第58話 普通令嬢


 上陸すると、私たちは早速、新しい令嬢に目を付けた。

 私達は、庭師の経歴を乗っ取って令嬢へ近づいた。

 彼女の住む豪邸は、お寺か料亭の様な外観。気候や立地が近いと、文化も似てくるのだろうか、この島国は私の住んでいた日本を思わせた。

 全ては順調に進み、醸造じょうぞうの期が満ちた。


 庭からは、せ返るような花の匂いが漂ってくる。

 ビッツィーの仕事だ。私達は令嬢へ近づくため、庭師に成り済ましたのだが、ビッツィーはこの仮の仕事に妙にのめりこんで、庭中花だらけにして仕舞った。夜とはいえ、その花の赤や白が、令嬢の部屋の丸窓からも見渡せた。

 令嬢は開いた。

 此処ここまでは問題なく進んだ。

 どくろから立ち上る醸造香じょうぞうこうは、しかし庭からの香りに押されがちだった。どうも思っていたほどの出来ではない。

「おかしいなあ。ターゲットを間違えた訳……ないわよねえ」

 いただく段になって、ビッツィーも不振に思ったらしい。家電製品の説明書みたいな感じで、令嬢の日記を確認し始めた。革張りの、何だか大げさな日記帳だった。

「やめてあげようよ」

 と私は云ったが、結局気になってビッツィーが読み上げるのを聞いてしまった。

 日記は『人を殺してみたい』という独白から始まっていて、これは確かに悪徳の香りがしないでもない。

 しかし、読み進めていくうち『殺人衝動』『ナイフコレクション』『闇天使』『私には感情が無い』『素晴らしい世界』などの言葉が現れ、私は顔が熱くなった。

「『殺せるなら誰でも良かった。ついに闇の翼が殻を破り私は恍惚に――』なんじゃこりゃ」

 ビッツィーは途中で日記帳を放り投げた。

 私には分かった。要するにこの日記は、自分自身に対する設定表だ。きっと令嬢はこの設定に従って自分を作り上げようとしたのだろう。

「ビッツィー……彼女は違うみたい」

「何が? ノリコあなた分かるの? なら私もう一回読んでみるけど――」

「それはやめてあげて」

「じゃあ何なのか教えてよ」

「要するに、この子から感じていた悪徳は全部キャラ設定だったと云うか……」

「意味分かんない。演技って事?」

「演技っていうか……こう自分に対する宣言? ファッションと云うか」

「いやいや分からん。人殺しになるのがカッコいいと思ってたって事?」

「やめてあげて。かく今回は外れだったって事」

 私は令嬢の尊厳を守ろうと粘ったのだけれど、ビッツィーはよほど納得がいかないらしく、執拗に粘った。

「なんかさあ。『人を殺したい』って云っておいて誰でも良いはおかしくない? 見取みどりじゃない。相手なんて。タイプの男の子でもなんでも選べば良いじゃない。根暗男が結婚相手探すのとは訳が違うんだから。好きなのればいいじゃん。マジィ? この子」

「この子なりの葛藤かっとうがあるんだよ」

「そんなに云うなら、飲んで確かめてみる? フランソワ。フランちゃん切り花でそんな事やってないで、ちょっとグラス持ってて、注ぐから」

 ビッツィーは「危ぶむなかれ飲めば分かるさ」などと節回しをつけながら、三人分のグラスに令嬢ワインを注いでいった。

「いいけど……」

 私は令嬢のワインを口に含んだ。舌で転がしてみる。

「うん……」

 ビッツィーも飲んだ。

「うん……」

 フランソワは鼻を近づけただけでそっぽを向いてしまった。

 私たちは念のため、お互いのグラスを取り替えてみたり、回したり、デキャンタして飲み直したりした。そうして試行錯誤した結果、同じ結論を得た。

「――普通」

 今回は素材選びから失敗だった。

 こういう事もある。

 しかし、この普通令嬢が、私達のつまずきの石になるとは、この時点では思ってもみなかった。

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