第45話 風船みたいな


 コルベに来てしばらくった。


 トビーとは何度も会った。

 彼は常にお金に困っていたし、私も贅沢できる身分ではない。何処どこへ行くわけでもなく、アパルトマンの階段に座って、サンドイッチを食べたり、由無よしなごとを話したりして過ごした。

 彼が話し、私の言葉に返事が返ってくる。それだけで満足が得られた。彼もそれ以上の事を決して望んでは来なかった。

 トビーは相変わらず役を貰えないままで、アパルトマンでは有象無象うぞうむぞうの一人としてしか扱われなかった。テュールはそんな彼にも平等に接した。テュールは気配りを欠かさない。トモダチの一人一人をちゃんと把握はあくしているようだった。

 ビッツィーの意見は冷静だった。


「あれは何かやってるわね。目的があってオトモダチを集めてる。だってテュールって子、彼処あそこに居る皆の事を平等に見下してるもの。悪徳の良い香りがするわ」

「あっあ~」

 と云うのはフランソワの声。

 ビッツィーはストローを刺してフランソワをきっしている。

「うん。今日もフランソワは美味しい。最高」

「アイ」

 ビッツィーは考え事を再開した。

「まあ、ビジネスかなあ。でも優越感じみた物も感じるし……家は貿易商なんでしょ――何? あなたもフランソワ飲みたい?」

 ビッツィーが云った。私の目つきが気になったらしい。

「アイッ」

 フランソワが頭を差し出してくる。

「飲まない」

 私はそれを押し返した。フランソワは残念そうな顔をしている。

「おいでフランソワ。フランちゃん」

 ビッツィーはフランソワの頭をマッサージし始めた。こうすると脳の再生が活性化して永久的にお酒を楽しめるのだと云う。

「ビッツィーはテュールが気に入ったの?」

 気づくと私はそう訊ねていた。

 テュールを次の獲物に選んだのだろうか。だとすればカルベリィの時のように、アパルトマンの皆が犠牲になる。その中には彼もふくまれるだろう。

 ビッツィーは私のひと言から何かを察したらしい。

「好きな人ができた?」


 私たちは三人同じ部屋で眠る。

 フランソワは一人にして置けないし、私はまだ殺された時の夢を見る。

 トビーを好きなのか、そんな事は自分ではまだ分からない。

 ただ、悪夢を見るたび思う様になった。トビーならあんな事はしない。そう思える事が、私にとって、どれほど救いになっていたか。

 トビーの存在は私を救ってくれた。だから、トビーはきっと特別。その考えを確認したくて彼と会っていた様な気さえする。

「ノリコ。あの男の子の事が本当に欲しいの?」

 ある夜。眠りこんでしまう直前でビッツィーが云った。

 私は答えられなかった。訊かれた事の意味が、良く呑みこめなかった、というのもある。「欲しい」とは如何どう云う事を指すのだろう。トビーを手に入れると如何どうなるのだろう。彼女は続けた。

「好きな人かられるものは、ちゃんとって上げなくてはダメよ。人間関係は奪い合いなのだから、あなたもちゃんと彼から摂取しなくては。そうでなくてはね、関係は成立しないものよ」

「私は彼から何かを奪おうとは思っていないよ。今のままで十分だよ」

「奪って上げなければ飛んで行ってしまう、そんな風船みたいな関係もあるものよ」

 ビッツィーはむにゃむにゃそう云った。

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