第20話 令嬢とジャイアン


 私の両親は事業に失敗していた。

 両親は一番上の兄だけでも大学へ行かせようと必死だった。私達下の子供には無理だと云って諦めさせようとした。私の仕事は勉強ではなく、弟たちの世話をする事だった。弟たちが巣立った後には、結婚相手を掴まえる事と、両親の面倒を見る事が仕事になったろう。

 両親は悪人ではない。ただ運と要領が悪いだけだ。そして鈍感でもあった。

 お金の話をする時はいつも苦しそうだった。心情を隠すと云う事が出来ない。

 例えば、金銭的な理由で修学旅行へは行かせてやれない、と私へ告げる時は傷ついた表情をした。その度、私は自分が加害者になった様な気がするのだった。

 もし私が家を出て行ったなら、彼らは哀しい顔をした事だろう。そしての哀しい心情を、残った弟達に聞かせて過ごすに違いない。全部私の所為せいになる。

 それでも家族を振り切って出てく気力が私にはなかった。家は窮屈きゅうくつだったが、外の世界に希望がある訳でもないからだ。


 と云う様な事をフランソワに話したりはしない。出来ない。

 私がしたのはドラえもんコミックスの話である。私が見栄を張れるとしたら、藤子・F・不二雄先生の御本を暗記している事くらいだ。

「それなら家にこんな本あったよ」と。


 何の取り得もない男の子の所に、未来の使者がやって来て、秘密道具で何でも願いを叶えてくれる。ドラえもんは男の子のぱっとしない未来を変えるために、使わされたのです。


 フランソワは素直に聴いていた。どうやら彼女は新しい物に対しては集中を見せるらしい。そして興味を持ちながら、同時に憎む、そこが矛盾せずに同居しているのが彼女の複雑な所だ。

「のび太くんは、どうしてドラえもんと遠くへ行ってしまわないのかしらね。何でもできるのに」

 やがて、フランソワは真面目な顔で、そう感想を述べた。「それと私、特にジャイアンが嫌いだわ」

 これには思わず笑いそうになった。

 私はジャイアンも好きなのでフォローして、

「ジャイアンは、いざという時になると友情を大事にする男の子だから」

「本当? 威張ったり物を取ったりばかりでしゃくに障るわ」

「……みんな良い友達だから、のび太くんは故郷を出て行かないだと思うよ。うんと悪い人がいてくれなくては、なかなか故郷は捨てられないもだよ」

「意気地の無い事だわ。本当に悔しい事だわ」

 フランソワは本心からのように、そう繰り返すのだった。

 のび太くんに対して、こんな種類の同情を寄せた女の子がかつていただろうか。何か彼女には思う所があったのだろう。

 途中、フランソワは綺麗な水路の一つで冷やしていた甘い瓜を私のため盗んできた。盗ろうとして盛大に水をかぶってしまった。フランソワは弾ける様に笑った。


 私達は高台の寺院へ登った。村の中央と、遠くにはクラウス家のお屋敷が見渡せた。

 フランソワはまだ繰り返している。

「本当に下らない村だわ」

「フランソワにとって良い村だと思うけれど」

「ねえ。貴女は村を褒めてくれたけれど、それは貴女が御客様だからそう思える事よ。此所ここで生まれていたら、そんな言葉は出ては来ないわ。決して絶対に」

 フランソワはかたくなな表情になった。けれど、その横顔を豊かに保ち、着飾っていられるのは、この村のお陰なのだ。

「でも、私には、あなたが幸福そうに見える」

「いいえ。血が腐っているのだわ。こんな所に居たら私も駄目になってしまう」

 フランソワはずっと遠くを見ている。

「私こんな村、絶対出て行ってやろうって決めているのよ。屹度きっとやってみせるわ」

 何故なぜだろう。色々あったけれど、私はこの瞬間になって初めて、フランソワに対して反感を抱いたのだった。それは一瞬の事だったが、確かに苛立ちだった。

「家族から、逃げ切れると思う? 家族から貰った馬に乗って?」

 私の変化を、フランソワは敏感に嗅ぎ取った。

「今のが本音?」

「……さあ」

 その時にはもう苛立ちは去って、私の中にはフランソワへの良く分からない共感だけが残っていた。それも不思議な事だ。彼女が何を思って村を憎むのか、何も知らなかったのに。

「今のは忘れて欲しい」私は云った。

「いいえ。忘れないし、確信したわ。貴女も家族を捨てたかった。そうでしょう? そして此所ここに居るという事は、貴女は家族を捨てられたのだわ」

「私は……」

 フランソワは一人で続ける。

「そういう所なのだわ! 私がノリコに運命を感じるのは。きっと私の運命を変えるのは貴女。ついに人生の変わる日が来たのだわ」

 フランソワは妙なはしゃぎ方をした。笑みを浮かべているのだが、それは頬を抓って、無理矢理につくった顔なのだった。

 後々になって考えても、この行動の理由にぴったりくる説明は付けられそうに無かった。多分無意識にやったていたのだと思う。

 ただ作った笑顔の中に、すがりつくような必死さを感じはした。


 それにしても、私が運命を変える、という想像は何処どこから来たのだろう。

 しかしれは悪い意味においては、まったく正しかった。その意味が分かるのは、もう少し後の事になるけれど。

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