第26話 森の中


 馬は冷たくなっていった。


 私の方は、どうやら無事だった。馬がクッションになってくれたのだろう。

 最初に頭が割れていないか確かめた事は云うまでもない。

死ぬ所だったが、一度脳の出た私だから、取り乱さずに済んだ。

 足は動いたが、馬を看取みとっているうち夜になってしまった。周囲は草が生い茂っていて、地形が見通せない。夜の山中を歩くのは危険だろう。

 崖の頂がはるか頭上に見える。垂直と云うほどではなかったが、上って行ける傾斜けいしゃでもなかった。

 朝を待つしかなかった。


 月が傾いて沈んで行く。

 夜露が服を濡らし始めた。フランソワの行いと、その涙について考えたりもしたが、当面の心配事の方が重かった。この世界の森は安全なのだろうか、と云う心配である。

 オオカミなどは居ないだろうか。居るとしたら馬の死体の側は危険なはず。反対に、何かあったら馬をおとりに逃げられる、とも考えた。他にまだ捕まっていない神官殺しの事も頭をよぎった。山奥で遭遇そうぐうするとも思えないが。


 草叢くさむらが揺れたり、こずえが鳴るたび、私は神経を磨り減らした。

 闇の中に何かがぼんやり光るような事がよくある。

 しかし、それが動物の目なのか、月明かりを浴びた花の黄色なのか、或いは別の何かなのか、私では区別がつかない。何方どちらでもなく目の錯覚なのかも知れなかった。暗闇に長く居ると、実際の風景と、目の中のノイズの見分けがつかなくって来るらしい。

 時間感覚も曖昧あいまいになった頃、闇の中に極小さな灯りを見た。仄かな尾を引いて動いている。

 さらに耳鳴りのような音。オオカミの息づかいとは思えないが、この世界には私の想像も出来ないような生物が存在するかも知れない。

 それは例えば大きな蛇だとか、昆虫の様なものだって考えられるのだ。

 小さな灯りはゆっくり移動した。

 それは揺れるような動きで、明滅しながら、止まったり移動したりを繰り返した。

 それが三つ、四つ、五つと増えていく。

 サリサリと草を食む音。蓮に似た香りが漂った。

 ついに、近づいてくる足音が聞こえた。

 灯りは増え続け、今や足音の主の姿を照らし出す程になっていた。

 足音の主は、指揮者の動きで灯りを操った。

 光りをはらんだ蚕達が、ネオンのように集まって文字を形成した。「ビッツィー」と。

 足音の主は云った。

「戻ってこないから心配になって」

 ビッツィー。蚕が後光のように輝いている。

 私は安堵のあまり息を吐いた。

「心細かったでしょうノリコ」

「怖かった」

「ビッツィーさんに感謝してる?」

「してる。あと『蚕の演出必要だった?』って思ってるし『あらかじめ声をかけてくれれば、こんなに怖くなかったのに』って思ってる」

 ビッツィー。人を驚かせるのが大好きな蠱術士こじゅつし

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