第68話 THE・ニュー・ビッツィー


 白桃の醸造じょうぞうは進んだ。

 まゆの部屋は拡大を続け、隣室まで呑みこんでしまった。

 どういう仕組みなのか、マヨヒ家の内装は日毎ひごとに変化した。絨毯じゅうたんの色が六度変わった所で、私達の作業は完了した。

 ビッツィーはふすまぎ倒して部屋から出てきた。まゆがあふれ出し、絨毯を白色に塗り替えて行った。

新生チューンナップ完了。ニュー・ビッツィーと呼んで」

「お疲れ様、ニュービッツィー」

「アイ」

「今度のOSは凄いわよ。ノリコの紋様を参考に設計を見直した結果、データ処理の高速化が実現。消費コストは低下。しかもハイパワー。インターフェースの一新により操作性まで向上。世界で最も革新的なOSだと自負しております」

「凄い」

「アイ」

「恐縮です。うむ。恐縮です。ああ構わない、二人とも楽にして?」

「ご機嫌だねニュービッツィー」

「さあ。風呂と酒だな。今日はゆっくり休みましょう」

 こうして、お湯に浸かり、白桃はくとうかじり、宴会場を三人でごろごろ転がったりして、最後の一日をのんびり過ごした。


 フランソワの寝息が室内に響いている。

 私は隣のビッツィーに訊ねた。

「こんな良い場所があるのなら、ほとぼりが冷めるまで此処ここに居たら如何どうかな。一度外に出てもう一度入り直したらずっと居られるんじゃない」

「無理よ。此所ここは満月の夜にだけ現れる場所だから。一度外に出ると次の満月まで消えてしまう。もしそれまでに出て行かなかったら」

「どうなるの」

「出られなくなる。出られなくなった人が如何どうなるのかは分からない。案外見えないだけで私たちの側で生活しいているのかもね」

「ええ……」

「寝床と食べ物が在るだけの場所よ、此処ここは。こんなところで生きながらえたって、それは死んでいるも同じだわ」

 ビッツィーはそう云った。

 そうかも知れない。外の世界は苦しいけれど、ずっと此所ここにいるしかないと云われたら、私も外を選ぶだろう。私の住んでいた家にだって、貧しいとはいえ屋根も食べ物もあった。でも、私には苦しい所だった。外に出て行きたかった。

 私たちはしばらくじっと黙っていた。

 眠ったのかと思った頃、ビッツィーは話し始めた。布団から腕を伸ばして、屏風びょうぶを撫でている。

此処ここはね。古代の術士たちの集落があった場所なの。機械が禁止される前、機械文明が繁栄するより、もっと昔。マヨヒ家は彼らの集落の一部だった。でも、やがて発達した機械文明に摺り潰される様にして、彼らの文化は滅んだ。どうにか残ったのが、のマヨヒ家だけ。そして戦争があって、今度は機械文明も滅んで、洗練された魔術の時代がやって来た。でも、その文明は此処ここまでは届かない。此処ここに在るのは過去の亡霊だけ。そう云う事なのよ、マヨヒは。そして世の中全部が」

「ビッツィーはどうして……」

「うん?」

「何でもない」

 ビッツィーは自分の過去を語らない。

 私も訊かない事にしていた。彼女が一体どんな少女時代を過ごし、何を夢見て旅立ったのか、知りたい気持ちはあったけれど。

 ビッツィーは屏風びょうぶで続けている。

 屏風には仏画に似た絵図が、金糸銀糸でい描かれている。たくさんの赤ん坊と、その赤ん坊に囲まれて立つ、菩薩ぼさつの姿だった。この世界で菩薩というのも変だが。

 眠りこむ寸前の声でビッツィーはこう云った。

「三人で出て行こうね。ずっと此処ここには居られないのだから」

 翌朝、私たちはマヨヒ家を出た。



「じゃあ行くかな」

 醸造じょうぞうエンジンがうなりを上げる。

 白桃はくとう瓦斯倫ガソリン醸造具合じょうぞうぐあいは上々の様だ。

 フランソワが歓声を上げた。

 車はトロッコ線路に火花を散らして加速し、稲光いなびかりとともに異空間へ突入した。

「これで、トンボ野郎を振り切った。これから一気に山を越える。連中、空間術はもう使えないと思ってるはず。『使えたならもっとスマートに逃げてる』ってね。私たちが瓦斯倫ガソリンを補給できたとは思いもしない」

 ビッツィーはそう宣言した。

 これで、少なくとも当面は、追跡隊もトンボ野郎も私たちを見失った事になる。

 後はどうやってこの国から脱出するかだ。

「ビッツィー、何処どこへ向かう?」

勿論もちろんフラウ=ナ=ヴエルへ。警官エイポどもは私たちの目的地を知らない。山や港を探して時間と人数を消費するに違いないわ。仮にフラウ=ナ=ヴエルを取り逃がしたとしても、私達は、姿を隠して、ヤツらが息切れした頃に逃亡すれば良いわ。空間術があれば出航した後の船に転移ワープする事とも出来ない話じゃない。要は警察エイポどもの邪魔さえ入らなきゃね」

 かなり希望のある脱出計画に思えた。

 たぶん、ビッツィー本人もこれで上手くいくと思っていたに違いない。そう、この時点では。

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