第61話 追跡術式


 私達は首都から逃れ、西の都に羽根を休めた。

 しかし逃げた先でもビッツィーは相変わらずビッツィーだった。

 海外映画の間違った花魁おいらんみたいな格好で夜の街へ繰り出した。これは日本を思い出して着物やなんかの知識を披露ひろうした私が悪い。

「手配犯がこんな格好してるとは誰も思わないでしょう? 変装変装」

 とビッツィーは云うのだが絶対、面白がっているだけだ。とはいえ遊び納めという意味合いもあった。ここからは隠遁生活を送る事になるだろう。


 屋台でお寿司に似た何かをつまみながら作戦会議をする。

 凄く注目を浴びているのだがビッツィーはそんなことを構う女ではない。私も慣れている。隣の席に座ったおじさんが、まさに私たちの手配書の挟まった夕刊を手に持っていた。

 ビッツィーはお酒を一口飲んでから云った。

「まず前提として、私たちはしばらくこの島国から出られない」

「車の空間術でも無理なんだよね?」

「距離がありすぎるからね」

「でもまあ、港だってずっと検問張ってはいられないし、貨物船やなんかに潜り込むって方法もある。いずれにしろ今は警戒されすぎてて無理だけど」

「空は?」

「空の乗り物はそもそも規制されてるからアウト」

「全部なんだ」

「飛竜に乗るって方法もあるけど、私達の体の方が保たないわね。長距離は無理。空から逃げられるとしたら、それこそフラウ=ナ=ヴエルくらいね」

「じゃあ、フラウ=ナ=ヴエルを見つけたら逃げられる?」

「それが一番ロマンがあって素敵なのだけれど」

 そう云ってビッツィーはルビー色した寿司を口に放りこんだ。フランソワは寿司ではなくカニを殻ごと囓っている。硬い所を割ってあげながら私は「何か気をつけるような事は」と訊いた。

「まあ、手配されようが、やる事は今まで通りだわね。追跡の魔術でも打って来るような――」

 其処そこまで云った時だった。ビッツィーは不意に表情を鋭くした。丹塗りの箸を素速く振るう。ガラスのように透明な蜻蛉かげろうを箸の間に挟み取っていた。

「――ウッソ」

 ビッツィーは目を見張っている。蜉蝣かげろうは見る間に熔けて消えてしまった。本物の虫ではなかったのである。

「私の蟲を返して来た術士ヤツがいる」

 私の脳裏にも警戒信号が走った。以前、ビッツィーは云っていた。もし、仮にビッツィーの術式を解析できる者が現れたとしたら、そいつは、ビッツィーの居場所を逆探知できるはずだと。それを彼女は「術を返す」と表現していた。

「今の蜉蝣かげろうがそうなの?」

「みたいね」

 ビッツィーは不敵に笑っている。

何処どこから? この島にその人はいるの?」

「それは流石にない。術の精度から云って、多分、神殿を通して国外から送ってきたんだと思う」

「でも、居場所を知られた?」

「そう見て間違いなさそうね」

「移動しないと」

 今回は、流石のビッツィーも平気とは云わなかった。

「まあ、仕方しゃあないわ。じゃあ二人ともこれ」

 立ち上がる前に、ビッツィーは香水瓶を取り出して、私達へ噴射した。何か魔術的な調合をした薬品だったらしい。

れで、追跡の蟲を少しはごまかせるはず。醸造煙幕ってとこね」

「これで逃げられる?」

「その場凌しのぎ。向こうは追跡が空振りしたら直ぐに気づくでしょうから、そうなると、次はこの煙幕に惑わされない様、追跡術式をアップデートしてくる。で、此方こちらはまた新型の香水煙幕を生成する。ウィルスとワクチンみたいな攻防を続ける事になるわね。それで時間を稼いで、その間に根本的な打開策を試すしかないわね。こっちは時間がかかるけどね」

 ビッツィーには策があるようだ。

「じゃあ作戦は一つしかないね」

「そう。逃げる」

「ちょっと君たち」

 その時、屋台の客を掻き分けて学会警察エイポが二人、近づいて来た。

 追跡のむしがリモートで居場所を教えたのだろう。これが追跡術式の厄介さなのだろう。とはいえ目立つ格好でお寿司を食べていた私たちが悪い。

 けれど無防備に職務質問して来た警官エイポも悪い。

「こう云うのが有るからなあ」

 ビッツィーが溜息を吐いて、お酒を飲み干す。

「ビッツィー、私暖かいころがいいな」

 私も立ち上がった。

「おい、君たち」

 警官の一人が肩に手をかけようとした。

 その瞬間、ビッツィーは自分から警官に身を寄せ、耳を噛んだかと思うと、警官の脳内へ蠱術の魔術式を流しこんだ。一瞬で酩酊めいていして男は崩れ落ちる。

「どうした」

 もう一人の警官が銃を構えようとする。

 それより速く、フランソワが彼の股間を蹴り上げた。その隙を逃さず、ビッツィーは警官をゾンビィ化させた。

 私は銃を奪おうとした。するとビッツィーが止めた。

「ダメよ。それは魔術式で登録されているから、使用したり改変を加えたら探知される事になってる。使えないわ」

「なるほど。奪った銃は使えない」

 私は納得して、拳銃を遠くへ投げ捨てた。

 フランソワが口笛を鳴らして、馬を呼び寄せた。

 屋台の周辺は一寸ちょっとしたパニックになった。

 私たちは、花魁おいらんめいたキモノを野次馬めがけて脱ぎ捨て、馬へ飛び乗った。

 なおキモノの下にはレオタードを着こんでいたのだが、これは漫画キャッツアイの話をビッツィーにした私が悪い。

 こうして、東方での逃避行が始まった。

「まさか私の魔術式を解読するやつがいるとはね。面白くなってきた」

何処どこへ向かう、ビッツィー」

「南へ。フラウ=ナ=ヴエルへの階段もそう示してる」

「アイ」

 私達は南を目指した。

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