第28話 れいじょう、ひらく


 ビッツィーは蠱術こじゅつで皆を陶酔とうすいさせた。ドイルさんの件を有耶無耶うやむやにしたい御領主も大いにあおった。

 パーティーは式典ではなく、お祭りのように進んだ。つまり各々が自由に楽しんだ。朝から始め、深夜まで続くのが恒例だと云う。

 皆が思うままに食べ、つ飲み、踊った。物陰に消えていく男女もあった。魔術のサーカスを楽しみ、酔ってはもつれ合い、歌いながら頭を回した。

 宴は徐々に崩れた雰囲気になった。男の人の乱暴な言動も増えて行った。

 私は庭を離れたく思い、浴室を借りる許可を奥方へ求めた。

 この時、フランソワが友達へ何か耳打ちしたのは、思えばこの後の計画を立てていたのである。


 パーティーから逃げたのだったが、お湯を使いたいのも事実だった。山中で夜を明かして、ほとんどままなのだ。

 女の子達が浴室へ飛びこんで来たのは、濡れタオルで体を擦っている時だった。

 お祭りの面をかぶった集団が、笑い合いながら押しこんできて、私は瞬く間に担ぎ上げられてしまう。咄嗟とっさにバスタオルを掴むのが精一杯だった。そのまま庭園まで運ばれた。お酒の席に半裸で担ぎ込まれたのだ。

 フランソワが笑って見ていた。


 私に恥をかかせ、笑いものにする積もりだったのだろう。手紙を貰ったあの夜の、復讐だったのかも知れない。

 フランソワがどんな計画を立てたのかは分からない。ともかく、この先が思惑通りに進まなかったのは確かである。

 人集ひとだかりが割れて、大きな円を作り始めた。

 人垣で私達を囲うような格好である。

 覆面の女の子達が私を担いで、円の端の方へ運んでいく。そちらに男の人たちが見えたので、私はパニックを起こしかけた。頭が痛みだす。

「ビッツィー助けて」

 私の声が届かないのか、ビッツィーは人垣ひとがきの中心で踊り続けている。声を上げて笑っていた。

 私は逃げだそうと藻掻もがいたが、実際の所、そんな事は必要なかった。

 覆面の女の子達は、これまでの狂騒が嘘だったかの様に大人しくなっていた。まるで今、ていた事を忘れてしまったかの様に、私を地面へ取り落とした。

 村の人々も何もして来なかった。それどころか話しかけても来ず、ただただ、頭を回しながら、人垣で出来た円の中央を眺めているのだった。

 村人の数人が、その円上にフランソワを引き立てて行く所だった。

「何よ。やめなさい、私のパーティーなのよ。パ。テーティ」

 フランソワが抗議している。酔っているのか、呂律ろれつが回らない様だった。

 村人達は何も喋らない。代わりに歌に似た笑い声を響かせ始めた。

 娘が引き出されて行くあいだ、領主さんは止めもしなかった。彼は卵の様な体でくるくる踊っていた。

 奥方やお姉さん達が笑う。その笑い声がバイオリンの様だ。

 人垣の村人は頭を回す。

 異様な光景だった。

 全員が陽気に狂い始めていた。

 覆面の女の子たちも、その中に加わった。彼女らは人形劇の様に踊り出す。


 フランソワだけが戸惑っていた。

「何よ。止めなさいよ。何のつもり? おかしいじゃない」

 悲鳴に似た叫びにも、村人たちはうたうばかりである。

 私にも何が起こっているのか分からない。

 やがて、笑い声のバイオリンがそろい始めた。笑い声が澄んで演奏になっていく。

 踊りは止んで、全員が歌に専念しだした。頭を揃えて回しながら。

 旋律に合わせて、人垣ひとがきの円が波紋の様に揺れた。

 この音楽の一番中央で、ビッツィーが踊っていた。すぐ前で、フランソワが震えている。

 ビッツィーの所へ、領主さんが進み出た。

「おと、お父様」

 フランソワはすがるように父を見た。

 領主さんは娘を素通りして、ビッツィーにうやうやしくひざまづくと、自分から髑髏どくろを開いた。

 飴玉を隠したりするあの魔術と同じものだ。

 頭部にジッパーのような切れ込みが光っていて、其処そこから外れる様になっていた。領主はの上の部分を、自分で取り外したのだ。

 まるでティーポットのふたを開けるみたいに。


 醸造香じょうぞうこうが立ちのぼった。


 私は最初の日のビッツィーの言葉を思い出していた。お望みなら、蛙の脳ミソだって美味しいお酒に変えて御覧にいれますよ。

 フランソワが金切り声を上げた。

「御父様、御父様」

 領主夫人は歌っている。

 フランソワの悲鳴だけが、この場にとって異質で、まともなものだった。

 ビッツィーは踊りの脚つきで領主へ近づくと、一寸ちょっと道化どけたお辞儀じぎを一つ。それから指を鳴らした。

 手品のように現れたのはストローだ。床屋の様な縞模様しまもよう

 そのストローを、彼女は捧げられたはちの中身へ差し込んでいく。

「RU」

 と、領主は聞いた事もない声を漏らす。

 ビッツィーが唇をすぼめる。ストローのなかを、領主のワインが上っていく。

「LA」

 領主から、やはり知らない声が上がる。

 ビッツィーは舌で存分に味わってから、れをゆっくりと呑みこんだ。

 満足気に目を細める。

「――時間をかけた甲斐があった。れが本当のカルベリイ」

 笑い声のバイオリンが高まった。

 村人たちは頭を回してみずからの醸造じょうぞううながす。

 ビッツィーが指揮者の動きで腕を振るう。

 整列した村人達が、順に髑髏どくろを開いていく。

 醸造香じょうぞうこうが円を描く。

 ビッツィーは気儘きままに彼らをきっする。その度、村人たちは異なる音階の声を上げるのだった。

「さあ」

 最後はフランソワの番だった。

 彼女だけは逃げる素振りを見せた。

「……いや。嫌」

 ビッツィーの唇は赤く濡れ、声は穏やかだった。

「でも飲んで仕舞ったでしょう? 私のお酒を。もうあなたは出来上がってしまっているのよ。れに、あなたは誇るべき。フランソワ=クラウスはカルベリィの最上のものとして完成するのだから」

「嫌だ」

「嫌ではないでしょう。あなたは望んで開くはず

「ノリコ……」

 フランソワは私を見た。

 私は名前を呼び返す事しか出来なかった。

「フランソワ……ビッツィー……」

 ビッツィーは唱う様に続ける。

「フランソワ。もう大切な御兄様は行って仕舞ったのよ。カルベリィはただの土。もうこの地に価値はないのよ。捨てましょう。小娘だった自分を。フランソワ。ここで老人になるつもり?」

 恐らく、この言葉でフランソワの心は破壊された。あるいは作り替えられた。

 彼女は髑髏どくろの開いた家族を、村人達を眺めた。

 フランソワの、涙で汚れた顔が歪んだ。自分で頬を抓って、笑顔を作った。

 カルベリィの令嬢、フランソワがひざまづくのを私は見た。

「開きます。どうか私を正気にしないで下さい」

「フランソワ……」

 私の声はもう彼女には届かなかった。

 ビッツィーは最後にフランソワの顔を撫でた。食べる前の林檎を拭うみたいに。フランソワの頭を光の切り取り線が走った。

「さあ、醸成じょうせいの時が来たわ。嬉しがって。フランソワ」

「嬉しいです、ビッツィー。私が開いて行きます」

 ビッツィーはじかに唇をつけてフランソワをきっした。

 声が上がる。

 絶望と恍惚、どちらが勝っていたのか、私には分からない。

 ビッツィーの方は明らかだ。彼女は恍惚のあまり目に涙を浮かべた。

「フランソワ。あなたはカルベリィの何よりも素晴らしい」

 ビッツィーの唇からフランソワの醸造香が立ち上り、チカチカと燃え上がった。


蟲術士こじゅつしビッツィー」

 ドイルさんの連れた学会警官が踏みこんで来たのはその時だった。

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