第6話 令嬢とローリング・ストーン


 役場へ着いたが、受付に人が居ない。裏のテラスでお茶を飲んでいるのを見つけた。

 カフェテラスでは、家鴨アヒルに似た鳥がテーブルの下でパン屑をついばんで、時々思い出したかのようにガアと鳴いている。それを猫が欠伸をして見ていた。長閑のどかな村だなという印象だった。


 ビッツィーは家鴨アヒルのお尻や、猫お腹を嗅いで遊んでいたが、やがて受付係へ、申し出た。

「どうも。私たち調査でしばらく滞在する予定なのですけれど」

 なお、私は何の前情報も貰えないまま、この場に挑んでいる。私が聞いたのは「お村でのお生活をよろしくいたため、お役場をだまくらかしに行きましてよ、お嬢さん」という宣言だけだった。

 調査で来た、と云うのは恐らく嘘なのだろう。

 ビッツィー。躊躇ためらいなく嘘をく女。それも他人を巻き添えにして。


 受付係の女性は親切な人のようだった。何度も頷きながら話を聞き、最後に目を細めると、私達にお茶とクロワッサンを勧めてくれた。

 ビッツィーは直ちに手をつけた。

 一方、女性は食べるのを止めて仕事を始めた。

「調査という事ですと、学会のほう? 教会のほう?」

 私は意味が分からない。全てビッツィーに任せる事にした。

「民間企業です。学会員でも、教会の調査で来ている訳でもありませんので御安心を」

 ビッツィーはなだめる様な云い方をした。女性はあからさまな安堵あんどを見せた。

「ああ、ああそうですか。それなら問題ないです」

「ええ。ええ。そうでしょうとも」

 二人は頷き合っている。

 ビッツィーがもう一つクロワッサンをつまもうとした所で、女性が云った。

「ですが一応ね。何か証明する物はお持ちでしょうか」

勿論もちろん」とビッツィー。「ええ、勿論もちろん。ノリコ、出してくれる?」

 私はビッツィーを見返した。

 持っているわけがない。私の持ち物といったら、さっき貰った飴の包み紙ぐらいのものだ。

「確かさっきあなたに預けたわよね、ノリコ。ね?」

 片目をつぶって見せられても困る。

 私は渋々、包み紙を取り出した。他に出せる物がないのだから。

 ビッツィーはにこにこ笑った。

「そうそう、これ。あるじゃない。シワだらけになったから出しにくかったのね?」

 ビッツィーは皺を伸ばすふりをして、紙の表面をさっと撫でた。紙は白紙である。

 それが、一瞬で書類に変化していた。丁度、プリンターに通したみたいに。

 一瞬の早業だったし、角度的にも、女性からは、ただ書類を出しだだけに見えたろう。

 だが、私は見た。手の影になった所に、黒い染みが発生して、しかもそれが蜘蛛くもの子の群れみたいに走り回ったあげく、文字や証明印の形になったのだ。

 ビッツィーが片目を閉じて見せた。何か不思議な力を使った様だ。


一級いっきゅう醸造術士じょうぞうじゅつしビッ=ツィー】


 れが証明書に記されたビッツィーの肩書きだった。

 事実かどうか私は知らない。

 係の女性は、眼鏡を出して読み始めた。

「はい。確かに確認しました。仕事終わり」

 今度こそ、彼女は本当に納得したらしく、書類を返してくれた。そして上を向くと、クロワッサンを一つ丸呑みにした。

 その後、お茶を飲みながら村の話をした。

 女性は、これ本当に親切心だけで云うんですけど、と前置きして、色々教えてくれた。

 彼女によると、村に一軒だけある宿のサービスは、まったくお話にならないレベルなのだと云う。

 お酒の勉強でしたら領主さんの所に泊めてもらった方がいいですよ、と云うのだった。

「ご領主さんは村の葡萄酒ワインを誇りにしていますし、外から人が来るたび、お屋敷に招きたがるのです。きっと歓迎してくれますよ。まあ……ご令嬢のフランソワさんにはちょっと手を焼かれるかもしれませんが。いえ、何でもありません。とても由緒ある、立派な御一家ですよ」

「それはとても楽しみ」

 ビッツィーは舌舐めずりすると、クロワッサンを口へ放りこんだ。


 カルベリィの領主、クラウス家のお屋敷は、村でも一番高い所にある。

 お屋敷目指して葛折つづらおりの坂を上っている時だった。大きな石が転がり落ちてきた。

「あぶね」

 ビッツィーは石をかわした。

 私はくるぶしに当たった。幸いバウンドした後だったので、怪我はなかったけれど、もし頭なら、また中味が出ていた所だ。

「――何?」

 頭上を探すと、ドレスの後ろ姿が葡萄ぶどう畑の奥へ逃げて行くところだった。


 後になって考えると、あれはフランソワだったに違いない。クラウス家の悪徳令嬢フランソワ=クラウスとの、これが最初の接近だった。

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