09 見よ、我が漆黒の翼を!

「ふ〜っ、生き返ったぁ!」


 ウニカはようやく噛み付いていた憑魔の腕から離れて、さも満足そうにぺろりと舌を出して腹を叩いていた。


 一方で憑魔の方はと言うと……


 その場にべったりとうつ伏せに倒れて、まるで浜辺に打ち上げられた魚のように足先をピクピクさせていた。


「うむ、貴様の精気もなかなかのものではないか! これだけ濃ければ腹持ちも良さそうだな」


 先程までぐったりしていた様子とは打って変わり、すっかり元気と覇気を取り戻したウニカ。まるでこれまでの双方の立場が入れ替わってしまったかのようである。


「……お、お前なぁ……悪戯にも……げ、限度ってもんがあんだろ………」


 憑魔はどうにかその場から起き上がろうとするも、腕や脚に力が入らず、まるで地面に接着剤でくっ付けられたかのように動けない。


「あまり無理して動かん方が良いぞ。今、貴様の体からかなりの量の精気を吸い取ってしまったからな。暫くの間は体に力が入らんだろう」


「せ……せい、き……何だよ、それ……」


「人間が生きていく為に必要な力であり、生きているうちは絶え間無く体の中で生成されている生命エネルギーの総称、それが精気だ! この精気が尽きると人間は死んでしまうのだが、安心しろ、貴様に死んでもらっては困るからな。半分くらいは残しておいてやったぞ」


 そう言ってにんまり笑顔を浮かべる少女。子どもの考えるごっこ遊びにしては、あまりに設定が凝り過ぎている。それに、本当に体の力を抜き取られてしまったこの現象が果たして彼女の仕業なのか、それすらも憑魔には分からなかった。


「お前……俺の体に、何……しやがった……」


「詳しい説明をしたいのも山々だが、その前に貴様にはやるべきことがあるのだろう? そのソツロンとやらをあそこへ持っていかねば、リューネンしてしまうのだろう?」


 そう問われ、憑魔は地べたに倒れたまま、どうにか腕を目の前まで持ってきて腕時計を見ると、卒論の提出期限時刻まで、あと十分を切っていた。


「……だから、それはもう無理だって――」


「何を弱気になっておるのだ。あれだけの距離など、我の翼があればひとっ飛びだぞ!」


 翼? ひとっ飛び?


 この幼気(いたいけ)な少女は、自分を羽が生えた天使か何かと勘違いしているのだろうか? 


 そう疑問を抱いた憑魔だったが、次の瞬間、その疑問が大きな間違いであったことに気付かされる。


 少女は紅い瞳を閉じて、その場で深く息を吸い込む。まるで瞑想するように、深く、深く息を吸い込んだ。


 そして次の瞬間――彼女の纏っていた黒のキャミソールワンピース、その薄い一張羅が突然発火し、めらめらと燃え上がったのである。


 その赤い炎は瞬く間に形を変えて、全裸になった少女の体を舐(ねぶ)るように覆い尽くしてゆく。


 紅蓮の炎を身に纏った少女は、次の瞬間、振り払われた火の粉と共に、その真の姿を僕の前に現した。


「………なっ……」


 何だあれは……そう言葉にしようとするも、驚愕のあまり声が途切れてしまう。


 少女の細い体躯に纏われた、新たな衣装。――いや、もはやあれが衣服と呼べるのかすら分からない。幼いながらも膨らみかけの胸や腰のラインがくっきりと露わになるよう、薄い生地が肌に張り付いたレオタードのような黒衣装。限界まで布地を削って地肌を晒したそのデザインは、見る者に誘惑を植え付けるような扇状的な姿に、少女を仕立て上げていた。


 更に、変化はそれだけでは終わらない。


 彼女の背中からメキメキと骨の軋む音がして、左右からコウモリのような漆黒の翼が、まるで帆を張るように展開されてゆく。再び開かれた少女の目はさっきよりもより紅い輝きを増し、金色の頭からは二本の太い角が生え伸び、蛇のようにのたうつ細くつるりとした尻尾が、腰下から垂れ落ちた。


 それは天使というより、まるで悪魔のような外見をした少女――


 ――いや、少女の姿をした一匹の悪魔が、憑魔の前に立っていた。

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