12 追う者追われる物

 ――しかし次の瞬間、無人の沈黙は、遠くから聞こえてきた車のエンジン音と、キュキュキュとタイヤの擦れる耳障りな騒音によってかき消された。憑魔はウニカに掴みかかるのを止めて、音のする方へ視線を投げる。


 冥華駅東口前に広がる楕円状のロータリー。普段から人気が少ないこともあり、お客を拾うタクシーの姿も無く、待ち合いの車も皆無である。


 そんな殺風景なだだっ広い円状道路に、一台のシルバーのセダンが猛スピードで侵入してくる。


 さらにその後ろから、二台の黒のセダンが同じく猛スピードで追従していた。前を走っていたシルバーのセダンは、スピードを出したままリアタイヤをロックさせ、ハンドルを切ってドリフトしながらロータリーの周囲を巡り、瞬く間に通り過ぎてゆく。


――通り過ぎ様、憑魔は車のフロントガラスに映った男を一瞬目撃する。


「――っ!」


 乱暴に車を操る運転者の顔と名前を、憑魔は知っていた。


 立て続けに二台の黒いセダンも横滑りしながら憑魔たちの前を通り過ぎ、辺りに白煙を撒き散らしていった。排気ガスと、摩擦でタイヤの焼ける臭いが鼻を突く。白煙が薄れる頃には、既に車の一群はロータリーを抜けて、遥か先に遠退いてしまっていた。


「うえっへっへっ! ……な、何だ今のは?」


 白煙に咳込むウニカをそっちのけで、憑魔は車の一団が走り去っていった方向をじっと見つめ、チッと舌打ちし、独り言のようにぼそっと呟いた。


「――あの野郎、また何かやらかしたな……」


「うむ? 誰か知り合いでも乗っていたのか?」


 そう尋ねるウニカに、憑魔はふと我に帰って答える。


「……あぁ、一番先頭の車両に、シノが乗ってた。俺の親父が拾った養子さ。名前は村雨篠介。小さい時から俺たち長雨家の一員で、俺が生まれた頃に拾われたから、小さい時からずっと一緒にやってきた仲なんだ」


 そう説明する憑魔の顔には焦りの表情が浮かび、首元にはじんわりと汗が滲んでいた。ぐっと唇を噛み、ロータリーに刻まれた幾つものタイヤ痕に目を落とす。


「……ふむ、なるほどな。血の繋がりはないとはいえ、貴様にとっては家族同然という訳か。……ということは、後ろから来ていたのは――」


「あぁ、奴らはシノを追っていた。多分ヤクザの連中だ」


「ヤクザ? なんだそれ? 軍隊の名前か何かか?」


「そうじゃなくて――って、今はそれどころじゃねぇ」


 憑魔はウニカに向き直り、その場でしゃがんで彼女と目を合わせる。ウニカの大きく無垢で、血のように染まった紅い瞳に、憑魔の顔が映り込んでいた。


「……なぁウニカ、一つ聞いてほしい頼みがある。――さっき、俺を大学まで送った時に使ったあの翼で、俺をまた飛ばしてくれないか?」


ウニカは彼の言葉を聞き、少し驚いたような表情をしていたが、やがてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、白い歯を覗かせた。


「……ほう、さっきまで我を毛嫌いしていたというのに、ケロリと態度を改めて我の力に頼ってくるか」


「ぐっ……身勝手を言ってるのは重々承知してるつもりだ。……だが、シノのことをどうしても放っておけねぇんだ。あいつ一人じゃ、何をやらかすか分からねぇから」


 「だから頼む」、と憑魔は目の前の小悪魔に対して首を垂れて懇願した。そんな彼の真摯な態度を前に、ウニカは胸を張って笑い、答える。


「ふはははっ! そんなにかしこまらんでも別に構わんぞ。元はといえば貴様のおかげで我も命を救われたのだからな。貴様の言うことくらいいくらでも聞いてやる。何なら、貴様のことを我の主人(マスター)として認めてやっても良いのだぞ?」


「何で助けられたお前がデカい面してそんなこと言ってんだよ……まぁいい。ならウニカ、俺をシノのいる所まで飛ばしてくれ!」


「合点承知だマスター!」


 刹那、ウニカの目が真っ赤に輝き、再び着ていたワンピースが真っ赤に燃え上がって、あの扇情的な黒の衣装が露わになる。そして蝙蝠のような漆黒の翼を広げ、背後から両腕で憑魔の肩をがっしりと掴んだ。


「少し飛ばすぞ。振り落とされるなよマスター!」


 翼が大きく宙を打ち、憑魔の身体は軽々と持ち上げられる。ウニカは主人である憑魔を抱えたまま、先程遭遇した車列の消えていった方角に向かって追跡を開始した。

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