第3話 マジョーラ


 車は異空間を抜けて、森へ出た。

 腐葉土ふようどの匂いを嗅ぐと、急に生きているとう実感が湧いた。

 車が止まる。エンジンがチリチリ鳴った。振り返ってみたが、異空間への穴は消えて、緑の茂った景色が広がるばかりだった。車ごと森の中に放り出されたような格好だ。

「ああ、窮屈きゅうくつだった」

 落ち葉の地面へ降り立って、ビッツィーは大きく伸びをした。体にぴったりのスーツとパンツ姿だったから、しなやかな体つきが強調されて見えた。

「ノリコも降りて来なさいよ。気持ちいいわよ」

 親戚の子でも相手にするような、リラックスした態度だった。

 私は従うと、傷つけないよう慎重しんちょうににドアを閉めようとして一度しくじった。

 ドアミラーの存在に今更いまさら気付いた。自分の姿をあらためたいと感じた。何せ頭を割られて間もないもので。


 体は何処どこも痛くない。制服には血の跡さえ無かった。頭もちゃんと閉じていた。差し当たっては、男に御鉢おはちを開かれた事など無かったかの様だ。

 しかし元通りという訳でもなかった。

 私は頭を自分で散髪していたのだが、その髪が何ともえない色に変化していた。飴色あめいろ。かと思えば、角度によって赤や緑に変わって見えるのだった。もちろん染めた覚えはない。

 さらにその奇妙な色のなかに模様が見分けられる。何か幾何学的きかがくてきあるいは呪術めいた模様に見えた。動物の毛皮みたいに、その部分だけが違う色合いになっているのだった。

 自分に何が起こっているのか分からない。夢を見ているのだろうか。それとも前の世界が夢だったのだろうか。

 私は身体の方も詳しく点検せずにはいられなかった。

「ちょっと待とうか?」

 気持ちを察したのか、ビッツィーはそう云った。何故なぜ分かったのだろう。

 木陰で確認した。何所どこにも異常は見つからなかった。安堵してしゃがみこんだ。そして、私はようやくこれからの心配を始めた。

 此所ここ何処どこで、如何どうすれば良いのだろう。

「行こうか」

 気づくとビッツィーが私を見下ろしていた。当面は彼女に頼る他ない様に思えた。


 目を離していた間に車が消えていた。

 地面は木の根ででこぼこしており、車を移動させられる様には見えなかった。

「あの、ビッツィーさん?」

「もっと砕けた口調でいいのよ。『ハアイ、ビッツィー!』って」

「ええと、なんて云うか、ありがとうございます、ビッツィーさん」

 私は控えめに応じた。

 ビッツィーは残念そうに唇を鳴らしていた。

 彼女は折りたたんだ紙切れを、胸の谷間へ押しこんでいる所だった。そんな所をポケット代わりに使う人が実在するとは驚きだった。

 私は胸のポケットを見ないようにしながら訊ねた。

「車はどこへ置いたんですか? 此所ここからどうするんですか?」

此所ここ

 多分、初めの質問に対する答えた。ビッツィーは自分の胸元を指し示した。その時はどう云う意味なのか分からなかった。

「まあ、歩きながら話しましょう。此所ここは多分そうね、カルベリィが近いわ。多分何となく」

 ずいぶん適当な云い方だ。

「……カルベリィ?」

「そう。カルベリイが一番近い村ね。屹度きっと

 彼女は先に立って歩きだした。私も後に続くほかない。

 森の何処どこかから果実の匂いが漂った。


 カルベリィ。

 今となっては何処どこにも存在しないカルベリィ。


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