11 悪魔のワガママ
大学のある閑静な住宅街。そこを抜けて繁華街の方に入ると、冥華町への玄関口となる冥華駅西口が見えてくる。駅構内は数多くの店舗や飲食店が軒を連ね、絶えず賑わいを見せているが、反対側にある東口へ回ると、それまで賑やかだった雰囲気は一変する。
冥華駅の東側には貨物駅が隣接しており、町の玄関口として賑わいを見せていた景色も、裏へ回れば、そこに見えるのは広大な敷地に幾重も連なった線路と、そこをのろのろと流れてゆく貨物列車の長蛇な列だけ。表と裏で、これ程まで外観に差の出る駅も珍しい。
憑魔とウニカは、そんな殺風景な冥華駅東口を出て、張り廻らされた金網の向こうで貨物列車が通り過ぎてゆく様子を、二人してじっと眺めていた。
「はぁ……だから、我は全ての悪魔の王である魔王イヴリスの一人娘であってだな……」
「それはもう聞き飽きた。要するに、お前は悪魔なんだな?」
「だからそうだとさっきから言っておるだろう! 貴様も、さっき我の立派な翼を見たはずだぞ」
そう言われて、憑魔は少し考え込んでから、溜め息を吐いて頷いた。さっき変身した時に見せたあのコウモリのような翼に、太い角、それに尻尾。あれらは紛れもなく全て本物であり、彼女が人ならざる存在であることは、もはや疑いようのない事実だった。
「……分かった。お前が悪魔だってことは認めてやるよ。……だけど、何で悪魔が腹を空かしてこんなとこをほっつき歩いてたんだ? そもそも、お前ら悪魔って地上に住む生き物だっけか?」
「違う! 本来ならば我ら悪魔は人間界ではなく魔界に住んでおるのだ。我らは『魔界』と言っておるが、貴様ら人間は我らの住む世界のことを『地獄』だとか、『あの世』だとか呼んでおるそうだがな」
「あの世って……つまりお前は死後の世界から来たってのか?」
「まぁ、ありていに言えばそういうことになるな」
確かに、地獄に鬼が住み着いているという日本人の考えを西洋人のイメージに転換すれば、地獄に居るのは悪魔である。だから、死後の世界に悪魔が居ても別段おかしな話ではない。
しかし、目の前に居るこの無邪気な少女が、地獄からやって来た使者とは程遠い容姿をしていることもあり、憑魔は理解に苦しんだ。
「……まぁ、今回は偶々お前が居てくれたおかげで、俺は留学を逃れられたから、ある意味お前がここに来てくれていて助かった。だから俺は、死後の世界から来たお前を歓迎してやらんでもない」
憑魔はそう言ったものの、それから少しばかりの間口を閉じて、暫く何かを考えている様だった。やがて彼は、思い直したように再び口を開く。
「――けど、ここは人間の住む世界だ。この世界では、悪魔は厄災のシンボルにされていて、悪魔と名の付いたものには大抵悪い噂が付きまとう。俺たち人間は遥か昔から、それくらい悪魔を忌み嫌ってきた歴史があるんだ。……だから、もしお前の正体がバレたら、こっちの世界では大騒ぎどころの話じゃ済まなくなる。だから、早く死後の世界へ帰った方がいいと思うぜ」
そう言い聞かせる憑魔だったが、ふとウニカの表情を伺うと、彼女は顔をしかめて眉間にしわを寄せ、憑魔の着ている服の裾をぐいと掴んでいた。
「………やだ、帰らない」
「はぁ? 何でだよ?」
「我が帰らないと言ったら帰らないのだっ!」
突然しおらしくなったかと思えば、子どものように駄々をこねて喚き始めるウニカ。
「お前、ずっとここで暮らす気なのか?」
「我は魔界に帰りたくない……と言うよりも、帰れないのだ」
帰れない――
その言葉を聞いた憑魔は、目の前の少女が抱えている事情を、ほんの少しばかり察してしまったような気がした。
「……お前、ひょっとしてその魔界とやらで、何かやらかしたのか?」
憑魔がそう尋ねると、ウニカはビクッとして肩をすぼめた。どうやら図星であったらしい。
「あ、あれは別に我のせいではない! 我は何もしてない。誰かにハメられたのだ!」
必死に言い訳するウニカ。その慌て様からして、よっぽど大変なことをやらかしてしまったようである。
「――まぁどんな大罪を犯したのかはさておき、お前は死後の国で何か大変なことをやらかして、こっちの世界に逃げてきた。要するにお前は犯罪者であり、逃亡者でもあるって訳だ。違うか?」
憑魔にそう問われて、ウニカは「ぐぬぬぅ……」口惜しそうに眉を歪めながらも、最終的には折れてこくりと小さく頷いた。
「そうだ……我は今、魔界では第一級犯罪者として魔界中に指名手配されておる。今あちらに戻れば、間違い無くとっ捕まるだろう」
「第一級犯罪者って……お前、死後の世界で一体何をやらかしたんだよ?」
「………言いたくない」
「おい、肝心なところで黙秘権行使してんじゃねぇ」
ウニカが死後の世界で何をやったのか聞き出そうとするも、膨れっ面をしたまま黙りこくる彼女を見て、憑魔は呆れたように頭を抱えた。
「……とにかく、お前があっちの世界で犯した罪については、俺は何の責任も負えない。自分で何とかするんだな」
そう言って、憑魔はその場から立ち去ろうとする。
――が、そこへウニカが一言。
「あ、言っておくが、今となっては貴様も我と同罪の扱いになってしまうから、気をつけた方が良いぞ」
何気無く放たれたこの一言に、彼女へ背中を向けていた憑魔は、口元をひく付かせながら振り返る。
「……おい、それって一体どういうことだよ」
「そのまんまだ。逃亡した第一級犯罪者を手助けした者が居れば、そいつも同等の罪に問われる。共謀罪? とかいうやつだな」
「ちょっと待て。俺はお前と共謀した覚えはないし、手助けした覚えもないぞ」
「したぞ、ついさっき。……ほれ、貴様の左手を見てみろ」
憑魔は自分の左手の甲を見て、ぎょっとした。
彼の手の甲には、まるで唐草模様のような渦を巻く気味の悪い模様が、うっすらと黒く浮き出ていたのである。
「何だこれ……」
憑魔は手の甲をシャツに擦り付けるが、その模様は刺青のようにしっかりと肌に刻み込まれており、擦っても落ちない。
「『血の契約』――その印を刻まれた人間は、悪魔である我に、貴様自身の力の源である精気を分け与え続けなければならんのだ」
「はぁ? 契約? そんなの何時結んだんだよ?」
「それは……ほれ、さっき我が貴様の左腕に接吻をしただろう?」
憑魔はここでようやく思い出す。彼が大学に運ばれる前、ウニカに左腕をガブリとやられてしまっていたことを。
「まぁ……多少の儀式の手順を省きはしたが、それでも一応上手くはいったみたいだな。これで我の魔力が無くなろうとも、貴様からいつでも精気を補充できるというわけだ! これで我もひもじい思いをせずに済む――」
ウニカがそこまで言ったところで、憑魔の力を込めた鉄拳が、彼女の流れる金髪の上にドカリと振り落とされた。
「うぎゃっ‼︎ こら、何をするっ!」
「何をするって、それは俺が言うセリフだ馬鹿野郎! 何勝手に契約してんだよ! 契約ってのは双方の合意が無ければ成り立たないことくらい常識だろ⁉︎ それに、あれは接吻なんかじゃねぇ! ただ俺の腕に噛み付いただけだろうが!」
憑魔はカンカンに怒っていた。それもそのはず。本人は全然望んでもいないというのに、彼女の勝手な我儘で悪魔の腹を満たすための贄にされてしまったのだから。
「それに精気を与え続けるって、要するに俺がお前にずっとタダ飯を食わせてやってるようなもんじゃねぇか! しかも俺の金で! そんなの理不尽過ぎるだろっ! 今すぐ取り消せ。契約破棄だ」
「嫌っ! だって貴様と契約を切れば、我はこの先どうやって生きていけというのだ? こんな所で野垂れ死ぬなんて御免だっ!」
憑魔は彼女の尽きぬ我儘にとうとう耐えかねて、その場でウニカを思い切り押し倒してしまう。
「い、ま、す、ぐ、に、破棄しやがれっ!」
「い〜〜や〜〜だ〜〜っ‼︎」
ウニカは手脚をジタバタさせて抵抗する。一方の憑魔は、いい年こいて年端もいかない少女に半ば本気で掴みかかっている。側から見れば、大学生の男が通りがかりの少女を襲っている構図にも見えてしまうその光景は、誰かに見られたら即通報されてしまっていたことだろう。
けれども、普段から人気の少ないこの駅裏口周辺に幸い通行人は居らず、二人が取っ組み合っているところなど気にも留めていないように、貨物列車の長蛇な列が線路上をノロノロと通り過ぎてゆくだけだった。
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