第72話 蟲嵐


「フランソワ、フランソワ」

 ドイルさんが叫んでいる。

 フランソワは屋根の上から牙をむいて見せた。彼女の変わりように困惑したのだろう、ドイルさんは言葉を詰まらせた。

 ダルト=テルト、つまり『片目の男』はドイルさんを押しのけてビッツィーへ呼びかけた。

「投降しろビッ=ツィー。法の裁きを受けるのだ」

 ビッツィーは鼻で笑った。

「あら丁重ていちょうな扱いどうも有り難う。所でその目ん玉どうしたの? ファッション? カッコいいと思ってやってるわけ」

「テメエがったんだろブッ殺す」

 片目の男は豹変した。隣の警官たちが慌てて押しとどめる。

「落ち着いて下さい。挑発です」

「――本心ではなあ、テメエが抵抗してくれる事を願ってんだよ。合法的にぶっ殺せるからなあ。テメエが犯罪者だからじゃねぇ。俺の片目を奪ったからでも、まあ、ねぇ。男をめた女だからだ。俺のオフクロみてえにな」

 彼は護衛ごえいからライフル銃を奪ってビッツィーへ狙いを定めた。

「この煙で撃ったら同士討ちになるでしょ。ママに教わらなかった?」

「――知ってんだよ。分かっててやったんだよクソが。俺に意見して俺をコントロールしようとしやがって」

「マズいですよこの状況で撃っちゃ」

 護衛の男がライフルを取り返そうとした。空へ向かって銃声が上がり、それが乱闘の合図になった。


 ビッツィーは暴れに暴れた。

 銃声に気を取られた刺股隊さすまたたいの数人が吹き飛んだ。

 黒い水飛沫みずしぶきが馬小屋まで届いた。宇宙のように黒く、輝いて見えるれは、極小のむしの集まりなのだった。

「おいおいおい」

「怯むな、護符ごふがある」

「イヤイヤこれは――」

 警官の首にぶら下がっているのが、護符ごふらしい。護符に埋めこまれた宝石が輝いて蠱術こじゅつを防いでいる様だった。そのおかげか、今、飛ばされた警官達も、アルコールに分解される事無く生存していた。

 ただし、むしの質量によるダメージまでは如何どうにも出来ないらしい。ビッツィーが腕を振るうたび、警官達が宙を舞った。

 まるでむしの嵐である。

 暴風と化した蟲の群れは、馬小屋を吹き飛ばし、樹木を食い倒してアルコールに変えた。矢のように降り注ぐ醸造酒が、地面に川を作り始めた。

「怯むな、突っ込め。囲め」

「進めねえんだよ!」

 片目の男の号令と、警官達の悲鳴が、蟲嵐むしあらしに掻き消される。

「待って待って」

「待避待避」

「固まれって」

「固まったら余計に――」

 警官達が次々に飛んだ。

 ビッツィーの天狗笑いが響く。

 髪は乱れ、服もはだけた恐ろしい姿だった。

「撃て撃て撃て。撃っちまえ」

 『片目』は無茶苦茶に叫んでいる。

むしの嵐で狙いが定まりません」

「いいから撃て」

「同士討ちになるんだよ。そうなったらアンタの責任だ」

「じゃあ全員で囲めよ、護符ごふがあるだろ」

「くそっ全員で押せ押せ」

「うるせぇ馬鹿」

 ビッツィーが吠えた。

 なんとか前進しようとする警官たちを、最大の嵐が襲った。ビッツィーも力を振り絞ったはずだ。

 むしと酒の竜巻が、警官達を呑みこみ、上空へ巻き上げていく。

 蟲嵐むしあらしのなかに宝石の輝きが混じった。

 あまりの力に耐えかね、あちこちで護符が砕けはじめたのだ。

 嵐の中から悲鳴が上がる。

 その護符が如何云どういう物なのかは知らないが、片目の男が「国宝級、国宝級」と叫んでいたから、相当な物だったのだろう。そのほとんどが駄目になった。護符を持っていたのは刺股隊さすまたたいと一部の警官だけだったらしい。


 もう少し力が持続していたら、蟲嵐むしあらしは後衛のライフル隊、更に片目の男を食い尽くしていた事だろう。

 嵐が消えたのは、一つにはビッツィーが私達の事を思い出したからだろう。

 嵐に巻きこまれた宿は、かろううじて形を保っているだけの半壊状態。フランソワは何とか無事で、まだ屋根の上から吠え続けていた。

 ビッツィーは視線で私を探すような素振りを見せた。

 巻き上げられた警官達が落下してくる。

「痛い……畜生」

「居るか……皆居るか」

「待って……もうやめて」

「帰りてえ……」

 防具のお陰か半数がまだ意識を保っていた。

「気をしっかり持て。ヤツも疲れてるぞ、皆――」

 ビッツィーは近くの警官を蹴り飛ばした。

 が、反動で自分が転んでしまった。

 泥の中から起き上がるが、肩で大きく息を切らしている。

 ビッツィーも疲労していた。蟲嵐むしあらしを中断したのは、力を維持できなかった所為せいもあった。

 警官隊はまだ複数人残っている。

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