い。

「私は怒るべきだったんだ、あの時も」

 わだかまった髪の束ごと、泥を掴んだ。

 髪は夜光虫が広がる様にして熔けた。光が地面に魔術式の記号を描く。頭髪に現れたのと同じあの模様だ。

「殺されようとしていたあの時も、今までもずっと、私は自分の怒りに気づけなかった。怯えるのはもう嫌だ。諦めるのも嫌。皮肉を云うのでも嫌。私はあの時、怒るべきだった。そして、今も怒ってるんだ」

 泥を掴む手に力を込める。

 魔術式の光りが凝縮していく。泥の感触が変化する。

物質のありようが崩れ、組み替えられ、血と土と酒が生まれ変わっていく。

 確かな質量を感じた。

 気づくと、私の手の中に、大ぶりの拳銃が握られていた。


「おい。何やってる。妙な事やってねえだろな」

 『片目の男』が云った。その声を聞くだけで、私の怒りは燃え上がり廻転を始める。

 弾丸は目の前にある。

 何故なぜだろう。愛用のシャープペンシルの様に、銃の構造がはっきり理解できた。私もたいへん不思議に思う。淀みない動作で弾丸を充填じゅうてん出来た。

「のび太くんを知っている? 知らないよね」

「ああ?」

 這いつくばったまま、泥の中へ発砲した。

 血と土と酒が舞い上がる。

 『片目の男』は反射的に下がった。

 私が立ち上がって銃を向けると、一瞬何が起きているのか分からないらしい。

「おいおい」

 困ったような顔をした。それでも用心深いのか護衛の向こうへ隠れた。警官たちがシールドで防御の姿勢を取る。

 構わず撃った。

 銃に備わった魔術式が、発射の反動を無害な光に変換する。肩には心地よい衝撃が伝わってきただけだった。

 美しい色をした魔術の弾丸が、弧を描いて飛んだ。

 弾は盾をかわし、地面の岩で跳ね返り、警官エイポどもの隙間を擦り抜け、正確に『片目の男』の片耳を吹き飛ばした。

 護衛の向こうから私の所まで『片耳の男』の悲鳴が聞こえて来た。大当たり。

「痛……え? 痛え! お前、お前ら俺を守れ。何やってんだ畜生」

「え? え。どうなったんです」

「いいから集まって俺を守れ馬鹿」

 護衛も状況を図りかねていた。

 彼らは『片耳の男』とドイルさんの警護を優先した。

 此方こちらに仕掛けては来なかったのだ。

 私は彼らに背を向け、ビッツィーの所へ歩いて向かった。

 生き残りの『猫』達も何が起こったか分かっていない。

 私に警戒しながら、同時に主人の様子を心配した。きっと優しい子なのだろう。思い切り笛を浮いてやると、警官達の所へ逃げ帰って行った。

「ビッツィー」

 私はビッツィーに呼びかけた。泥の中から親指が上がった。無事なようだ。

「信じてたわ相棒」とビッツィーは云い、

「待たせたなハニー」と私も調子を合わせた。

 屋根の上からフランソアが歓声を上げた。

 二人で、其方そちらへ親指を立てた。

 それからビッツィーが云った。

「じゃ、行こっかあ」

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