第67話 白桃瓦斯倫


 マヨヒ家での目的の一つは、車の燃料を醸造する事である。

 空間移動は私達の切り札である。別次元に在ると云うフラウ=ナ=ヴエルへ侵入するため屹度きっと必要だった。燃料は、桃園の桃から製造するのだという。


「しり」

 フランソワは白桃を一度に三つも頬ばった。

「桃ね。あまり遠くへ行ってはだめだよ」

 桃園は昼でも夜でも白い闇に包まれている。此処ここで桃を集める事が、私とフランソワの仕事だった。

 集めた桃は醸造じょうぞう場所に定めた湯船の一つへ放りこんで仕舞う。醸造香じょうぞうこう漂うお湯の中で、桃は綺麗な色のままぷかぷか浮いて、時々、気泡とともにくるりと廻転した。

 お風呂一杯に集めても、ビン一本分ほどの白桃はくとう瓦斯倫ガソリンにしかならないそうだ。

 一仕事終えると、隣の露天風呂へ入る。

 フランソワはお湯の中を泳いで「しり」と云った。やめなさい。


 もう一つの目的が、OSの更新アップデートである。

 トンボ野郎の追跡を振り切るため必要なのだと云う。

 魔術式と云う物は、実に複雑な操作を必要とする技術であるらしい。

 ビッツィーいわく「高等な魔術という物は、独りでオーケストラの演奏をする様なものよ」との事。

 そんな高等魔術式オーケストラを実現するため、魔術師は自分の中に、あらかじめオペレーション・システムを作っておくのだそうだ。

 そして、トンボ野郎の追跡術を無効化するには、一度このOS《オペレーション・システム》から構築し直すしか無いのだと云う。

 その大規模な精神操作を行うには、此処ここマヨヒが最適だった。この作業はビッツィー独りで遣るしかない。


 ビッツィーは一室をまゆおおって、魔術システムの更新に取り掛かった。

 中央に座したビッツィーの身体から、糸のおびが花弁のように伸びている。糸の一本一本には、極小のむしが入りこんで、それが光りながら点滴の様に行き来していた。糸は、ビッツィーの背骨や頭部とまで一体化している様に見えた。

 ビッツィーは無数の糸を掻き鳴らすように撫でていく。

 その動きに反応して、星の数ほどのむしたちが、花弁に模様を描き、またはビッツィーの脊椎せきついを出入りするのだった。

 作業の間、ビッツィーは忘我ぼうがいきにあり、肌は青白く、目は落ちくぼみ、頭髪には時折、鬼火のかんむりを頂いた。祈祷きとうする聖者の様でもあり、傷ついた悪獣がうずくまる様でもあった。

 一日が終わると、ビッツィーやつれきった様子で、まゆの部屋から出てくる。私は眠る準備をして迎える。

「ただいま」

「お帰りなさい」

「ビッツィーさんは頑張ったぞ」

「お疲れさまビッツィー」

「もっと頑張ったって褒めて」

「立派でした。ビッツィーは偉い」

「うん。寝る」

 夜はそのままうつ伏せに寝てしまう。

 先の敗走はビッツィーのプライドを深く傷つけていたのだ。

 マヨヒ家の日々はこうして過ぎて行った。

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