第71話 突入


 下でドアを破る音がした。窓の割れる音がそれに続く。二階へ上がって来るための階段は一つしかない。

「狭い建物タテモンの中で固まってるのは良くないわ」

「私がおとりになるよ」

らん事しなくて良いから、フランソワを連れて行って」

「足手纏いだと思ってるんでしょう私の事。だから置いていく気なんだ」

「あんたね……」

「見てて」

 言い捨てて私は廊下へ飛び出した。

 ビッツィーならフランソワを連れて窓から脱出できるはず。それ以上の事を考えて飛び出した訳ではなかった。つまり無策。足手纏いになるのを恐れるあまり、先走ってしまったのだ。

 私の想像では警官エイポ達が一斉に突入してくるはずだった。暗闇の中で出来るだけ暴れてやれば、二人の逃げる隙くらいは作れると思った。

 しかし彼らは発煙筒の様な物を投げこんで来た。私たちをいぶりり出す算段だったのだ。

 階下から煙が迫って、一瞬で視界を蔽う。目や鼻が酷く痛んだ。息すら出来ない。

「ビッツィー、フランソワ、ガスが――」

 それだけ叫ぶのがやっとだった。そうして藻掻もがいいている内に、私は階段を踏み外し、転がり落ちてしまった。


 意識を失ったのは一瞬だったと思う。

 無数の足音と号令が響いている。相変わらず目も開けられず、呼吸も出来ない。

 手探りで裏口を探り当てた。

 馬の騒ぐ声を頼りに、馬小屋を目指した。飼い桶の水で目を洗った。馬に蹴り殺されなかったのは運が良かった。

 私が警官隊に捕まらずに済んだのは、煙が姿を隠してくれただけでなく、表へ出たタイミングが良かったからだ。ビッツィーが二階から飛びおりて暴れ始めたのだ。警官エイポ達はそちらに掛かり切りになっていた。囮になるなどと云っておいて、反対に助けられたのである。

「居るぞ」

「追い込め」

を使うぞ、護符ごふがあるといって気を抜くな」

 刺股さすまたを持った警官エイポが慌ただしく動いている。魔術的な処理がしてあるらしく、刺股は不思議な光を放っていた。

 その光がビッツィーを照らし出す。甲虫を弾丸の様に飛ばして応戦しているが、全身を防具で包んだ警官隊には効果が薄い様だった。

「囲め、囲め」

「とにかく数で押さえこめ」

「ビッ=ツィー、抵抗は止めろ」

 迫ってくる刺股をビッツィーは腕で払った。爪に仕込んだ粘菌が、触れた物を朽ちさせるはずだった。けれど刺股さすまたは切断されなかった。

「またか、トンボ野郎」

 悪態あくたいきながら、地面を転がる。逃げたビッツィーを、刺股隊さすまたたいが更に追い詰めて行く。

「いいぞ、護符が効いてるぞ」

「全員で押さえ込め」

「抵抗しないようであれば殺すなよ、まだ撃つな」

「云うて死刑でしょうに」

 刺股隊さすまたたいの背後には銃を構えた警官達が控えていた。刺股隊が前線に居る間は発砲まではしないだろうが、劣勢になれば彼らの出番になるのだろう。

 数十人からなる警官のほとんどがビッツィーを警戒していた。彼らは蠱術士こじゅつしビッ=ツィーを制圧に来ているのだ。私の事など眼中にない。実際、私が飛び出して行って如何どうにか出来る状況ではなかった。

 フランソワの方は屋根の上へ逃れていた。

 煙に追い詰められ、動物のように四方を威嚇している。

「下りて来なさい。悪いようにはしないから」

「猿みたいな子だな」

「もう少し煙が引いたら梯子はしごを出そう」

 フランソワが捕まるのも時間の問題に見えた。

 自由に動けるのは私だけのようだった。如何どうするべきか分からなかった。破れかぶれで飛び出して暴れれば、今度こそ囮になれるだろうか。既に二人が発見されている状況では成功確率は低そうだが。

 その時、直ぐ側で声がした。


「遠くから指示するだけってのにはムカついてるが『センセイ』から買った護符は、上手い事機能しているな。それにしても気分が良いぜ。自分の地道な努力が実った瞬間ってのはなあ。はっ。『幻のフラウ=ナ=ヴエル』か。俺が気づかなきゃ逃げられる所だったよなあ。そうだろ」

「はあ」

「無駄口叩いてんじゃねえ。ヤツの動きを見逃すな」

 殴打する音。

 直ぐ近くに後衛の警官達が立っていた。

 私は馬小屋のわらの中で身をすくめた。さいわい、私ではなく、部下へ話しかけただけのようだった。それにしても下品な口調に聞き覚えがあった。カルベリィで出会ったあの警官エイポだ。

 一人だけ軽装に近い。彼がこの部隊の指揮官になっている様だった。

 片目を奪われた執念で追跡班の地位をもぎ取ったのだろうか。それとも単純に私たちの顔を知っているから抜擢されたのか。その両方だろう。そして、フラウ=ナ=ヴエルの名前を口にしていた。私達の目的地を知られてしまっている。

 物陰から観察した。『下品な片目の男』は、ビッツィーの方を向いている。私の潜む背後には全く警戒していない。

 彼はビッツィーへ向かって声を張り上げた。

蠱術こじゅつ醸造士じょうぞうしビッツィー。見ての通りお前は包囲されている。俺が包囲した。大人しく投降しろ。私は『令嬢醸造事件追跡班主任』ダルト=テルトだ」

 左眼が光っている。宝石のような甲虫は眼窩がんかに潜りこんだままだった。ビッツィーの撃ちこんだそのむしはまだ生きて動いていた。

 その時、屋上からフランソワが吠えた。

 片目の男の隣に居る人物に気づいたのかも知れなかった。

 フランソワの兄、ドイルさんである。妹の説得という名目だったのだろうか。彼は捕縛隊に同行していた。


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