第70話 貴女のドラえもん


「この機会にあなたの術式も見ておきましょうか」

 すでに部屋の明かりは落ちていた。

 ビッツィーは後ろへ回りこむと、行灯あんどんを頼りに頭の魔術式を調整し始めた。

「新しい術式を憶えた時にはね、細かな調整が必要なものよ」

 どんな施術を施しているのかは此方こちらからでは分からない。髪を整えてくれている様にしか感じなかった。

「髪の術式ってもう解読できたの」

「……うーん。まだまだ、かな」

 ビッツィーは指を動かし続けながら、曖昧あいまいな返事をした。

 カルベリイでもこんな風にしてれたのを思い出す。あの時と違うのは、私が少しねた気分になっている事だ。自分が足手纏いだという考えが頭から離れなかった。ビッツィーが口を開く度、別れを切り出されるのではないかと不安になった。

「ウム」

 その時、寝床からフランソワが起き上がった。すっかり眠ったものだと思っていた。

「トイレ? ついて行った方がいい?」

「ノン」

 フランソワは半分眠ったまま出て行った。階段を踏み外しやしないか耳を澄ませながら不思議な気分になった。

 家に居た時は、家族を窮屈きゅうくつに思っていたのに、こっちでまた家族の様なものを作っている。それを迷惑に感じた事はなかった。どうしてだろう。


 フランソワの足音が聞こえなくなると、ビッツィーは何時いつになく真剣な声で云った。

「ねえノリコ――」

「なに」

 私は振り返ろうとした。ビッツィーは指に力を込めて、私を前へ向き直らせた。

「あのね、私はあなたのドラえもんじゃなかったのよ。御免なさいね」

 彼女はそう云った。唐突な告白だった。

「ビッツィー」

 パズルのピースがはまるみたいに、すべてが正確になった。私は静かな声で尋ねる。

「最初の日」

「――ええ」

「神官を殺したのはビッツィーなんだね」

「そう」ビッツィーは頷いた。

「私はその神官の所へ流されて行くはずだったの?」

「行くはずだった。それを私が奪った」

「生まれ変わりの魔術式を手に入れるため?」

「そう。永遠に生きることが私の望みだから――怒った?」

「ううん」

「どうして」

 髪を撫でるビッツィーの手が止まった。

「ただ、分かっちゃっただけ。ビッツィー、フラウ=ナ=ヴエルなんて本当は存在しないんでしょう」

 ビッツィーはかつて云った。

 フラウ=ナ=ヴエルには永遠があると。でもフラウ=ナ=ヴエルを信じているなら、わざわざ神官を殺してまで私を手に入れようとはしない。

「そしてビッツィー。今、こんな事を打ち明けてくれたのは、私が足手纏いだからなんだね。此処ここから先、私が――」

 ビッツィーの白い腕が背後から伸びた。如何どうしてだかは分からない。彼女は行灯あんどんを消してしまった。

 今度こそ私は振り返った。しかし闇がビッツィーの表情を覆い隠してしまっていた。彼女の輪郭が幽かに動いて、

「在るわ。フラウ=ナ=ヴエル在る」

 吐息のかかる距離で、ビッツィーは確かにそう云った。彼女はどんな顔でそう云ったのだろう。れは謎だ。

「ノリコ、フラウ=ナ=ヴエルは在るんだよ」

「……ビッツィー?」

 フランソワが飛びこんで来たのはその時だった。同時に、廊下の明かりが室内へ射した。

 両手に何か握っている。巻き寿司だこれ。

「アイ!」

如何どうしたのよ?」

「つまみ食いしてた?」

「ッベー。ベーぞ」

 フランソワは必死に繰り返した。

「べえ?」

「やべえ?」

 私とビッツィーは即座に伏せた。

 そっと窓から様子を覗いた。

 闇の中を音もなく、人影が動いている。明らかに建物の中の様子をうかがう動きだ。

「数は?」とビッツィー。

「今動いただけでも五人」

「じゃあその三倍は潜んでいるはず」

 その通りになった。

 影の一人が手を振ると、数十人の警官エイポたちが捕獲作戦を開始したのである。

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