第32話 令嬢醸造


 カルベリィの人たちは治る、とビッツィーは云ったが、これは実際どうだったのだろう。後々になって考えると、ビッツィーは私にいくつかの嘘をついていた。彼女にとって嘘とは悪事ではなく、手段の一つでしかないのだ。


 カルベリィ事件の後、私たちは航路を使って別の国へ入った。

 到着したのは、大都会という程ではないけれど、活気のある街だった。

 漁港で蛸を買ったり、グラビアポーズを取るのに飽きると、私たちは休む所を求めて、カフェに入った。

 フランソワは、逆向きにした椅子にまたがり、背もたれにアゴを乗せている。

 スカートがめくれ上がるのも意にかけないので、私が一々直してやる必要があった。彼女は、あのレプリカの制服から着替えたがらない。


 ビッツィーは、グラスからライムをけながら、漁港の続きを話した。

「食べて美味しい果実だけが、良い果実とは限らない。ある味わいのワインを造るには、ツラの皮が厚くて、頑固な種を持つ、渋い葡萄ぶどうの方が適切だったりするわけ。私は飲んべえだから、お酒にして良いと思える物をるのね」

「それがフランソワ?」

「私にとって、生物の中で最も良い葡萄ぶどうは人間。そして人間の中でもっとも優れた葡萄ぶどうはフランソワのような人種なんだな。栄養豊かで、難解なんかいで、がたく、歪んだ嬢さん」

 ビッツィーはそういう令嬢を求めて、土地を選ぶのだと云う。

 当人のフランソワが、その言葉を理解しているのかどうかは不明である。今の彼女は丸で子供だ。

 フランソワは私へ向かって微笑みながら、ライムを噛んだ。

「すっぱい」

 と顔をしわくちゃにする。


 何故なぜか、フランソワは旅から降りようとしなかった。

 此処ここまでに何度か、私達は彼女を置いて行こうとした。その度彼女は動物並みの直感で察知してしまう。しかもゴリラに匹敵する力で駄々っ子になるので、手が付けられない。ビッツィーによると、醸造じょうぞう術の影響で、脳のリミッターが外れた状態らしい。説得も不能。結局、私達は彼女を受け入れた。と云うより、三人でいる事に馴染んでいった。


 フランソワの変化のうち、もっとも顕著けんちょなのは多動性と、言語機能の退化だった。

 読み書き計算は出来るが、実際にやらせると集中力が続かない。落ち着きがなく、情緒的で、まさに幼児返りと云った状態だった。

「自分の頭のお酒で酩酊っちゃうのかな」

 ビッツィーは無責任に云う。

 そう話している側から、フランソワは私たちに押しくら饅頭を挑んで来たり、おぶさり掛かって来たりした。

「でもね、これもフランソワ本人だからね。脳の一部がお酒になったからって差別するのは不当じゃない? 前より素直になったというだけの事。本人はずっとこうしたかったのかも知れないじゃない。ねえ? フランソワ」

「ウィ」

 そんな風に云われると、フランソワの涙を知っている分、私はほろりと来てしまうのだった。


 お茶を飲ませると、フランソワはかつての教養を思わせる優雅な動作でカップを傾けた。確かに、表面的な行動は変わっても、別人になった訳ではないのだ。

 若い男女が指を絡ませ合いながら、テーブルの側を通り抜けて行った。

 フランソワは素速く追いかけた。そして攻撃に有利な高い位置を選んで、狙いを定め、カップルめがけて熱々のティーカップを投げ落とした。

 それで私は、やはり此所ここに居るのは私の知っているフランソワなのだと心から納得したのだった。

 この行動をビッツィーは喜んだ。

「あら上手。フランソワは物を落とすのが凄いお上手!」

 フランソワ。気に入らない相手に物を落としかける悪い令嬢。


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