第29話 お偉い誰か


「動くな。醸造士じょうぞうしビッツィー」

 学会警官エイポだ。彼らは拳銃に似た武器を構えている。

「あらあらあら」

 ビッツィーが肩をすくめた。

「動くな!」

 警官が金切り声を上げる。


 突然の事で頭が働かなかった。

 これは後になって考え整理した事だが、警官はドイルさんが呼んだものだった。

 彼はビッツィーを警戒していた。私から受け取ったビッツィーの小瓶を街で分析した。そして危険性に気づき、魔術式を取り締まる学会警察へ届け出た。

 しかし此処ここまでの被害になっているとは考えなかったに違いない。家の有様を見て、ドイルさんは叫び続けている。

「なんという事だ、なんという事だ」

 誰も、彼の言葉に反応しない。頭を葡萄酒のグラスみたいに回しているだけだった。

 警官エイポたちの顔にも驚きがあった。

 通報を受けて急いで来たのだろう。人数は五人しか居ない。後で応援が来るのかも知れないが、今はこれだけだった。

 緊張のあまりか、警官の一人が発砲してしまう。弾丸は村人の一人に当たった。

「ああっ」

 撃った警官は怯えたが、別の警官がけしかけた。

「おい続けて撃て。もうやっちまったんだろ」

 声の質と口調で分かったのだが、それは以前、村へ来て騒ぎを起こした、あの下品な警官だった。

「思い知らせてやるんだよ。女が巫山戯ふざけやがって」

 怯えた他の警官と比べて、彼だけははっきりとした敵意をビッツィーへ向けていた。

「当てたらまずいですよ」

 仲間の一人がたしなめた。こちらの法律は知らないが、やはり生きたまま逮捕が基本なのだろう。

 ビッツィーは彼らをまるで問題にしていない。

「ああ。無粋ぶすい。ああ台無しだわ」

 口内にフランソワの味が残っているのか、ビッツィーは、まだ夢見るような目つきをしている。その表情のまま彼女は指を鳴らした。

 ストローの刺さった村人たちが、警官隊へ抱きついた。

 警官達が悲鳴を上げる。村人達の頭は開いたままである。乱暴に振りほどけば、中身がこぼれて仕舞うだろう。

「こぼれる、こぼれる」

「離せ、動くな。頼む」

「お前ら、撃て、撃て。俺に銃をよこせ」

 村人達に意思はない。ビッツィーの命令に従って、警官達へ次々にのし掛かり、ついに無力化してしまった。

「さてと」

 ビッツィーは胸元から紙切れを取り出すと、地面へ投げ捨てた。

 ひらりと落ちた紙切れと、地面の隙間から、あのオープンカーの姿がり上がってきた。折りたたみ絵本の様だった。

 私はとっさに察した。ビッツィーが行ってしまう。

 ビッツィーは同じ様にして私の制服を取り出し、此方こちらへ放ってくれた。

「はい服。こういう事もあろうかと出発の用意しておいてよかったわ」

「ビッツィー……」

「そんな顔しないで」

「ビッツィー」

 ビッツィーは肩をすくめた。

「私の脳もお酒にして飲むつもりだったの」

「契約したでしょ。私達。私は、私の欲しいものは勝手にるわ。あんたにキッスたかったらすでにそうてるはずよ」

 それがビッツィーの答えだった。カルベリィをこんな風にしたのも、ただ彼らを味わいたかっただけなのだ。

 彼女はすでにエンジンを始動させていた。

 背後で警官の下品な声が響いた。銃を構えている。

「くそアマが」

 引き金が引かれるより速く、ビッツィーの手から美しい物が飛んだ。

 輝きは警官の左目を射貫いた。眼球のあった所に、宝石のような物が埋まっている。

 それは石ではなく甲虫だった。甲虫がうごめくのか、男は痛みに転がり廻った。

「痛え。絶対に逃がさんぞビッチが。何処どこまででも追いかけて人生滅茶苦茶めちゃくちゃにしてやるからな」

「だってさ。怖いから私は行くわね。楽しかったわ」

「死ね、死ねよ」

 這いつくばった下品な警官エイポが銃を拾おうとする。

退いて」

 私はその手を蹴飛ばして走り出した。

「ビッツィー!」

 私は、走り出す車を必死で追いかけた。

 ビッツィーは笑って手を差し伸べた。私はその手を取った。地獄へ向かう道だという事は、よく分かっていた。

 これが、私のビッツィーの共犯になった経緯である。




 かつて私は、ドラえもんを読む度に考えたものだった。

 もし目の前に何でも叶えてくれる神様が現れて「キミのこれまでの人生は手違いだった。これからもっと良い家の子供に入れ替えてあげよう」そう云われたら、私は頷くだろうか、と。

 きっと私は「今さら」と云うに違いなかった。

 今さら、お偉い誰かに修正していただいても、きっと釈然しゃくぜんとしないだろうと思うのだった。

 私は自由になりたかった。

 家からも、惨めな自分からも。

 でも、それは誰かにいただくのでは嫌。

 家族に被害者ぶられるようなり方でも嫌。

 自分が被害者になるのは、やはり嫌だ。

 ただ私は、自分の喜びのためだけに動く人に成りたかった。

 ビッツィーはまさにれなのだ。


 ビッ=ツィー。

 旅立ちの使者。酩酊めいていの術士。私の師。

 ビッツィー。

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